2005年12月27日

腹でも胃でもあるところが

 っていうか、位置からしてまず胃なんですけれど。気持ち悪いです。いや、気持ち悪くはないのですが、痛いです。いや、痛くはないのですが、気持ち悪いような、なんていうか、どういえばいいのか、わかってたまるかー。日本語なんかにこの辛さがわかってたまるものかー!!!

 失礼しました。怒りに任せて書いています。書かずにおらりょか居られよか。よか、よか、よ……よよよ……。

   *

 今日、『そろそろ食事にするかな……』と思いながら作業をしていたら、ぶわっと腹と胸の間に違和感が起こりました。位置はちょうど胃のところ。『ぐわッ!?』
「気持ち悪い」と「痛い」の両方でありながら、どちらでもないような感触がずーんと私の体に居座ってきました。胃の内側にこぶし大の玉があって、それが胃壁をぐいぐい押してくるような感じ。なんというか「こみあげてくる」感じ。こみあげる? 何が? って言われてもそんなの私にもわかる訳ないじゃないですか!!! 発症したのは食事前だから、胃は空っぽだったはず。じゃあこの「こみあげる」ものはいったい何……。体内でガスが大発生してるとかですか……。

『ぐあ……腹が減りすぎて空腹感が痛みに転じたとか……そんなところか……そんなことってあるのか……ぐお……』。腹をさすりながら台所へ移動し、とりあえず卵かけご飯を作って食べました。ドロッとしたものなら腹持ちも良さそうだし、胃壁も守ってくれるんじゃないかと思って。もしこの症状が胃酸多加とか胃潰瘍とかなら、これで収まらないか……。
 腹の「こみあげ」が先行していて食欲なんてなかったんですけど。とりあえず噛まずに全部飲み込みました。

 でも、収まらない。いっこうに収まらない。どう対処すればいいのかわからないまま、とりあえず横になって楽な姿勢を探しました。内科的な痛みって、ある姿勢を取ると止まることがあるじゃないですか。右向きで寝たり、左向きで寝たり、膝をかかえたり……いろいろやってみましたが全く止まらない。どうやっても収まらない。
 諦めるしかありませんでした。『好きにしてくれもう……どうせ一過性のもんだろ……』。そしてぐったり仰向けで寝ていたら……とつぜん吐き気が。猛烈な吐き気が。……きたきたきたきたーっ! おそらくこれで吐いてしまえば楽になるのだろう! よくわからんがきっとそうだ!!! そうに違いない!!!
 人体の神秘に運命を託して風呂場へ直行、洗面器に口を向け胃の中を吐こうとしました。が、「こみあげ」が胸につっかえて、吐きそうなのに吐けない。口に手を突っ込み指で舌を押さえても、吐き気だけして、吐けない。胃液とは違う、やけに透明で匂いのないネバネバが出てくるだけ(どうやらこれは唾液らしい)。
 諦めずに数トライすると、かろうじて卵かけご飯の米粒がひと粒だけ吐き出されました。ひと粒かい……。もーいーよ、もぅ……。俺なんざこうして腹かかえて死んでいくのさフヒーンどうせアハーン……。

   *

 その後。この「こみあげ」にも波があるようで、ここ30分ほどはまあ起き上がってPCを触れるぐらいでした。……ですが。
 この、この文章を書き始める直前に奴が来ました。ビッグウェイブが。猛烈な吐き気が。『うをををををー!!!』すかさず風呂場に駆け込んで洗面器に口を向けましたが、今度もやはり唾液が出ただけでした。
 なんかもう、あえて吐こうとする気力もないです。勝手にしやがれ……。

 で、怒りに任せて書き始めたという訳です。今はまたちょっと落ち着いてきました。「こみあげてる」って感じじゃなく「居座ってる」レベルです。消えてはいないが、耐えられないこともない。でも一生これはご免こうむる。せめて来年2月までは健康でいさせてくれ……俺にはやらなきゃならないことがあるんだ……って別に胃痛じゃ死にはしないよな……ってそういう問題じゃないんだ……。

 カゼはひいてません。せきもくしゃみもありません。肌荒れもしてません。食事前に発症してますから、たぶん食中毒じゃありません。じゃあ何……。
 明日、医者に行く予定です。
posted by 若原光彦 at 21:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近況

詩の未来、補記

 書こうか書くまいか悩んだのですが、まとめておくことにしました。作品からなのか、好みでか、リーディング活動のせいなのか、何なのか……私に「なんとなく」信頼を寄せて下さってる方も多いと思うのですが、その方たちに「現在、私はこういうスタンスです」とあらかじめ示しておくほうがいいかもしれない、と考えました。
 つまりこれは私のスタンスの話であり、またそのスタンスが定まっていない、という話です。

   *

 まずはこちらをご覧下さい。

短歌ヴァーサス:カレンダーコラム:若原光彦『詩の未来(前編)』
http://www.fubaisha.com/tanka-vs/top.cgi?mode=read&year=2005&month=8&day=30
短歌ヴァーサスカレンダーコラム:若原光彦『詩の未来(後編)』
http://www.fubaisha.com/tanka-vs/top.cgi?mode=read&year=2005&month=9&day=6

現代詩フォーラム:【批評・散文・エッセイ】指標を越えて
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=50469&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25A4%25A4%25A4%25C8%25A4%25A6
現代詩フォーラム:【批評・散文・エッセイ】Hello----,Hello----. 私たちは、つながっていますか?
http://po-m.com/forum/showdoc.php?did=58512&from=listbyname.php%3Fencnm%3D%25A4%25A4%25A4%25C8%25A4%25A6

 前者ふたつは『UPJ3』直前に私が書いたものです。後者のひとつめはそれからしばらくして偶然読んだもの、後者のふたつめは『UPJ3』で配られた冊子『IU(イウ)』に掲載されていたもので、筆者はいとうさんです。

 読んで貰えればわかるのですが、部分的に真逆になっている所があります。詩は「なんでもあり」だと言う人と、「なんでもありだと簡単に結び付けてはいけない」と言う人。現状の詩作者たちについても「一般からの評価を得ようとしている」と言う人と、「私を見て、ではない」と言う人。
 どちらが正しいのか、と問われても答えられません。どちらも今の詩の世界についての話をしていますが、どちらがどの時点でどの面から何を見ているのか、異なっている可能性もあります。同じ世界で同じ話をしているようでいて、実はまったく違うものを見ているのかもしれません。似たフレーズが逆の見解で出てきたから真逆に見えるだけ、という気もします。

 上記の4文、本当なら「若原」「いとう」といった名前を抜きにして読み比べて欲しかったのですが、そういうわけにもいかないのでそのままリンクしました。

   *

 先日、奈良である方(以下、仮名でAさん)とお話しました。その席で、私が『web同人詩誌『めろめろ』が終わるため、投稿サイトに復帰しようかと考えている』と言うと、Aさんは「投稿サイトの現状と、ネットの詩の未来の形」についてコメントされました。そのお話はとても興味深いものでした。
 これは私もAさんも同じ意見だったのですが、投稿サイトは今、終わっています。少なくとも先細ってはいる。個人サイト付属の投稿掲示板なんてもう流行らないし、もてなしやゲーム以上の意味はない。かしこまった印象のある『現代詩フォーラム』でさえ、安易な作品が増えすぎている。またそうした創作しかしない作者が流れ込みすぎている。投稿サイトでの評価は作品・作者の、ひいては詩の世界全体の向上に繋がらない……。
 Aさんによると、『poenique』の縮小もその流れの中にあるそうです。どうして『poenique』が急に縮小することになったのか疑問だったのですが、なるほど、と思いました。雑多な作品を集積・公開する投稿サイトの機能にはもう重要性がない。投稿サイトは今、詩誌のシステムを取り入れようとしている。選者や編集者を置き、詩作品・コラム・論評などを厳選し、質を高めて提供しなければならない。そうでなければ詩が認められていかない。いつまでも投稿サイトでざわざわとコミュニケーションしていても先へは進まない。実際、ネットから詩誌の投稿欄に人が流れ込んでいる状況はある。詩誌とネット詩が融合し始めている、もしくは、ネットが詩誌のシステムを応用しようとしている。そして、世間から認められるような人を育て飛び立たせようとしている……。

 いろんな方にご迷惑のないよう断っておきますが、もちろん実際の言い回しは上記とは違います。ここから下記も同様です。いろんな手がかりを私の中でいったん咀嚼してから書いているため、若原の勘違いが含まれている可能性もあります。
 また同じ意見をお持ちの方でも、人によって細部の考えは違うと思います。名前や細部ではなく、あくまで「二種類の一般論」そして「若原の迷い」としてお読み下さい。

   *

 私の考えは逆でした。一般が良い作品だと認めるから、良い作者は飛び立ち、結果として詩が認められるようになるんだろう。詩人が詩人を裁き、権威付けし、作品とは別のところで作者が評価されかねないシステム……それは状況をよりマニアックするだけだ。選者を立てるのではなく、大勢がそれぞれに良いと思う作品を選び出していく作業を地道に続けた方が実作者も読者もまともに育つはずだ。確かに『現代詩フォーラム』のポイントシステム(投票・お気に入りのようなもの)は失敗したが、それでも私は「一般の大勢がそれぞれに選ぶ」方向に期待している。また、それを簡単にできるのがネットという環境じゃないか……。
 私がそう思っているのは、私が『選者を置いても編集者が口を出しても、作者の能力は育たない。一作品へのアドバイスや批評は一作品にしか効果がない。結局、継続的な創作能力は自力で身に着けていくしかない』という考えでいるからです。
 また私は『詩形式は、詩らしい詩しか受け入れないわけではない。ポエムも書も同じ創作者だ。誰もがそれぞれに創作を深めることが重要で、それを支えるのがネット詩やオープンマイクという場だ』と思っています。定型詩という異形から投稿サイトやオープンマイクに入り、なんでもありの中で温かく迎えられ、自力でどうにか進んできた私は他人にもそうありたいと考えている。選ばれずに拒まれずに迎えられ、各自が自分で気付き、苦心し、どうにか自然と育っていくものに期待したい。

 まるで意見が真逆です。ですが、実はもともと話がかみ合っていません。そもそも論じている地平が違うのです。

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 私の話は「詩を書き楽しみながら、それぞれの作者が成長すること」そして「それを体験できるものとして、詩やリーディングが広まってくれれば」という見方です。あくまでいち実作者の視点に立っています。
 対して、Aさんが聞かせてくれたのは「世間が詩を認めるようしていくためには」であり「詩を売れる商品にするためには」という話です。「各個の詩作者は放っておいても勝手にやる。だがその中から『売れる』人を見つけ支え送り出すには、世話人が要る」。世間と実作者群のあいだに立つ視点です。

 私の話は個々の実作者に根ざしたものであり、詩の評価向上なんてその結果、おまけぐらいにしか考えていません。一方、Aさんが話してくれたことはマーケティングというか……出版やメディアも視野に入れた現実的な考え方です。私の考えは理想論であり、甘い。理想は理想でいいのだけれども「理想の前に努力すべきことがある」ということにネットの詩は気付いたのだ、と。

