
私の近所では、明け方など、田んぼでキジを見かけることがあります。……というこの話を姉妹がすると、彼女らの学友は「どんな田舎なのそれは?!」「クマとかも出るの?!」と本気で驚くそうです。そんな驚くことじゃないと思うんだけど。だって普通にいるもの。そりゃ多少は珍しいですが、まれってほど珍しいわけじゃない。ああ、いるなあ、見たなあ、そのぐらいの珍しさです。
ちなみにクマは出ません。そんな山奥じゃないですってば。これだから都会育ちは困る。田舎は異郷ちゃいまっせ、水道も電気も国道もスーパーもありまっせ。なぜかカシオの直営店とかシネコンとか『ヴィレッジバンガード』とかもあります。……どんな田舎だ。
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まあ唐突にぶっちゃけるような事でもないんですが。今日、わきの下の毛を剃りました。剃ってからしばらく両わきがチクチクしてたんですが──それは予想の範囲内だったんですが──なぜか右のわきの下だけそのチクチクが収まってません。右側は心臓から遠いからでしょうか。私が右利きだからでしょうか。それとも右のわきだけ何かが違うのでしょうか。毛のはえ方とか。単に、私の剃り方とか。
……この中に正解はあるんでしょうか。人生には謎がつきものです。定食にはナスが漬け物です。ビデオテープには貞子が憑き物です。おお、怖い。
どうでもいいんですが、ペンションのビデオデッキが『ベータ』だったら貞子ウィルスは蔓延しなかったんでしょうね。って『リング』を知らない人にはわけわからない話ですね。いや……しかしそう考えると、ソニーの功績は偉大だなあ、なんて。よくわかりませんけど。テレビドラマの『リング』ではCD-Rにも憑依してましたし。ってそういう問題でもないのか。何が問題なのだ。言うてみよ大臣。怒らんから。ヒゲに誓う。
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さておき。舞台は2005年です。
ここ数日、妙に詩が書けています。ふと出だしの一行だけ思いつき、ぽろっと書き出してみると、それがことごとくいい作品になる。なんにも全体像とか見えてないのに、書きながらどんどん展開が浮かび、ごく自然で後味のいいオチがつく。どうしたんだろう。
たまにあるんですよね、こういう時が。『(無題)』や『ジャックインジャック』を書いた時がそうでした。何かが降りてきてるとかそういうんじゃなくて……私はつい理論で組んでしまうから。その理論・理屈が、いい感じに働かなくなってるんだと思います。だから「感覚5:理論1:発想4」ぐらいでふぁっと自然なものが書けているのかも。
ま、自分で「書けてる」なんて言うのもどうかしてますけど。……自分で頭つかって書いた気がしないからかな、そんな事が言えるのは。
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夏が来ました。夏に来るものと言えば、蚊です。蚊が来ました。映画『宇宙戦争』なんて目じゃありません。日本を無数の蚊が来襲しようとしています。先行公開で我が家にはもう来襲してきています。……けえってくれ! 頼むからけえってくれ!
羽音がすると眠れないので、数年前に買ってほったらかしていた耳栓を出しました。って何だこの「夏ぶとんを出しました」みたいなノリは。事態はもっと深刻であるぞ。
耳栓をして寝てると、自分の心拍や息が妙に怪物的に聞こえます。それが逆に睡眠を妨げたりもするんですが、ちょっと面白いです。口を閉じたままで「がっきゅうぶんこ」と言ったりして遊びました。変な感じです。もともとが変だと言えばその通りです。何もかもが変です。ぼく・ぼく・わらっちゃいます。
……。いったい私は何歳なんでしょう。自分で自分が信じられません。
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上記の「妙に詩が書ける状態」ともつながるのですけれど。
詩を書いていて、よく「書き足したフレーズや展開から、新たなアイデアや小ネタが浮かぶ」ことがあります。「ここでも遊べる」「ここにはこれが足せる」「こんなオチもアリだ」「こんな語調にしても面白い」「こんなバージョンもありうる」など。当初はそんなものを入れるつもりはなかったのに、題材や単語やフレーズが勝手にアイデアや可能性を提示してきて作業量がどんどん増大していく。
……根が貧乏性なので。『そんなモン要らん』とは言い切れず、とりあえず見えたものは書いてみる、ということがよくあります(もちろん書いてみて『やっぱアカン』と思えばそれはボツにしますけど)。
超駄文が書ける私の思考というのは……それと良く似てる気がします。横道が見えるととりあえず踏み込んでマッピングしてしまう。ひとと話す時や『詩のあるからだ』のMCなどではこの「寄り道好き・脱線したがり」は意識的にひかえてますが、もしかしたら本当は話がめちゃくちゃ飛ぶ人なのかもしれません。迷惑な……。
……。「飛ぶ人」ではなく「飛べる人」と言うと急に豊かに思えるから不思議です。
余談ですが、上記のように「書きながら可能性が見え、それを辿れば完成形が見える」場合は少数です。書きながらどんどん迷路にはまっていく場合や、書いても書いても手がかりが見えてこない場合、手がかりだけ見えてて実際の部品が思い浮かばない場合などが大多数です(感覚的でわかりづらい話だとは思いますが……)。気持ちがニュートラルでない場合や直感が働かない場合は、たいてい理論で掘り進んでウダウダしています。
そう思うと……ここ数日の調子というのは、やはりとても幸福なことなのかもしれません。こうしたモードが意識的に出せるようになれば無敵なんだけどなあ。