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吉より、小吉の方が上なんですって。
じゃあ、末吉はどうなるのだ……という疑問が当然うかぶ訳ですが、そういうことは深く詮索しないのが紳士のエチケットです。配慮というものです。
ま、あれですよ。夢を壊しちゃいけないでしょう。はっきりしていないからいいのです。不明だからこそ、カップルでおみくじ引いたりして吉と小吉と末吉が出たりした場合に──
「わ。小吉だって」
「わたしは吉。小吉よりちょっと勝ったね」
「勝負だったのこれって」
「ねえ、自分は末吉なんだけど」
「ほんとだ」
「末吉って吉より上なのかな」
「上なんじゃない?」
「いや、いちばん下だと思う。末だもの」
「ちがうよ。末には吉となる、って意味だよたしか」
「つまり信じ方によるってこと?」
「かもね。心を大きく持ちなさいな」
「なんだよそれー」
──なんて結論のない不毛な会話で15分ほど盛り上がることもできるのです。「はっきりしていない」「不明だ」というのは、それ自体が機能なんです。おみくじの末吉の「曖昧さ」「ふっきれなさ」はそういう演出、そういう機能、そういう効果、そういう意味なのです。その微妙な感触を楽しみもせず「○○は○○だ!」と強引に線引きし「これが正しい! それは間違い!」などと断言するのは、あんまりにあんまりではないですか。
曖昧さは楽しさ、美しさに通じます。末吉ばんざい。もしおみくじで末吉を引いてしまったときは、ひとりで悶々とせず、他人に見せましょう。そして議論しましょう。結論の出ない議論をしましょう。そして幸せとは何かを考えて見ましょうよ。ねえ。こら。たわけ。
ところで、上記の会話、カップルでおみくじを引いた筈なのになぜ登場人物が3人もいるんでしょうか。きっと3人目が犯人です。警部に知らせないと! 警部!