 だから、どちらが正しいとかいう問題ではないんです。微妙にずれているし、どちらにも長所・短所は含まれている。実際、Aさんは何度も「編集やプロデューサーが関って『売れるように』と詩集を作る。それが実際に売れたとしても、それが詩集が良い詩集かどうかはまた別の問題だ」と念を押していました。詩誌のシステムをネットに取り込むことについて、欠点は誰もが予感している。それでも、やらなきゃならないことは誰かがやらなきゃならない。
 なのに私は『その欠点が嫌だから、そのシステムは嫌だ』とつっぱね、先へ進もうとしていない。詩誌や選者のシステムを信じていない。私は、間違っていないけれど間違っている……。

   *

 オープンマイクの主催者としては、非常に悩みます。みんな肯定してあげたいとも思うし、もっと線引きやランク付けをすべきだとも感じる。『ランク付けはライブイベントに任せて、オープンマイクは楽しく毎回やればいいか』とも言い切れない。ライブイベントは数が少ないんだから。普段のオープンマイクから人を育て、客を呼ぶつもりじゃないといけない。でもそうやって詩のサイボーグ・詩の純粋培養・詩のプロフェッショナルみたいな化け物が育つのを私はこころよく思わない。生活と創作とが両輪のように回転し、無名の市民が自信を持ったり楽しみを見つけたりして活き活きしてくれるのが嬉しい。詩の超専門家みたいな人はお呼びじゃない。でもそんなこと言ってたら、低レベルな詩作者を増産するだけでは……。結局「なんでもあり」の全肯定は個人も場も腐らすのか……。内輪の場になって停止してしまうのか……。

 何度かこのブログに書いてきた企画『いろんなひとの詩論の作文を集めたサイト』も、私の「みんな肯定してあげたい」「それぞれ独自に成長し、それぞれ自力で育て」という考えから企画されたものでした。でも、ネット自体がもうそんなノリじゃないのかもしれない。そもそも企画サイトが成功する流れも感じない。でもやりたいし、やる意味があると思う。でもやり方は変えなきゃいけない。どうしたらいいのか……。

 私は詩らしいを書き、それを朗読し活動している「詩の人」ですが、私は『オープンマイクに詩じゃない作文朗読が来てもいい』『ポエムも嫌いじゃない』『詩なんて書かない方がまとも』という感覚でもいます。「詩の人」だけど、「詩を愛している」というわけでもないし、「詩の専門家」でもないし、「詩の認知度向上のために」と活動しているわけでもない(この点は過去に『詩的についての断章』で少し触れました。私は、詩的や詩作者が好きなのであって、詩形態や詩業界が好きなわけではないんです)。

 悩みます。非常に悩みます。そしてなぜ悩むのかと言えば、私の意思がはっきりしていないからです。自分の体験からしかものを考えられず、実作者にも業界関係者にも徹せず、立場が定まっていない。
 結論としては、私はもうしばらくこのままでいるつもりです。『詩のあるからだ』も「基本的に楽しい会を目指す」という方向で続けます。でも、それでいいのか?……と違った視点の気配も抱えていくことが、しばらくは、自分のためになると思うんです。

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 話は冒頭に戻ります。リーディングライブの出演でしたらこんな話は関係ないのですが、執筆依頼のような話だと、こうした「考え方の違い」は必要だと思うのです。
 といっても、別に人や物事を門前払いしたいわけではなくて。……私は今あるものを書くことになっているのですが、その依頼主や作品と対面しているうちに『私の考えやスタンスを理解してくれた上での依頼というのは、本当にうれしいものだなあ』と感じているんです。

 このBlogのこの投稿は、多くの方への参考として書きました。私の作品を読んだり聞いたりには全く無関係なんですが、「詩の人」「詩の活動家」として若原を見る場合には、ちょっと思い出して頂けると幸いです。
posted by 若原光彦 at 20:18 | Comment(0) | TrackBack(1) | 雑感

奈良へ行ってきました

 24日(土)〜25日(日)、奈良へ行ってきました。『ALL WORDS COA Soul of Replicant〜響 '05〜』に出演してきました。椿さん主催の『ALL WORDS COA PROJECT』という活動・創作グループがあるのですが、その延長として吉田さん・ホムラさんが主催されたクリスマスライブです。

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 奈良へは「大垣→米原→京都→奈良」と在来線で行きました。前日と前々日に大雪があったため、地元最寄り駅への道からして雪だらけ。米原の前後はどえらい吹雪でした。遠くの風景が灰色にかすんでいて、灰色の空と一体になって、見えるもの全て水墨画のようでした。

 京都駅では乗換えをミスり、30分ほど往生しました。暇つぶしに途中下車し駅構内をぶらついてみたのですが……不思議な駅でした。京都って、世界の京都なのに。今日び岐阜でも大垣でもちょっと見られないような、やけに古びた店舗が並んでる……。ネオンがでかでかとゴシック体だったり。高度経済成長の前後か! というような、いま見るとちょっと恥ずかしい感じの建てもの。
 そう言えば上野もちょっとそんな感じがしたかなあ。うーん。大都会って逆に古いものをそのまま残して使ったりするのかなあ。
 と思いながら駅をぐるっと周り、逆の改札口に回ってみると……そちらは真逆、どえらい近代的で21世紀的でした。なに石なのか知らんが床がツルツル。天井がやたら高くて、しかもガラス張り。何に使うんだか空中回廊まである。一部に『手塚治虫展』のポスターが貼られていて「♪メルモちゃん・メルモちゃん・メルモちゃん……」とBGMが流れていました。なんだこりゃ。
 駅の構造案内図があったので近づいて見てみると、案内図とは別にプレートがついていました。よくわかりませんが、海外から「駅建築の賞」を受けたとのこと。うーむ……。確かに賞に値する建物だとは思うけれど、こういう「隙間と密閉の差が極端な建築」って好きじゃないなあ……。名古屋だと『ナディアパーク』とか。

 京都駅から奈良線(だったかな。路線名をよく覚えてない)に乗りました。JR関西は、発射のベルが「ぴんぽろぴんぽろぱんぽんぴん」って音でした。のどかで警告になってない気もするけど、京都にはよく似合ってたかな。
 私は快速に乗ったのですが、奈良線の普通電車は面白かったです。先頭車両と最後尾に曲面がない。まるで緑のカマボコみたいな形。しかもクレヨンで塗ったみたいな黄緑色。オモチャみたいで好きでした。写真撮ればよかったかな。

 あ、そう言えばJR関西の電車は車体の「快速」って文字が斜体のゴシック体で、いかにも「快速ビュ──ン!!」って感じでした。ちょっと見飽きるかもしれないけど、愛嬌がありました(言葉じゃうまく伝わらないよね、きっと。これも写真撮ればよかったかな)。
 あとJR関西は、電光掲示板に「どちら側のホームのどの番号・どの色のところで待てばいいのか」まで表示されていました。あれは良かった。とても助かる。JR東海だと、次の列車が何車両なのか表示されてないことがあるからなあ。

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 結局、家を出て3〜4時間で奈良に着きました。奈良駅を出たのが13時ぐらい。会場の『なら100年会館』に向けて西口改札から出ると……おや? ここって本当に、県庁所在地の駅前か?
 会場が駅のすぐ直前にあるのは知っていましたが……周囲に何にも店舗がない。繁華街もない。アーケードも商店もない。ドラッグストアとホテルとアパートとマンションぐらい。華やかさというものが全くない。一瞬『間違えて別の駅で降りたか?!』と思いましたが、目の前にはちゃんと『なら100年会館』が見えている。これは……?
 あとで椿さんから聞いて知ったのですが、こちら側はいわゆる「鬼門」に位置するため、あまり使用されてこなかったとのことです。で、その跡に建てられたのが『なら100年会館』だとか。なるほどなあ……よくわからないなあ……古都らしいと言えばらしいのかなあ……。

 入りまでまだ時間があったので、駅の反対側にも行ってみました。私はこの夜、現場周辺のファミレスかネットカフェで夜明かしする予定でした。あらかじめ『Googleローカル』であらかた調べてはいたのですが、掲載漏れもあるだろうし、年末年始は営業時刻が変更になってる店もあるかもしれないし……ということで歩き回ってみました。
 奈良公園や東大寺は、JR奈良駅のずっと東側にあります。そのため、駅から観光名所まではずっと繁華街でした。……と、店舗の隙間に突然「立ち入り禁止 宮内庁」なんて立て札と門がありました。何だったんだろう。
 あと、サンタ衣装の青年がふたり、看板を手に「本日14時からなんたらかんたらで大阪なんたらかんたらの生放送がありま〜す! M−1グランプリ敗者復活なんたらかんたらが漫才を〜」と叫んでいました。信号待ちしてたら近づいてきて、私の真後ろに立たれました。
 せっかくだからこっちも『本日17時半よりなら100年会館小ホールでリーディングライブイベントを行いま〜す! 入場料500円ワンコイン〜』とか叫ぼうかと思いましたが、思い留まりました。
 あるいはふたりと一緒になって『ラジオの生放送?! 俺も見に行きま〜す!』とか叫ぼうかと思いましたが、嘘はよくないのでやめました。何を考えているのだ旅人よ。

   *

 ドラッグストアでパンと水とカロリーメイトを買い(店員さんが異様に丁寧でした。体の前で手を重ね「ありがとうございました」とゆっくり礼をされました。『これも古都だからか……?』とよぎりましたが、それは考えすぎというものでしょう。……もとい。ドラッグストアで買い物をして)、まだ早かったのですが……寒かったし、会場へ行きました。会場内のベンチで遅い昼食でも食うべえ、と。
 で、入館する前に外の喫煙所で煙草を吸っていると……椿さんがぶわっと現れて驚きました。気づきませんでしたが、館の正面入口とは別に壁面に館内喫茶店への入口があったんです。会場の小ホールはまだ開いていないとのことだったので、ビールを1杯頂きつつ、ちょっとした話をしました。

 その後、自分が昼食を済ませていなかったことを思い出し……館内のベンチを探しました。どこにもないな……と思ったら、会談の真下、うす暗いところにパイプ椅子が並べてありました。『こんなピッカピカの建物なのに、作りは意外とざっくりしてるんだな』と思いながら椅子に座ると、狙ったかのように正面の壁に「この場所での飲食を禁じます」とプレートがありました。いや、狙ったんでしょうけど。しかも当たってるし、俺。
 仕方がないのでトイレに入り、音を立てないようこっそりとパンを食べました。……よくあることです。私は気にしません。気にしませんが、ちょっとは気にしろ、という説もあります。しかも有力です。説得力がありますね。

 どうでもいいのですがトイレの手洗い場、その蛇口がオットセイみたいで可愛らしかったです。……。いま気づきましたが、こんなものの写真は撮るんだね、俺……。

   *

 時間になったので小ホールに入り、楽屋に荷物を置き、すこし椅子並べなどを手伝い、いくつかの説明を受け、他の出演者と挨拶を交わし……あとは出番まで待ちました。

 小ホールは、広さの点でちょっとだけ『刈谷市民会館』の「地下練習室」に似た感じもしました(実際には2倍か3倍くらいあったのかもしれない)。一度行ったことのある『可児市文化創造センター』の「映像シアター」とも違った感じで……どう言えばいいのかな。防音設備の整った正方形の広間で、床は足音がしないように絨毯が貼ってある。楽屋もスタッフ用通路もあるけど舞台袖はない。実にプレーンな「ホール」でした。それ以上でもそれ以下でもない。
 演劇やダンスみたいに多人数がバーッと出るイベントならちょうど良い広さと機能なのですが、詩にはやや余るところもありました。ぽつんと前に立って朗読するのでは、声も分散するし、お客さんの気持ちは離れていってしまう。

