
QBOOKS:詩人バトル掲示板:あいのり
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あくまで一例としてですが、読んで現状を思い出して欲しかったので引きました。
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私は2回ほどTV局と関わったことがあります。エキストラというか仕込みというか……まあ、とにかく番組の素材として自分を見られたわけです。
その時、スタッフさんにもリポーターさんにも「ポエマーさん」と呼ばれました。「詩人さん」でも「詩のかた」でもなく(べつに憤慨はしませんでしたし、そんなことをいま書きたいんじゃないです)。
・メディアがいじってくれるのは「ポエム」であって「詩」ではない。
・メディアが興味を持つのは「ポエマー」であって「詩人」ではない。
これは私の経験に限ったことではありません。知人が出た番組を見てもそう思いましたし、ネット上で「詩人がTVに出た」ケースを見てもそう思いました。TVは詩なんか求めていはいない。雑誌もそうだと思います。いくつかの一般誌に詩のコーナーがありますが、それらは総じて「ポエム」か「相田みつをみたいな詩(うまく形容できません。格言とでも言えばいいのかな)」です。「いわゆる詩」ではありません。
詩人がTVに「芸人」として(笑いをとる役割などで)出演するケースも同様です。「詩人」なんか要らないんですよ、普通のお笑いのほうが視聴者は見たいんだから。
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詩人は、ポエムやポエマーに対してかなり批判的です。憎悪していると言っても過言じゃない。ポエムを書いている人は、投稿場所はよく選ばないとボコボコに叩かれます。別に悪いこと書いたわけじゃなくてもね。
でも現実には、詩こそ無価値とされていて、ポエムが世間に許容(あるいはオモチャに?)されています。この事実は一考する価値があります。
「なに、TVに出たいの?」って、そんな話をしてるんじゃないんです。「詩のメジャー化を考えるなら、ポエムを忘れて(あるいは排斥して)はいけないと思う」という話です。オープンマイクをしていてもそう感じます。ポエムや説法(そういうのを朗読する人もいるのよ)にも喜ばれる対象はあり、ニーズがある。私もポエムは好きじゃないけれど、それでも。たとえそれが「大衆にオモチャにされ消費されうる」という一種むなしい有効性であったとしても。
詩のメジャー化のグランドデザインを語る人の多くが「詩のアイドルが出現し、世間が詩を見直す所から始まる」と言っています。それ産み出さなければならないとも。また幾人かは、自分がそれになりたいとも言っています。
私は「詩のアイドル」とは「詩とポエムのハイブリッド」でなければいけないのではないか、とうっすら感じています。上質の詩が書けるだけではなく、時事ポエムや吐露ポエムも書ける人でなければ世間は納得しないだろうと。