警戒されてしまった人のことを考える
わたしは
人間は何も求めない
そう思って生きている
求めるのは愚かなことだし
求められたものを与えるのは
不自然なことだと
期待という字は
何を待っている
そして警戒されてしまった人のことを考える
望むようなわたしではなかった
それはとても自然なこと
だけどいま何が悲しい
もし私が
詩を書けなくなったら
とは、言わない
こうだ
もし私が
くだらない詩しか書けなくなったら
なっても
忘れようとしないでくれるかい
◆
見透かされている、という意識を持っている。大阪へ行ったあとから、そのことに自覚的になった。大阪で何があったという訳じゃない。以前からうすうす感じていたことが自分の中ではっきりしてきただけだ。『サランサラム』でも『WAVE』でも刈谷市でも、そうした自覚を持ったまま居た。
「見透かされている」というのは「確認・値踏みされている」かつ「底が見えてしまっている」ということ。こちらが説明したわけでもないのに、職業や生活、生まれや育ち、部屋の綺麗さや友人の数まで推測されてしまうということ。まあ、それだけならいい。
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私は他人に興味がないのだな、ということに自覚的になってきている。他人の作品には注目するが、その人の環境や心境には関心がない。考慮にも入れない。その場限りの返答しかしない。相手のことを考えない。期待にも応えない。サービス精神もない。心や気持ちといったものを私は考慮しない。記号や約束、責任の量だけを追ってしまう。
だから見透かされる、そこが見透かされる。そのことに最近自覚的になっている。心がこもってないから言動・行動が薄っぺらい、と言えばわかり易いか。冷たいのではなく、空っぽなのだ。
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空っぽには空っぽの良さもあるけれど、それでは今後やっていけないだろう。ライブでもオープンマイクでも、お客さんの気持ちを尊重して動くようにならなきゃいけない。
おそらく、自然と私の性格は変わって行くだろう。なんだか暗い筆調だが、じつはあまり悲観はしていない。自然と変わって行くだろう。身に付くだろう。
なのに暗い筆調なのは、いま自分の過去に対して「気づくのが遅い」「夏前に気づいているべき事だ」「ずいぶん色んな人に見透かされてきたな・見透かせてきたな」と感じているためだ。そしてこれからもしばらくは見透かされ続ける。
桑原さんの凄さを、今になって少しづつ理解している感じだ。
そんな若原さんが言う桑原さんを、知りたいと思ったのでした。
考え続けて、意味がわからなくなるいつも。のナホでした---chao
桑原滝弥スケジュール
http://www.geocities.jp/takiyax69/
インタビュー記事
http://po-m.com/inout/doc.php?id=136
朗読音声ファイル
http://www.po-m.com/inout/kuwahara1.m3u
http://www.po-m.com/inout/kuwahara2.m3u
──私のポエトリー・リーディングの大先輩みたいな人です。ずいぶんお世話になりました。すごくしっかりしたライブをされる方です。グサッと頼もしく、ほろっと人情味を覗かせて、ロックでカッコいい。お金を払って安心して見れる詩人です。
東海のシーンをリードする存在だったんですが、今年の夏から東京にお引越しされ、最近名古屋からは遠ざかっています。一度みんなに見てもらいたいな。