   *

 開演。「出演者も会場内で観覧してよい」との言葉を頂いたし、実際見てみたい人々ばかりのイベントだったのですが……今回私は出演者に徹するべきかと思って。楽屋に残りました。

 ちょっとわかりづらい話だとは思いますが……詩のイベントにおいて「出演者のパフォーマンス中、司会者が、ステージに残るか・客席に降りるか・舞台袖や楽屋に消えるか」また「出番を待つ出演者が、舞台上で待機するか・客席に降りるか・舞台袖や楽屋に消えるか」は意外と重要です。
 ちょっと強く言うと。詩の場合、お客さんは出演者をナメて来ています。「聞いたこともないアマチュアサークルの発表会」ぐらいに思って来てます。しかも「知り合いだから来てる」という方も多く、なんらかの他表現をしている割合が高い。
 そのため(喫茶店や小規模ライブハウスでなら問題ないのですが)ちょっと広い会場でしっかりステージを見せようとすると、演出進行をそれなりに徹底する必要があります。ハードルの高い会場では、ナメて来てる(期待しないで来てる)お客さんたちに、完成されたショーとしてライブを見せつけなきゃならない。
 具体的には、たとえば出演者がみだりに客席に登場してはいけない。出演者・スタッフだからといって地べたに座ってはいけない(必要なら客から目立たない所にスタッフ席を用意しておく)。客席を真っ暗にし、ステージのみライトアップして遠さを感じさせないようにする。中途半端なことはしない。できないことはしない。させない。

 会場を見て、また席数や司会の方針などをメールで聞いていて……今回のライブはそうしたタイプのイベントなのだと思っていました。舞台袖がなかろうと小ホールだろうと何だろうと。これは気合の入った、バキッとした会なのだ。中途半端に『見たい』とかワガママ言ってる場合じゃない。だいたい私は呼ばれた側なんだ、うろうろして会のレベルを下げられる立場じゃない。ここは安全最優先で行動しよう。
 というわけで、ひとり楽屋に残ることにしたのですが。
 楽屋の防音設備も最高でした。なんにも聞こえない。ここまで何も聞こえないとは誤算でした。ちょっとは様子がわかるだろうとタカをくくったのが甘かった。ううむ、会場の空気もわからない。『生半可なプロ意識で虚勢を張ってる場合じゃなかったのかもしれない……素直に会場に居たほうが正解だったのか……』と悔やみましたが、あとの祭です。仕方がないので楽屋を出て、ステージ裏の防音扉に耳をくっつけ中の様子を聞いていました。
 と、おやっと思いました。各出演者がリーディングの前後に告知や作品解説をしている。『あらっ、バキッとしたクリスマスライブじゃなかったのか……自然体に緩やかにやってよかったのか……』。ますます自分の判断ミスに直面し、ひそかに焦りました。うう〜、こわいよ〜、不安だよ〜……。
 落ち着け俺、ということで水を飲んだり、カロリーメイトを食べたり、煙草を吸いに外まで行ったり。自分で自分の首を絞めて勝手に苦しんでました。情けない……。

   *

 私の出番は第2部の2番目。2部の前には休憩時間中が設けられており、客席に自由に出入りできました。防音扉の裏で出番を待ちアナウンスを聞き逃したら大変だ……ということで、やむなく会場に入り客席に座りました。
 名古屋の詩のライブでは、お客さんは知人・詩人・歌人・音楽やアートの方などが多く、出演者だけでなく客席にも微妙にバラバラでとんがってて大人しい、独特の雰囲気があります。6月の東京王子でもそうでした。
 でもこの日は、公営施設ということもありちょっと不思議な感じでした。みんな身なりがいい。おしゃれをしてるわけじゃないんだけど、すっきりカジュアルでカッコいい。若者も高齢の方も目立ってない。30代前後〜40代くらいの男性が多かったかな、外見で年齢はわからないけれど。『なるほどなあ、会場が違い、土地柄が違えばお客さんも違うんだなあ』とぼんやり思いました。

 しばらくして、第2部が開始。なんとも……どうしてもお客さんには響いていかない。『ポエトリー・リーディングは物語でも漫才でもない。やっぱり一般のお客さんにはつまらなく感じちゃうのかな』と思いましたが、そういうわけでもないらしい。お客さんがなぜ無反応なのか、なぜ何人かうつむいてるのか、さっぱりわからない。疲れてるとか眠いとかいうことでもないらしい。表情はしっかりしてるけど聞いている風ではない。
 MCの紹介があり、私の番が来ました。この演目では受ける気がしないが、もうこれは覚悟するしかない。いまさらジタバタしたってしょうがない。引かれるだけ引かれるのでもいい、他では見れない「何者か」を見せるしかない。バキッとやるしかない。
 ようするに、お客さんと対決するスタイルになりました。えせプロ意識が裏目に出てさらに反転して非常にまずい作戦が残ってしまった。『ムードも客層もマイク感度も何もかも無視、「何だこの変な青年」と思った人はその「変なもの見た」をお得感として持ち帰ってくれとしか』という。ケンカ売ってます。開き直りです。バクチでした。……真似しちゃいけない。有料ライブでそんな水際作戦やっちゃいけない。いろんな意味で失礼だ。って俺だ……。

 演目には、クリスマスに似合う、しっかりしたイベントに出せる作品として『とてもかわいい女の子になりたい』『ビヨンド』『本当の神様の話をしよう』の3作を選んでいました。『ビヨンド』まではマイクを使ってなるべくプレーンに朗読してたんですが……やはり反応がわからない。前の出演者と同じく、お客さんが聞いているのかいないのかさっぱりわからない。ひとりは目を閉じてるけど、寝てはいない。うつむいてた人は起き上がってるけどこちらも聞いてくれてるって感じじゃない。客席の向こう、壁際に他の出演者さんが何名かいましたが、彼・彼女らですら表情がない。距離が遠いためか、聞いているの聞いてないのかわからない。状況が把握できない……。
 もうどうにもならん。ふっきれて。みっつめの『本当の神様の話をしよう』ではマイクを離れ、歩き回りながら地声で読みました(客席とステージの間にテーブルが置いてあったため、そのテーブルが最前線でした。テーブルをすり抜けて客席に踏み込むまでは考え付きませんでした。そこまで壊れた方が徹底しててよかったかもしれない)。声はよくなかったと思います。聞こえない程ではなかったと思いますが、聞きづらかったでしょう。でも「何者か」を見せてるだけなんだから関係ない。ってその姿勢はもうリーディングじゃない……。
 3作が終わり礼をすると、拍手が聞こえました。でも盛大な拍手ってわけじゃない。防音扉の向こうで聞いてた時も、拍手はいつもそれなりに大きかったから『なるほど、この拍手は、私がさほど受けたのでも、「よく頑張りました」って思われてるのでもなさそうだ……』。テキストを拾い、上着を掴んでそのまま会場を出ました。私は告知や挨拶をする必要もなかったし、する気もなかったし。妙なことやった出演者がそのまま客席に戻るというのも感じ悪いし。消えるしか。

 会場から楽屋に戻りましたが『うがああああああああああ────────!!!!!!』と心の中で叫びわめいていました。ある方がいらして「よかったですよ、拍手もこれまでではいちばん長かった」といった意味のことを言ってくれたのですが、私は『うそだぁぁぁ』と完全に悲観モードでいました。少しして別の方が握手しに来てくれたのですが、まだ『あはははは(うそだぁぁぁ)』と悲観モードでした。
 カロリーメイトをまた食べ、煙草を4本吸い、自販機でコーンスープを買って飲んでどうにか落ち着きました。今あの晩の私のステージのこととなると……どうにも。評価できかねます。出演者は力のある方ばかりだったから、たぶん何人かは賛否両論を持ってらしたんじゃないかな……。
 で、テンションは落ち着きましたが、気分は動転したまま。しばらくショック状態で、その後の演目は防音扉越しにですら満足に聞けてなかったです。本当にもったいないことをしました。池上さんは新作を読んだらしいし、窪さんのリーディングはしっかり聞いておくべきだったし。菊花さんのステージはまたパワーアップしてたようだし。……まあ、自業自得なんですけど。

   *

 イベント終了後、後片付けを少し手伝い、何人かと会場を出ました。二次会の予約がしてあるとのことで……正直、恥をさらして出るべきじゃない、とは思ったのですけれど。話してみたい人もたくさんいたし、着いていきました。
 この二次会はお客さんも参加できる場でした。最後までいてくださった20代くらいの男女が前の席にいらっしゃり、テキストを見せて欲しいと言われたので今日の3作をお見せしました。「最初のが好き」とか「『本当の神様の話をしよう』で『あれっ、もう終わりなの』って思った」とか、嬉しかったな、素直な感想を頂けて。会場ではムードが読めなかったけど、実際は悪くなかったらしい……でもまだ半信半疑です。
 このお客さんだったおふたりも詩(や、そのようなもの)を書くとのことで、「万人向けの詩というのはあるか」「詩は体で書くか頭で書くか」「詩は瞬間的にできるものなのか」などの質問をされました。オフラインでいろんな人に会ってきましたが、ここまでストレートに詩について学ぼうとされた方は初めてでした。実作者同士だと「他の実作者には聞きたくても聞けない」という心理が働くことがありますが、この日のふたりはとても率直で、誠実でした。話していて有意義に感じました。
 二次会では、窪ワタルさんとあれこれ話したりもしました。あちこちのイベントに通じていて、本もたくさん読んでいて、非常にしっかりとした方でした。

 二次会のあと、椿さん・池上さん・窪さん・私の4名で三次会となりました。本当はネットカフェに行くつもりだったのですが、まだ時間もあるし1杯飲むか……となり、1杯だけならと私も着いてゆき、その1杯だけで1時間ぐらい話し。つまみを頼み。酒のおかわりも頼み。結局、朝5時までだべりました。
 椿さんも窪さんも非常にしっかりした方なので、少々こわもてな会話だったかもしれません。池上さんがいて助かったなあ……私はイベント制作というより、いちパフォーマー・いち実作者に近いから。多人数が関わった際の困難や、金銭問題などについて興味深く拝聴してました。
 イベントをやる際に「どんな会場を使うか」という点はとても大きい。名古屋でもそれは感じてきましたが、実経験のある方のお話を聞いてあらためて思いました。あと「詩集」「詩集賞」「詩誌の投稿欄」についての話も勉強になりました。私はあまり紙メディアに活動を向けてこなかったから。
 あとは……「詩のボクシング」についてとか……「井上陽水はすごい」「波平の毛がまくらに刺さる」なんて話もしたような、しないような。なんのこっちゃら。

