
デスマーチが起きる理由 - 3つの指標
http://www.hyuki.com/yukiwiki/wiki.cgi?%A5%C7%A5%B9%A5%DE%A1%BC%A5%C1%A4%AC%B5%AF%A4%AD%A4%EB%CD%FD%CD%B3
文章量がかなりあるため、まだ半分ぐらいまでしか読んでいませんが……とても面白いです。問題解決に向けて、現状を分析しなおし、みんなで意見を出し合う様子が書かれています。状況演劇的っぽくも、ビジネス書らしくもあります。文体は読みやすく、流れもテンポいいです。
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詩の総合サイトやネット詩誌などを見ていると、ときどき、心理学や経済学を引き合いに出して詩を語る人に出会います。創作論を心理学で分析したり、詩歌のメジャー化を営業論などで片付けようとする人。はっきり言って、苦手です。
その人の意見が正しいかどうかとは無関係に、苦手です。ひとつには「偉そうだから」というのもありますが、それより「専門用語を引いてそれに当てはめて語る」という態度が好きじゃないんですね。「人間の脳は男女で違う、だから○○だ」とか「○○座は○○だから○○だ」とか。そんな所に問題の原因を見出しても「じゃあしょうがないや」と納得したような気分になれるだけで、何の解決にもなりません。
ある現状を、用語や他の学問に照らし合わせることは「逃げ」や「思考停止」に近いものだと思います。自分の予感を援護射撃してくれる論理を引いて、それにすがりたいだけなんじゃないか。どんなに偉く見えても、実はただ自分を正当化したいだけなんじゃないのか。
と、今までは思っていたのですけれども。
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『デスマーチが起きる理由』を読んでみて、少し考えが変わりました。……ビジネスや心理学、政治や環境科学などの仕組みを良く知る人は、それらを避けて物事を考える人よりも、頭の回転が速く、行動も賢明な気がする。
どんな作業にも作戦や方法といったものはあり、戦術や最適化という道もあります。そうした考えが身に着き用いている人とそうでない人とでは、作品にも活動にも差が出てくる。
学や策を振り回す人はやっぱり苦手ですが、学や策の効能は認めたいという心境になっています。学や策のなかに自分を置くと、自分の処理速度が高まっていくような気がする。これはそう悪いことではないのかもしれない……『デスマーチが起きる理由』を読んで、そんなことを思いました。