   *

 朝5時。4人で居酒屋を出て、そのまま列車に乗り(座席で居眠りしながら)それぞれに帰りました。私が京都から米原までの普通に乗ったのは6時41分。米原から岐阜・名古屋方面の快速に乗ったのは確か7時20数分。家に帰ったのは9時半ごろ。
 前日より晴れて、雪も少なかったのですがとにかく寒かった。米原駅ホームでの列車待ちが辛かったな。冬は夜より朝が寒いんだ……雪が降っても振らなくても。
 行きは車窓が水墨画のようで綺麗でしたが、帰りは京都〜米原間の日の出が綺麗だったことぐらいしか憶えてません。まあ、想定の範囲内でした。疲れたといっても。

 疲労や出演後のショック状態より、もっと得るものが大きかった奈良滞在でした。よい体験をさせて頂いたと思ってます。みなさん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
 二次会で『Soul of Replicant』のカンバッジを貰いました。この日の体験を忘れないよう、カバンに付けておこうと思います。
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2005年12月17日

レモンさんレイさんおめでとう

 遅くなりましたが、祝福の意を込めしたためさせて頂きます。

   *

 12月11日、日曜日。鈴木陽一レモンさんとシバタレイさんの結婚記念パーティーがありました。親族での披露宴は別に行ったそうで、この日は二人の友人知人が集まっての会でした。場所は新栄のレストラン。私はうまくたどり着けずに周囲をぐるぐる回ってました。刀剣屋なんか見つけちゃったりして、店頭にツバが並んでたりして……すごく入ってみたい誘惑に渇られたのですが、んなとこ入っても新郎新婦はおりませぬ。祝いの日に剣呑な品を見てもしょうがなかろう、というわけでその店はすごすご通り過ぎ、どうにか目的地に着きました。
 まあ、小刀のひとつでも買ってレイさんに贈っていれば「斉藤道三ごっこ」ぐらいできたのかもしれませんが……そもそも私は新婦さんの父などではないし。やっぱり怖いし。刀ってきっと(知らないけど)めちゃんこ高いんだろうし。入らなくて正解でしたね。都会は危険がいっぱいだ。

   *

 さておき。パーティーですが、とてもまったりした、にこやかな会でした。久々に波並忠さんやサトルさん(二足歩行クララさん)に会ったりもしました。桑原滝弥さんがひょろっと現れ「俺も来年結婚する」とか中途半端な嘘をついたりもしてました。楠木菊花さんもお元気そうでよかったです(あいかわらず細かったけど)。古村てっちゃんはスーツ姿が決まってました。ASSMAさんやサムライのメンバーもいらしたな。平林さんは相変わらずカッコよかったな。
 会場はレモンさんレイさんのご学友や知人でいっぱいでした。60人ぐらい居たんじゃないかな。みなさんお綺麗で、私たち野暮な詩人勢(ってこの表現もどうかと思いますが)は珍妙に浮いてました。年齢層も服装もバラバラな一段が固まって話してる状態。あれだ、結婚式の二次会とか、お葬式とかにひょっこり現れて場の全員から「あれ、誰?」ってささやかれながらも場に居つく家族サギ師みたいというか。
 詩人連中は私の色恋沙汰が見たいらしく、なぜか「若原の恋人候補を探せ」って話にもなってました。某さんいわく「こういう所はそういう場でしょ」だそうですが、違う(笑)。新郎新婦のお祝いの席よ(笑)。……皆様ご心配おかけしてすみませんです。
 お酒も入ってましたし記憶があやふやなのですが、ブルージーキャットのタロウさんに何度か不思議な撫でられ方をしたような記憶もあります。よい思い出です。……そうか? うーむ。

   *

 と、私の知人のことはこれぐらいにして。

 レモンさんレイさんは、大変お綺麗で幸せそうでした。挨拶をし、知人たちからメッセージカードを受け、数分ごとに写真撮影責めに遭ってました。ケーキカットの前だったかな、ある方が歌を贈られたのですが、歌を聴きながらレモンさん涙ぐんでおられました。レイさんのウェディングドレス姿はとても可愛かったです。そのドレスはサトルさんが手製されたものとのことでしたが、非常に良くできてました。後姿にワンポイントのリボンが伸びていたり。素敵でした。

 何人もの人が2人に話しかけ。彼・彼女からすると、全員が知っている人、好きな人で。みんなが2人のことを祝福していて。
 その……もちろん人生は続くのですけれど。映画やゲームでも昨今ちょっとないぐらいの、ハッピーエンドな状況でした。どこからともなくエンドロールが流れてきそうな。監督が舞台袖から現れて喝采を浴びそうな。現実感を失うくらい、善意に満ちた場でした。……出席者の大半は私の知らない人たちでしたが、『よかったね』って思いました。『こんなに善い人たちが居て』。

 ものごころ付く前を別にすれば、私はこうした場に出たのは初めてでした。……うん……臭くてありきたりの表現になってしまいますが「こちらも幸せを分けてもらった」という気がしましたよ。あの場に居られて、自分は幸せでした。

 ……すいません、本当はもっと2人のことを書くべきなんですよね。自分のことばかり書いてしまってるな……。

   *

 この日、パーティーが終わって2時間半ぐらいのち、二次会として『涅槃』でオープンマイク&ミニライブが開催されることになっていました。提出物もあるしどうしようか迷ったのですが、知人に「行こう」と促されたし、もうちょっと名古屋に居たい気もしてきていて。二次会も出席することに決めました。
 とはいえ、パーティが終わってから二次会まではまだ時間があったので、水尾さん・てっちゃん・林本さんと今池のデパートで腹ごしらえしました。パーティがすごくまったり幸福な感じだったので、私もみんなもちょっと眠くなってたみたいです。外が寒かったせいかもしれない。理由はわからないのですが、パーティーの後、二次会でも何人も眠そうにしてました。気が緩んだってことなのかも知れません。たまにはいいよね、そういう一日も。

 何人かは先に帰ってゆかれましたが、私は二次会をしばらく見ていました。加久さんが桑原さんの詩を代読したり、ツバキ嬢さんがヒューマンビートボックス(いわゆる「ボイスパーカッション」)とコラボレーションしたり。フリースタイルでのラップが試されたり。サムライが久々に結成され、ハウリングなど物ともしないエネルギッシュでガンガンの演奏を聞かせてくれたりしました。
 この日、サムライの演目にオリジナル曲『ナミノカナタ』がありました。ボーカルさんとレモンさんの息の合った交代を聞きつつ『カッコいいのう。ええのう』とニコニコ聞いてたら、急にハッとさせられました。歌詞に「ママになる君の姿・見たいような・まだ見たくないような」という一節があったんです。この歌は「この夏の君との恋が、来年もさ来年もずっと続きますように」という内容の歌でした。

 数年前に私がレモンさんレイさんと出合った頃、2人はまだ付き合っていませんでした。それがいつのまにか仲むつまじくなり(『ぽえ茶』の二次会でひとつの皿うどんを2人で食べてたこともありましたね……)、時は流れ、この日のご結婚記念パーティー。

 ……末永くお幸せに。いや、人生は長いから時には幸せでなくても構わないのだけれど。なんかこう……何が起きても、起きなくても、2人にはオーライでいてもらいたいなあと、思ったのでした。うまく言えないんですけど。うん。
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ピラカンサがこわい

 今日は変な日でした。間違い電話が3件もありました。私の家の電話番号はちょっと特殊で、よく間違い電話がかかってくるのですが……今日のは最初が「○○の更新所ですか?」で、次が「なんたらのなんとか課ですか?」で、最後が「森さんのお宅ですか?」でした。日に3種類の間違いがかかって来るなんて、今までなかったことです。
 そして3件とも、私が『違います、若原という民家で、よく間違われるんです。ご確認下さい、うちの電話番号は……』と説明しだすと突然「すみません間違えました〜」と切られました。
 間違えたからって、いきなり切らんでもいいやん。いや、向こうも慌てたんでしょうけど。用事はあるし間違えるしで。

   *

 さておき。

 今、庭のピラカンサに赤い実がたわわに付いています。食べられるものだったら喜んだんでしょうが、そうじゃないから。どうも、見た目の毒々しさばかり遠目にも映えていて、微妙な感じです。クリスマスっぽくはありますけど……。
 場違いというか異質というか季節に合ってると言うか、なんというか……『すごい野郎だなピラカンサ』とは思うのですが、彼岸花ほど好きにはなれないです。なんかね、怖いんですよ。つぶつぶブツブツした実のなり方が。見てると耳の穴がゾワゾワしてくる。

 たとえば、風呂のふたを開けてそこにあの実がぎっしり詰まってたら、私は気絶すると思います。ミミズでも蜘蛛の子でもいいんですが、こう、集団でうじゅるうじゅるしてるビジュアルって怖いじゃないですか。何が怖いのかわからないけれど。

   *

 ひとつ思い出したのですが。私にはすごく怖いものがひとつあります。が、それには名前がありません。初めて見たのがいつかも思い出せません。
 こう……大きめのビー球ぐらいの大きさで、表面に滑らかな線状の凹凸が走っています(この「線」はけっこう太めです)。線の峰の部分は金色で、窪みの部分はススが溜まったみたいに黒くなっています。持つとひんやりしている。それが何なのか私は知らないけれど、とにかく非常にまがまがしい・ヤバい物だってことだけはハッキリわかる。ひしひしと感じる。

 なんだかわからないでしょ。私にもよくわからないんです。よくわからないのですが、私にはリアルに思い描くことができます(今はあまりリアルに想像しないよう気をつけながら上の文章を書きましたけど)。数ヶ月に一度、フッとその謎の物体の映像が脳裏をよぎり、とてつもない恐怖感に襲われることがあります。遠ざかりたいのだけれど、自分の脳のスクリーンに映っている絵だから逃げられない。むしろどんどん鮮明になってくる。私が崩れ落ち、わななき眼をひんむいてハアハア震えていると、フッと消えていく。なんなんだろう……。

 よくわからないのですが、あれは私の何かを抽出し造形化したものなのかな。まあ、私の想像上の物体だということだけは確かです。
 すごくリアルにイメージできますよ、いつでも。材料と技術があれば寸分たがわぬものを作れると思います。自分の恐怖の対象をわざわざ自作する意味がよくわからないけれど。
 と、ここで気づいた人もいるかもしれないけれど。寓話『最悪人形』は私のこの件がもとになっています。

   *

 ……。なんでこんな話になっちゃったんだろ。ま、いいか。とにかく、ピラカンサは名前がカッコいいな、ってことです。
posted by 若原光彦 at 01:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

最近読んだ本

 さて、ここ最近……といっても、9月以降だと思うんですけど。読んだ本をまとめておきます。順不同です。読後直後のメモなども混ざっているので、今現在からすると『そうか、この時こんな風に思ってたか』なんて箇所もあります。

   *

『文学名言集(日本編)』
著者:古谷綱武(ふるやつなたけ)
発行:株式会社ポプラ社
レーベル:世界名言集
昭和42年11月30日
*知人の家から貰ってきた。なぜこれが彼の家にあったのかは不明。
*日本の文豪たちの、名言を集め解説を加えている。名言の数は多くないが、人物の数はは多い。「田宮虎彦」までなら『名前だけ知ってる』と言えても「和田伝」「水上滝太郎」「広津和郎」となると聞いたことも無い。私が浅学なだけかもしれない。
*正直、本の詳細はあまり頭には残っていない。文豪たち数十人を一気にハシゴすると……かえって一人一人の印象が残らないみたいだ。
*この本、中学生を対象に企画されたものらしく、文章が軽快で、写真も多い。文豪一人一人に、ちゃんと顔写真が掲載されている。まあ、文豪のつら構えを見たからといってどうなるものでもないが、そこはかとなく、ありがたみがある本だとは思う。

『それも気のせいでありますように』
著者:岩城伸子(いわきのぶこ)
発行:フーコー
発売:星雲社
2002年3月25日 初版第1刷発行
*たしか名古屋のどこかのブックオフで手に入れたのだと思う。わからない。
*歌集。凄まじくきれいな本。自分が詩集を作るならこんな風にしてほしい、と思ってしまった。フォントが灰色で淡い。ページの表裏が繋がっていたり、謎の切り取り線が走っていたり、とても贅沢で不思議な作りがされている。だが、それが内証的な短歌にとてもよく合っている。きれいな本だ……。
*短歌自体は、教訓的というか……カレンダーに毛筆したら売れそうな気もする作風。「恐ろしく自信が無いのに希望など捨てた試しが無いのも事実」「ちっぽけな悩みと笑えた自分自身ちっぽけだとは笑えなかった」「あの時の精一杯は現在の私の限界ではありません」「結論は出てるのでした 習い事サボったあの日の笑顔みたいに」「目の前に海があったし二人とも裸足だったから夏だったんだ」など。スッと入り込んでサクッと切られる。痛いけど気持ちいい。さわやかに憎い。冷たくて気持ちいい。……好きだな、こういう温度。切なくなるけど、優しくもなれる。読んでいて気が静まる。好きだな。きれいな本だ。いいな……。

『ブルース』
原題:C'est beau une ville nuit
著者:リシャール・ボーランジェ(Richard Bohringer)
訳者:鳥取絹子(とっとりきぬこ)
監訳:村上龍(むらかみりゅう)
発行:株式会社幻冬舎
レーベル:幻冬舎文庫
平成9年4月25日 初版発行
*千種の(『神無月書店』だったかな? そんな名前の)古本屋さんで購入。
*著者はフランスの役者さんらしい。本書は、本国ではベストセラーだったそうだ。散文と詩文が混じる独特の小説。「僕は人生にサインした」「人生よ、僕にいっぱい時間を残してくれ」といったフレーズが光る。……しかし、小説としてはかなり個人的で独白的で読みづらい。展開らしい展開もない。共感したり何かを学んだりは期待できない。波長が合わなければ辛い読書になるだろう、かなり個性的な本。
*村上龍の役割は不明。原文からしてそうなのかもしれないが、全体的にリズムが悪い。読みにくく、イメージしにくい表現が多かった。
*巻末の、訳者による「解説」のミーハーな文章に萎えた。本編の重苦しいハードな雰囲気をぶち壊しにしている。どうにも……そういう本だと観念するしかなかった。よさげな予感がしたのだが、まんまと背表紙の「村上龍」という文字に騙されたと言えるのかも知れない。

『詩集 海景』
著者:桜井節
発行:捩子文学会
昭和34年8月10日(三〇〇部限定)
*これも千種の古本屋さんで購入。
*どうしてこの本を選んだのかよくおぼえていない。とにかく、1990年以後とは違う、メジャーでもない人の詩が読みたかったのだと思う。
*タイトル通り、約半数の作品は海の風景。しかし、何かが起こるドラマチックな海ではない。「どんなにゆすってみても/動かすことができない/舟影も見えず/うねりもない」のどかな海だったり、「波は言葉を持たないので/砂浜に幾重にも/のらり、くらり/ながいながい曲線を描いた」というたっぷりした海だったりする。平和で、どーんと広がっている海。ドラマチックな展開は無い。型にはまった感傷も似合わない。ただの海を、誇張せず持ち上げずにまろやかに書いている、と思った。
*ドラマチックじゃないから、刺激が少なくてつまらないと言えばそうなのかもしれない。だがこれはこれで、目立たないけれど芯の通った詩作だと思った。

『ボブ・グリーン 街角の詩(うた)』
原題:Johnny Deadline, Reporter
著者:ボブ・グリーン(Bob Greene)
訳者:香山千加子(こうやまちかこ)
発行:株式会社新潮社
レーベル:新潮文庫
平成4年3月25日 発行
*名古屋熱田の古本屋で買った。50円。
*著者はアメリカの名コラムニストらしい。ふざけた話、さわやかな話、切ない話、いろいろ載っているが、どれもとても上質。著者自身の影をおさえひかえて、出来事のみを淡々と記すスタイル。これは嫌味が無くていいな(形だけなら真似られるが、やはり題材が悪いとこう上手くはかけないものらしい、コラムって)。
*なお、著者自身を黒子として記述する彼のスタイルは、臆病・卑怯として非難もされているらしい。確かに毒舌は吐かないし、危険の中に突入していくみたいなエピソードも無い。単に、国のあちこちの逸話を読ませてくれるだけ。……そこがいいと思うんだけどな。
*にしても、どうやったらこれだけ良質なネタばかり集められるのだろう。とはいえ、彼はラストで「ネタ探しとして走り回り、人と話し、過ごし、暮らす」ブンヤの生活の異常さに心痛めてもいる。「クレバー」かつ「そこそこ普通」の人だから、こうしたものが書けるんだろうか。うーむ……。

『十七歳 1964秋』
原題:Be True to Your School
著者:ボブ・グリーン(Bob Greene)
訳者:井上一馬(いのうえかずま)
発行:株式会社文藝春秋
レーベル:文春文庫
1994年9月10日 第1刷
*名古屋熱田の古本屋で買った。50円。
*同じくボブ・グリーン。著者の17歳の頃の日記をもとに、日記形式でつづった小説。恋人に振られたとか、人妻に恋したとか、ラム酒の飲み方がわからんとか、目ざとい校長がいて学校にブーツを履いて行けないとか……非常に、とても、「なんてこたぁない話」が延々と続く。
*最初はひどくつまらなかった。あの鮮やかなコラムを書いてた人と同じ人の著作とは到底思えなかった。が、だんだん「なんてことなさ」が面白くなってきた。主人公の恋の波乱も大きくなり、心理的振幅も増してきた。……けっこう地味な本だと思う。悪い本ではないけれど、強く何かを感じるわけでも、強く馴染むわけでもなかった。私とは距離感の遠い本だった。そりゃ生まれた時代も国も違うんだから当然なのかもしれないけれど。
*なお、前編となる『十七歳 1964春』もあるらしい。私はこの『秋』しか持っていない。

『時の果てのフェブラリー─赤方偏移世界─』
著者:山本弘(やまもとひろし)
発行:株式会社徳間書店
レーベル:徳間デュアル文庫
2001年1月31日 初刷
*SF小説。数年前に買って、積んでた。ヒロイックなものが読みたくてひっぱり出した。
*角川スニーカー文庫版との違いはほとんどわからなかった。
*地球に出現した重力異常に、人並み外れた洞察力と直感力を持つ少女「フェブラリー」が挑む。父親との関係、軍人の思惑と正義、重力異常下の生存者など、精神ドラマとサバイバルで救いのない一面とが混じる。
*主人公フェブラリーがあまりに良い子なので、つい感情移入が激しかったかも。めまぐるしく展開するような話ではないんだが、着実に1シーン1シーンでハラハラさせられる。読んだ甲斐があったと思えた。

『オトナ語の謎。』
監修:糸井重里(いといしげさと)
発行:株式会社東京糸井重里事務所ほぼ日刊イトイ新聞
レーベル:ほぼ日ブックス
2003年12月5日 初版発行
2004年2月5日 四版発行
*どっかの古本屋で発見、購入。
*「幸甚」「あとかぶ・まえかぶ」など、オフィスで交わされる独特の言葉を集め紹介(しつつ、こきおろしつつ、大人のタイヘンさをしみじみと記)した本。
*下手な「Eメール入門」よりよっぽど実用的で役に立つ。文庫版も出てるらしい。おすすめ。メールを打つ時のボキャブラリーが格段にアップする。現代人必須……とまでは言わないが、一度読んでみても損はないと思う。

『新ゲームデザイン TVゲーム制作のための発想法』
著者:田尻智(たじりさとし)
発行:株式会社エニックス
1996年1月1日 初版第1刷発行
*あっ。お正月だ。
*大昔に自分で買った本。『詩のあるからだ』のスラム原稿をゲームの世界から選びたいな……と思い、引っ張り出してきた。
*中身がまったく古びていないことに驚く。古びている点があるとすれば、次世代機に対する懸念的な見解ぐらいだろう。十年前にはここまでポリゴンが氾濫するとは思ってなかったよな、誰も。ましてやPSPみたいな携帯ゲーム機が出るなんてなあ。
*詳しくない方のために言っておくと、著者の田尻さんは『ポケモン』のゲームデザイナー。ゲーム同人誌発行からゲームライターになり制作者になった、生きる伝説の人。

『自然の詩』
編者:舟崎克彦(ふなざきよしひこ)
発行:株式会社筑摩書房
レーベル:詩のおくりもの
1981年8月25日 第1刷発行
*古本屋で入手。図書館で読めそうな気もするけど、あったので、なんとなく手に取った。
*自然にまつわる詩を集め、解説を添えたアンソロジー。自然、と言っても花鳥風月がメインじゃない。馬だったり、糞だったり、山だったり、ストロベリーフィールドだったり……。華がないとも言えるし、テーマとは無関係に単純に各作品が面白い、とも言える。中高生には……どうなんだろう。アンソロジーとしてはちょっとボリューム少なめ。

『詩なんか知らないけど』
著者:糸井重里(いといしげさと)
編者:水内喜久雄(みずうちきくお)
発行:大日本図書株式会社
レーベル:詩を読もう!
2000年2月29日 第1刷発行
*あっ。2月29日だ。って、単に月末発行にしたらそうなっただけかな。
*ライトで読みやすく、ちょっと不思議な詩集。各詩作品にひとつずつ解説が載っている。曲のための歌詞や、曲の歌詞になった詩なども掲載されている。
*見た目より薄く、作品数も少なく感じた。読後は『もっと読みたい!』と残念に思ったが、古本屋で100円で買った奴が言うことではない。

『真実の言葉はいつも短い』
著者:鴻上尚史(こうがみしょうじ)
発行:株式会社光文社
レーベル:知恵の森文庫
2004年9月15日 初版第1刷発行
*『UPJ3』に出向く直前に、名古屋駅ビル内の本屋で衝動買いした。読んでいる者の胸を打つ、良い本。熱く、切なく、痛々しく、頼もしく、取り返しがつかない。鴻上さん自身がそういう生き方をしてきた、あるいは、演劇自体がそういう道なのだろう。
*名言至言と呼べるようなフレーズがそこここにある。役者やバンド、もちろんリーディングも……なにかのステージ表現をしている人は読んでみるといいと思う。真剣な人の真剣な言葉を読むと、パワーが湧く。自分の感覚が鋭くなる。
*内容自体は、統一感がなくどっちゃらけた様子だが、それが逆に良かった。演技論もすれば戯曲作成ガイドもすれば、時事ネタも出せば、ネットについて触れたりもする。普通にエッセイとして楽しめる。……ただし、あなたが何かの創作・表現をしているなら、一字一句が自分のこととしてギュウギュウ食い込んでくると思う。

『詩誌さちや 130号』
発行:さちやの会
2005年9月20日 発行
*ある方より頂きました。
*下呂〜可児〜岐阜〜愛知に会員がいるサークルの詩誌。
*篠田康彦さん『褐色の夏』が良かった。出だしはなんだかのどかな感じがして、そのまま身を委ねて読み進んだら、中盤で血の気がひいた。全体のみずみずしさと、淡々とした終わり方と。内容と空気と見えるものとがやけに鮮明でドラマチックだった。すごい。

『沃野 483号』
発行:愛知詩人会議
2007年10月1日 発行
*おや? 未来の本だ。なんか得した気分。
*ある方より頂きました。
*ある詩集の評が二名から寄せられていた。重く、考えさせられる内容だった。
*佐相憲一さんの公演、その要約が載っていた。非常に“詩”を信じている、愛している人なのだと感じた。その信念は美しく頼もしいが、信念を持てないでいる多くの作者には鬱陶しさを感じさせるかもしれない。だからどうだということはないんだが……。
*「“作者性・個性”と“普遍性・一般性”のバランス」について思った。どちらが大事とは言えないが……。

『沃野 484号』
発行:愛知詩人会議
2005年11月1日 発行
*ある方より頂きました。
*江川直美さんの詩『実在または奴隷、隷属』が気になる。詩というより宣言のような7行なのだが、これは一体なんだろう。なんでこう、読むと胸にカッと湧くものがあるんだろう。そもそもこれは何を描いた詩なんだろう。気になる。
*長谷川節子さんの『ぞっとする話』が凄まじい。枕元に来るムカデを叩き潰さんとする情景。全編にホラー映画ばりの「何かが置きそうな空気」が流れている。10-22(土)の『Bird-水尾佳樹-はんせいき』で朗読をお聞きしたが、テキストで読んでもやっぱり面白い。すごい。

『ガニメデ 34号』
発行:銅林社
*ある方から頂きました。
*表紙をめくると「今、大移動する言語。その履歴(ヒステレシス)を問う、詩歌文藝誌。」とあった。その意味はわからないが、とりあえずまじめな本ではあると思う。読みごたえは強い。みっちりしたパンを噛み続けてアゴが筋肉痛になりそうな、たっぷりお腹が膨れるような。デザインは、余白が多く文字が鮮明、緊張感があって美しい。
*詩や論評のほか、短歌が多く載っていたのが意外だった。載っている作品は、本の外観ほどコワモテではなかった。ただ、やはり全ての詩でイメージが結んだかというとそうでもなかった。やっぱり難しかったのかな。読みづらい感じはなかったのだけれど。
*倉持三郎という方の詩が気になった。生活観があるような、生活の歪みを描いているような、生活の隅の奇跡を描いているような、何かをガリガリ削っているような……それらの感じが同時にする。膝を打つような面白さがあるわけじゃなくて、なんかこう……読んでいるとじわじわと引き込まれていく感じ。

『短歌レトリック入門──修辞の旅人──』
著者:加藤治郎(かとうじろう)
発行:風媒社
2005年9月25日 第1刷発行
*あるところから頂きました。
*著者は歌人。本書は雑誌などでの連載をまとめ加筆修正したものらしい。
*短歌という表現で用いられる修辞的な技法について、現代短歌の実例を挙げながら解説している。短歌独特な……例えば「本歌取り」なんて項もあるが、多くの項目は詩にもあてはまる。書名にに「短歌」とあるが、単に「レトリック入門」として読んでよい。おすすめ。
*作文的な詩・短歌しか書けない、好きじゃない人はぜひ読んでみるといいと思う。もちろん読んだだけで技術が身に着くなんてことはないけれど、関節の外し方やイメージの紡ぎ方など多くの発見が得られると思う。
*文章は難しくなく、多少くだけている。しかしそのぶん波長が合わないと読み辛いかもしれない。でも『普段はもっと硬い文章をバシバシと書いている人なのでは』と感じた。実例に挙げた歌の解説では、語彙ゆたかに実感を込めて歌の説明をしている。例えば(203〜204ページ)──

 さて、みなさん……教卓に黒き鞄あけうさぎを掴む午睡の夢に 上村典子『草上のカヌー』

 静謐な作品です。午睡の夢というのは、先生の休日の一こまを思わせます。「さて、みなさん…」といつものように授業を始めようとしますが、それ以上現実の場面を再現することはできません。黒い鞄を開けてうさぎを掴みます。鞄の黒さとうさぎの白さが印象的です。
 夢の中でこういうふうに出てくると、それは何の象徴だろうかと想像したくなります。不思議の国へ誘ううさぎは、おとぎばなしの始まりのようでもあります。あるいは、うさぎという弱い存在を掴み出すことで、現実の学校の厳しい場面を暗示しているのでしょうか。いずれにしろ、鞄のうさぎを異物とは思っていません。そのまま静かに受け入れているところに、この夢によってどこか癒されている作者の心が伺えるのです。


──「さて、みなさん…」の歌を詠んで『ああ、なんかいいな』くらいは思えても、色の対比から癒しまで読み解くなんて私にはできない。下手な作品解説は読者の解釈を狭めるだけに終わることがあるが、この著者はそんなことはしていない。素読だと気付かない点をわかりやすく分解し読者の認識を広げてくれている。『やっぱりどの世界にもすごい人はいるんだな、本当の批評家ってこういう人なんだろうな』と感服した。

『丸山進句集 アルバトロス』
著者:丸山進(まるやますすむ)
発行:風媒社
2005年9月15日 第1刷発行
*あるところから頂きました。
*俳句ではない。川柳。著者は1943年生まれで、句作は1996年から。
*「耐えているベルトの穴は楕円形」「目の前を全裸の犬が走りぬけ」「おまえもかできちゃったのか雪だるま」「海峡を行ったり来たり八代亜紀」などに爆笑した。「有料になってしまった吹き出物」「お近づきに遺伝子一つ差し上げる」「つまらないものを分母に持ってくる」「爪らしい出番なかった爪を切る」などの笑えるような笑えないシーンもあり。「古墳からルーズソックスらしきもの」「玄関を開けたら一本背負いかな」「腹いせに寝ている亀を裏返す」「恥ずかしいところが急に光り出す」といった、訳わからんものにも口元が歪んでしまう。「もう一度白い粉からやり直す」「信号は紫なので泣きましょう」」「電柱は精神力で立っている」「飛び降りるところが今日も混んでいる「おふくろの味にレタスはなかったな」など、ドキッとするひとこともある。
*つまり、ホンワカしてニヤッとしてドキッとしてシューンともして『やられた!』とも『よくぞ言った!』とも『何やっとるんだアンタぁ?!』と著者に突っ込みたくもなる……「クール」な本。どこを取っても面白い。そして面白いだけではなく、ふざけ具合や素材の現実味に大人の節度も感じる。平然とウィットに溢れた、真面目でおかしい、よい本だと思う。川柳って図書館などでは詩歌のコーナーに置かれてしまうのだろうけど、これは一般書に置かないともったいないなあ。
*時代ごとに作品が並べられているのだが、微妙に、時代ごとの差を感じだ。初めの方(中年期。川柳創作開始の数年間)は、サラリーマン時代だからか、なんとなくシニカルな句が多いように思う。それが後年に進むにつれて、訳わからんシュールなものや脱力させられるようなもの、ホッとするものなどが混じってくる。年を経るごとに落ち着いていったようにも感じる。私の考えすぎかもしれないが……この人は川柳をとても楽しんで歩んできたのだな、という筋道を感じて、ちょっと嬉しくなった。もちろん実作はいつも苦心されたのだろうけれど。全編に創作が人生と平行して流れている雰囲気がして、なんだかとても安心した。
*川柳作家や歌人からの解説が3品ついているのだが、これがまた良い。「どうしてこの人の川柳に嫌味を感じず、純情さや上品さを感じるのか」、ときほぐして説明してくれている。実作者なら納得するところも多いと思う。私は反省するところが多かった。
*でも、言葉で難しく説明してもあまり意味がない本かもしれない。理屈ぬきで、実際に読んで楽しむとよいと思う。気分転換に旅のお供に。……電車内で読む時は気をつけましょう、笑ったり顔をしかめたり、変な人になるから。幸せそうでいいけど(笑)。

『不在』
著者:宮沢章夫(みやざわあきお)
発行:株式会社文藝春秋
2005年1月15日 第1刷発行
*図書館で借りて読んだ。作者は脱力・ユーモア・破天荒なエッセイも書く劇作家・演出家。この人のエッセイが私はとても好き。
*この人の小説『サーチエンジン・システムクラッシュ』も過去に読んだが、そちらはエッセイとはまるで違い、淡々と暗い、現実と微妙にズレた世界の物語だった。さまよわされる感じが面白かったが、エッセイとのギャップには多少驚かされた。
*いずれにしても好きな作家さんなので、本書を見つけた時は喜んで借りた。……が、これは不味かった。読み進めるのがこれほど苦痛な本も久しぶりだった。
*登場人物が無意味に多い。「不在」である或る男が話の鍵で、何人かの登場人物が彼を探すのだが結局ラストでも男は不在のまま、うやむやに終わる。すっきりしない。登場人物が途中でバタバタ死ぬため「謎は解けなくても人生は続く」といった感慨もなかった。作者の強引な都合を見取ってしまい嫌気がした。しかし手抜きされているようには感じない。だがバキバキの不条理小説かと言うとそうでもない。何らかの意図があって作られた小説なのだとは思うが、狙いがさっぱり読めない。すっきりしない。
*ところどころに、異常な長文が出現していた。実際に見てもらうとわかる(141〜142ページ)──

幸いだったのはスナック銀世界が、ほかの住居と離れた田のなかにぽつんと存在していたからだと誰もが思ったのは、爆発音があって一分も経たぬうちにスナック銀世界の全体に火は廻っており、その炎が黒い空に高く上がっていたからだが、もし民家に隣接していたなら延焼はまぬがれずもっと大きな被害になっていたと思ったのはさらに数日が過ぎてからにほかならず、むしろ、はじめて見るその光景には火の力の激しさや発する熱の強さ、あるいは燃えるその色のまぶしさにただ畏怖を感じるばかりで、ほかになにか考える余裕など与えられずにいたし、火そのものがどこか人の深い場所にあるのだろう畏敬を呼び覚ますかのようで、懼れがなかったはずもないし、怯懦(きょうだ)や震撼もありはしたが、それでもなお、惹きつけられるような力がその火の色にはあった。


──これはほんの一例で、全編で数十はこんな箇所がある。とてもじゃないが楽には読めない。文は読めるが、絵や内容は浮かばない。意味が伝わってこない。作者はエッセイなどではすごく達筆な人なので、この理解を拒むような文章は明らかにこの小説のための意図的な表現なのだと思う。ではその意図とは……わからない。すっきりしない。苛々する。読み辛い。なんだ……。
*「、」を「。」だと思って読めばよかったのかもしれない。とにかく、なかなか苦痛な本だった。そう作られた本だとわかってはいても、読んでいてこたえた。

   *

 最後の3冊はここひと月に読んだものなので、ちょっと詳しく書いてしまいました。3冊とも印象深い本でしたし。
 それにしても、長いな。多いな。……あたりまえか、数ヶ月ぶんなんだから。やはり溜め込むものではないですね……

 あと、他には『日本現代詩歌文学館』の館報も何枚か読みました。郵送の手続きをしてくださった方がいて。……ありがとうございました。
 ネット上では、偶然みつけた四コママンガ続きが気になる創作小説出版関係のコラム集を読んだりもしました。「よみくらべスラム」のテキストを探しに『プロジェクト杉田玄白』の参加作品をあさりもしたっけ。
 妙なところでは、異質なビジュアルから興味を持ち「タブ・スペース・空白のみで書くプログラム言語の解説文」なんてものも読みました。そんなことしてる場合か、と言われそうですが、コラムのネタ探しとかしてるとつい脱線して……。

 あ、詩の入門としては定番らしいのですがC.D.ルーイスという人の『詩をよむ若き人々のために』という本も読みました。これはあまりに良い本なので、いずれ読み返し、あらためて書きます。すごく良い本です。今は絶版だそうですが数年前まで「ちくま文庫」で出ていたそうなので、見つけたらとりあえず買って正解です。

   *

 しっかし、私の読書って古本屋のワゴンセール品ばっかりですね。世の中がこんな奴だらけだったら、出版社も古本屋もつぶれてしまうな。すまんこってす……。

 あと……オフラインの場に出て行くようになって、まれに詩集や詩誌を頂くようになりました。私って、そんな、本を進呈するに値するような人間なんだろうか。いつのまにそんな偉くなったのやら。土手でエロ本拾って読んでるのがお似合いの下衆な野郎ですよコイツァ。……毎回もうしわけなさを感じつつ、ありがたく読ませて頂いてます。……あ、土手のエロ本をじゃないですよ、頂いた詩歌関連の本ね。言わんでもわかるかンなことは。
 ……。ちゃんとした詩集を出版したこともないし、オフラインの同人誌に入ったこともないから……無駄にびびってしまってるだけなのかな、私は。本の進呈って、オフラインでは別におおごとじゃないのかな。どうなんだろう……。
 時々ね、怖くなることがあるんです。いろんな方によくして頂いてますけど、何もお返しできない。利子つけて出世払いしたいけど、私は大スカかもしれない。責任を感じるのですね、ものを貰ったり、親切を受けたりすると。しょっちゅう借りを作ってばかりで、返すあてがない。

   *

 借りで思い出したのですが、先日『TVチャンピオン』を見ていたら(というか、作業のバックに流して音声だけ聞きいてたんです。もとい、見ていたら)『ジョーダンズ』の「金八先生じゃないほう」が司会をしてました。
 ……その司会のしかたが、私の恩人の某詩人を連想させました。よく聞いていると、部分的にちょっと似ている。男子を「おまえ〜」っていじくるとことか。
 ジョーダンズのかたが同じことをやるといやらしく映るのだけれど、あの詩人だと……からかいでも何でも、タフさや愛情が読み取れる。部分は似てるのに、感じ方はまるで違う。『人の雰囲気ってこう異なり、こう効果しているのかなあ……』と、懐かしいような新鮮のような、妙な気持ちになりました。
 年末だったからかもしれませんね。私は毎年、年末はナーバスになりがちです。まっ、新年はもっとナーバスになるのが常ですけど。なんでかな。
posted by 若原光彦 at 01:46 | Comment(1) | TrackBack(1) | 書籍

書籍『神は沈黙せず』

 はじめにひとこと。以下は、10月中旬に書いた文章を手直ししたものです。ブログに出そう出そうと思いつつ、長文でもあり直している余裕がありませんでした(このほかにも似たような感じでブログ用のテキストが溜まってるんですけどね……)。
 この本、正月休みにもう一度読み返そうと思っていたのですが、いろいろ予定が入っていてそれどころじゃなさそうです。なので、今もう感想をアップすることにしました。

   ◆

 念のため最初に書いておきますが、この本を読もうと思ったらまずは図書館で探してください。中盤をちょっと読んでみて合わなければ、読まない方がいいです。文章は淡々と情熱的で読みやすいのですが、内容は個性的な……というか、アクの強い本です。たぶん、合わない人には徹底的に合いません。
 あと、近未来小説ではないです。『希望の国のエクソダス』みたいなものを期待されると煙に巻かれます。それがこの物語の真骨頂だと思うのですが……わかってはいても、読み進めるうちにその辺も期待してしまうんですよね。この本に限らず、近未来が舞台の社会小説って。

   *

 SF小説です。二段組で500ページもあります。ぶ厚くて重い。こんな「いかにも長編小説の、本!」という本を読んだのは久しぶりです。アレックス・ガーランドの『ビーチ』以来かもしれません。没頭し、購入してから数日で読破しました。
 どうしてこんな本を急に読もうと思ったのかと言うと。私は状況劇や近未来SFが好きなんです。『ビーチ』もそう思って読みましたし、ダグラス・クープランドや遠藤造輝もそうして惹かれています。まあ平たく言えば、理屈っぽく、かつ青臭くでシステマチックな話が好みだって事です。『なだいなだ』もそうかな。

 今回、図書館や古本などではなく、書店で新品を購入して読みました。それも注文してとかではなく、書店を3軒まわって探して。……プロ作家の小説では初めての事なのですが、この本、作者のサイトを偶然に発見し、そこでの作品解説に惹かれてどうしても読みたくなったんです。

山本弘のSF秘密基地
http://homepage3.nifty.com/hirorin/
山本弘のSF秘密基地:仕事部屋:神は沈黙せず
http://homepage3.nifty.com/hirorin/messaagecm.htm

 この人の本は『サイバーナイト(0・前・後・2)』『時の果てのフェブラリー』『ラプラスの魔』『時の果てのフェブラリー(新版)』の順で読んでいました。最初に『サイバーナイト』を読んだのが小学校高学年の頃でした。「四行原則」のシンプルさに感動し、でも何か足りないような気がして『これにあと付け足す必要があるとしたら何だろう』と数日考えあぐねたりしてました(その後ネットで『囚人のジレンマ』の概略を読み、『なんだあ、やっぱり四行原則(しっぺ返し)も最強じゃないんだ』とがっかりするような納得するような微妙な気持ちになりましたけど)。『時の果てのフェブラリー』で超能力者を「洞察力が鋭いだけの普通の人間」として描かれていたのも好きでした。
 特に『サイバーナイト』は小説・SFC版・PCエンジン版で微妙にストーリーが違っていたり、PSの『アーマード・コア』に一部世界観が引用されていたりと、強く印象に残っています。学研の『科学』を購読していた少年にとって、数段上の科学への興味を(ま、フィクションなんですが)満たすものでした。空想好きで理屈っぽく本質論が大好きな私にはぴったりだったのでしょう。
 好きな作家さんではあったのですが、著作はそう見つからないし『と学会』とかいう「他人の著作を笑いものにする面倒でこっすい企画」に関わってるみたいだし……しばらく離れていました。彼のSFは読みたいけど、その他の仕事や彼自身には興味がなく、時は過ぎ……失礼ですが、私にとってはもう「過去の人」になっていました。

 とそこへ偶然『神は沈黙せず』の解説に出くわした訳です。『神がテーマって、それは俺の詩にも通じる話じゃないか!』『ぐああー! 読みてえー!』と心底思い、2日後には本書を購入してました。「たいてい本は古本屋で偶然買う」という私にしては珍しいケースです。
 たいした下調べもせず書店をハシゴしたため、現物を見た時はちょっと引きました。不気味な表紙とロゴに「ベストSF2003国内編 第三位!」「人気作家、書評家から絶賛の声!」という真っ赤なオビ。でーんとぶ厚くて値段は1900円+税。『古本屋100円コーナーなら19冊も本が買えるな……』『絶賛って書いてある本ほどヤバいんだよな……』と一瞬よぎりましたが、結局はその場で買いました。

   *

 ざっと紹介すると……と言っても、作者が個人サイトの作品解説で述べている通り「科学的にありうる神」を説明すべく書かれた小説、と言うことになるのですけれど。
 補足しますと、ここでの「神」とは万物の法則を規定した「創造主」のことです。多神教の神も唯一神教の神も「ある真の神に作られたもの」とすると話がまとまってしまいますよね。そういう意味での「真の創造主」「絶対神」を論じたものです。なので、厳密には「各宗教を論破する内容ではない」と言えるかも知れませんが……実際にはそうはなっていません。ぼっこぼこです。キリスト教とカルト以外の宗教は世界情勢の描写のために出てくる程度ですが、どの宗教の神も主人公には信じられないものとして語られています。天国があるとは思えない、実際に世界は善が報いられ悪が滅びるようには出来ていない。主人公の神への不信感は一貫しています。
 この物語は「本当の神を探す話」なのですが、そのためには既存の神を疑い続けなければならないのでしょう。読んでいて気が滅入る人も多いだろうなとは思いますが……テーマを描くためには当然そうなるでしょうね……。まあ、軽く取り扱える問題でもないですし……コテンパンになるのも当然なのかな。

 この物語の世界では、超常現象が多発します。スプーンが曲がる、UFOが飛ぶ、霊が見えるなんてのはまだ良い方で、とつぜん空から氷の柱が降ってきたりもします。しまいには「神の顔」が空に出現します。狂気の沙汰です。
 これにより主人公は「なぜ全知全能の神が悪を放置するのか?」という個人的私恨だけでなく、さらに「なぜ神は世界をこんなにめちゃめちゃにするのか?」「この世界の不条理を神は肯定しているのか?」「人間やこの世界は神にとって何なのか?」と苛立ち疑念を強めます。研究者の兄によって多少の仮説を得るものの、世界情勢は混沌さを増し、自身はメディアによる風説被害を受け、苦難の生活を強いられます。

 節々にデータが山ほど出てきます。SFだから……というより、謎解きだから、なのかな。兄の仮説を検証すべく、主人公は過去の超常現象に関してかなり羅列します。口語的なダイジェストなのでそう面倒ではなく、むしろ『宇宙人って変なことするのな……』と面白く読めましたが、人によってはちと説明くさくて辛いかも知れないです。それら珍事件のトリビアも含めての本だと思うんですけどね。
 データの中では「UFOの外観が時代によって変化してきた」という辺りが意味不明で読んでて混乱して楽しかったです。『それは何故?!』と登場人物に問い詰めたかった。最後にちゃんと説明がついたのですっきりしましたけど。読みながら『本当にオチがつくのかこの件……』と不安になりました。

   *

【重要 未読の方へ】
 以下の感想は、ネタバレを含む可能性があります。
 ストーリー展開を完全に記憶している訳ではなく、どこまで何をバラしていいものやらわからず書いているため、ネタバレしてるかしてないかすら自身が無いです。自由に書きたくて書いている感想なので、大目に見てください。気になるのであれば、以下は「全て」読まない方がいいです。

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posted by 若原光彦 at 01:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍

2005年12月07日

大阪から帰りました

 雪、降りましたね。寒くなりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。イカはいかがわし過ぎるでしょうか。一家が一缶を茶こしでしょうか。
 ……。何の話でしたっけ。

 それにしても、何で私はこんな文が書けるんだろう……。あ、そうか。恥知らずだからだ。うわあい……喜ぶなッ。
 さてと、冒頭ギター漫談はこれぐらいにして……。

   *

 大阪、行ってまいりました。倹約のため在来線を使うつもりだったのですが、JRの窓口まで行くと「シャトルきっぷ」のPOPが目に入りました。これは「米原⇔新大阪」の新幹線自由席が格安で使えるというもの。在来線で行くのと、往復で1000円くらいしか違わない。
 ……大阪まで行くのに、1000円ばかしけちってもしょうがなかろう、というわけで「シャトルきっぷ」を買いました。券売機で売ってたけど……券売機で6060円のきっぷ買うのって、ちょっと怖かったです。ボタン押し間違えたらどうしようとか。変なもの出てきたらどうしようとか。
 変なものって何だろう。わかりません。とりあえず出てきませんでしたよ。

 会場、とても面白い場所にありました。失礼を承知で言えば「廃墟」でした。そのビルは埠頭にあり、昔はフェリー乗り場だったらしいのですが、今は地元商店街が貸し出す形でブースがレンタルされているようでした。アート作家さんの工房があったり、カフェが入っていたり、会場の『SOUNDBAR吟遊詩人』さんが入っていたり。
 二階建ての平たい建物なんですが、気まぐれに二階に上ってみると……雨漏りがバケツで受けてありました。蛍光灯がほとんど取り外されていました。窓ガラスが幾つか割れていて、ベランダの出入り口には「このベランダは危険のため立入禁止」との貼り紙がありました。建物の入口には「建物内では一切の撮影を禁止します」また「不審者対策のためトイレのみのご利用お断りします」との貼り紙もありました。……すごい。なんか落ち着く。なぜだろう。
 私は少年時代、母の田舎に行けば屋根裏まで歩き回り探検する子供でした。ああ、その血が騒ぐ……ベランダ出たい、屋上行きたい、潜伏して取り残されてみたい……とちょっとだけ思いました。撮影はしませんでしたが、どこを撮っても絵になる空間でした。

 廃墟とアートが隣り合わせの不思議な建物でしたが、会場の『SOUNDBAR吟遊詩人』さんは、入ってみると『clabBL』さんに近い感じがして落ち着きました。本棚があって、旅の本とか詩集とか『伝染るんです。』とか、面白い本がいっぱい置かれてました。反対側の壁には、いろんな顔が笑ったり楽器を弾いたりしているペイントが施されていました。開演中、薄暗い中でふと『あれっ、あんな人いたかな』とヒヤッとし、よく見るとその絵の顔だったりしました。暗がりだと壁に溶け込んでしまうけど、よく見ると陽気で活気があって、顔がそれぞれで……居心地のよい絵でした。描かれている顔ごとに表情が微妙に違ってね、躍動感があってね……うーん、絵のことを言葉で言うのは難しいんですけれど。

   *

 ライブは、結構押していたんですが好感触で終わりました。しげかねとおるさんの詩は凄かったです。妄想が膨らんで夢オチするような内容が多かったんですが、それは卑怯でも稚拙でもなく、むしろ逆で。引き込んで引き込んで、めまぐるしく展開して、最後に現実に戻ってくる。「どうやったら天井にゲロが付くのか俺にはわからない」なんて。悲しいのだけれど笑える、心地よい着地。
 おしゃれにも感じるし、男の哀愁も感じるし、カッコよさも感じるし……どれだけ聞いていても飽きないステージでした。よかった。聞けてよかった。詩作品としてもとても完成されたものでした。「犬語翻訳機を野良犬に付けてみたら、彼はビンラディンへの復習を語りだした『俺は子犬だが、かえって奴をめろめろにして膝の上で小便して奴を困らせることが出来るのだ』」という作品とか。くうーっ、イカす……。面白いけどそれだけじゃなくて、ちゃんと詩でもあって、それ以上でもあって。すごいな……。

 自分のステージは、後日の奈良でのライブと重ならない作品を選び、9作を約30分、ほぼぶっ通しで読みました。この日はじめて人前で呼んだ作品もありました。『悪への誘い』という、詩というか小話みたいなのもやりました。
 小さい会場ということもあり、お客さんは12人ぐらいだったと思うのですが……みなさん注目して聞いてくれていました。店の外で受付してらした方も、店内を覗き込んでくれていました。嬉しかった。ほっとした。立つ前までは『今日は完全にアウェーだ……』『イタいことやってイタい奴だと思われて傷心で帰ることになるのだ……』とテンションも停滞していました。でもやってみたら、トチっても噛んでも吹っ切って押せた。序盤は笑わせ、中盤は真剣に聞いてもらい、最後にまた笑ってもらう、といった組み立てもうまくいきました。ああ、よかった……本当によかった。うまく済んでよかった……。
 いま思い出しても『よかった……』とつくづく思います。無事に済んでよかった。どうなることかと思った。よかった……。
 30分という長い時間をひとりで務めたのは初めてだったのですが、ちょっと自信になりました。

 小笠原さんはあいかわらずカッコよく、しかし非日常的でもあり、土の匂いのするようなホッとする感じもあり……魅力的な方でした。
 司会・スタッフを担当されたタキガワさんも凄かった。司会をされたのは今回が初めてだとのことでしたが、人のさばき方もMCも、ソフトなのにキビキビした声や喋りでした。よく動き、よく働いておられました。あんな人がいるととてもイベントはやりやすいだろうなあ、と思ってしまいました。あとで人に聞いた話では、タキガワさんは演劇関係で活動されている方なのだそうです。そういえば桑原さんやレモンさんも演劇に関わってたっけ……やっぱりイベントの筋道メリハリ礼儀仁義を身に着けるには、演劇ってすごく役立つんだろうか……。

   *

 終幕後は、アンケートを見せてもらったりちょっと雑談したりして、みなさんと別れました。当初は会場で朝まで居つかせてもらうつもりだったのですが、プリントアウトして持ってきた地図をよく見ると『すかいらーく』があることがわかって。『私ひとりしか居ないのに会場を開け続けてもらうのも悪いしな……』というわけで、そちらに向かいました。『すかいらーく』が朝までやってるかどうかはわからなかったんだけど。

 移動してみると、その店は24時間営業でした。ああ、よかった……。ドリンクバーにココアが無かったのが不満でしたが、とりあえずひと安心。店内のお客さんたちが関西弁で痴話喧嘩やら仕事の愚痴やらをまくし立ててるのにビビりましたが、すぐに慣れました。
 店内では読むものがあったのでがっつり読んで……意外とねむけは襲ってこなくて。録音して持ってきた『NHKFMシアター』の『となり町戦争』を聞いて。どことなくイヤーな気分になって。耳はイヤーと英語で言って。年もイヤーと英語で言って。いや、言ってませんけどそれはともかく。

 そういえば。私は普段、ファミレスに入ってもドリンクバーだけで居座るのですが、メニューの『野菜たっぷりあんかけ海老ラーメン』があまりに美味しそうなので……つい注文してしまいました。これまた『大阪まで来て1000円ばかしケチってもしょうがあるまい』という無謀な論理だったんですけど。
 うまかったです、あんかけラーメン。スープがあんかけ状態でとろみがあるからか、保温性能がすごく高かった。ちょっとづつ食べてもなかなか冷めない。スープは冷めても麺は冷めない。あんかけだからか腹にもたまる。うむ、うまい。
 麺はダルダルで『ああ、まあ、ファミレスだし』って感じでしたけど。妙においしく感じたな……。

   *

 そして夜明かしして5日(月)、朝6時。ファミレスを出て、地下鉄に乗り新大阪へ。新幹線「のぞみ」は米原に止まらないし「ひかり」は自由席が少ないので、ぼんやりと「こだま」まで待っていると……熱海のあたりでレールに故障が出たらしい。関西よりさらに西で、大雪のため新幹線が遅れているらしい。結局、駅の待合室で1時間近く、ホームで20分近く待ちました。乗れたのは8時半ごろだったかな。電車の遅れを取り戻すためか、新幹線は停車後2分と経たずにすぐ発進。
 席に着いたとたん、意識が朦朧としました。ねむけが襲ってきた……。でもここで寝てしまうと最悪東京まで送り飛ばされてしまう。寝るわけにはいかん……寝てはならん……。根性で目を開けて米原で乗り換え。米原からのJR車内でも『寝てはいかん……寝ると死ぬぞ……』。かなり危ない表情してたと思います、つばのある帽子かぶってましたけど。いや、だからこそ不審人物だったかも。
 ずっとうつむいて片目だけ寝たり(無理がありますよね。でもねむけがやわらぐんですよ)して……ふと窓の外を見ると、粉雪が舞っていました。肉眼でも見えるか見えないかぐらいの降り方だけど、先頭車両に乗っていたので列車の頭に迫る雪がよくわかりました。冬だ。雪だ。眠い。寒そう……。

 列車から降りたら本当に寒かった。自動車や列車では「わりと寒い日」ぐらいだったでしょうが、自転車で帰る私としては「まごうことなき吹雪」でした。自転車を漕いで体温も上がってきてる筈なんだけど、どこまでも寒い。あまりに寒くて鼓膜が痛くなってきた。頭がガンガンしてきた。もう帰るのやめて道端に座りこんでようかしら……。
 んなこと言っててもしょうがないので『漕げよマイケル』を口ずさみながらペダルを漕ぎ、どうにかこうにか帰宅しました。でもその後はずっと、風呂に入っても着替えても寝ても、頭が痛かったです。熱や鼻水はありませんが、今もまだ食欲がありません。煙草を吸いすぎただけなのかな。

   *

 といった感じで、大阪へ行き、帰ってきました。どこにも寄り道せず。
 新幹線を使ったのは正解でした。行きは在来線でもよかったんですが、帰りが鈍行だったら今ごろ寝込んでたと思います。メコンデルタと思います。ネアンデルタールと申します。申しません。申しませぬ。もうしませぬ、もうしませぬ、許してたもうれ母様。

 本当なら「かかさま」としたかったんですが、ひらがなが続くと読みづらいので泣く泣く「母様」としました。句読点を打つとリズムが崩れるし。ああ、無念です。……。何の話だ。

 ……ふう。とりあえず大きな予定がひとつ完了しました。これで来週まではゆっくりできそうです。
posted by 若原光彦 at 02:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年12月06日

01-28(土)『言葉ズーカVol.その3』

 前回の記憶がまだ覚めやらぬ状態ですが、ISAMUさんより第三弾のお知らせが出ました。第一回で「旅立ち」、前回が「女性たち」ときて、今回はずばり「パパと子」です。「すでにパパの人」「若くしてパパになる人」「まだ息子・娘の人」が出演します。ステレオタイプな世代観じゃなくて、もっと個別的な、とんがった、エネルギッシュなものを予感してます。それぞれが「その道」を歩んだ「結果や経験」が表れそうな。ばらばらの一体感というか。うまく言えないですけど。

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posted by 若原光彦 at 22:55 | Comment(0) | TrackBack(0) | みんなのイベント情報