2005年01月31日

30日。(後編)

 金山駅から地下鉄で移動し、いよいよ『ぽえ茶』へ到着。大遅刻も大遅刻、残り40分程度という状態からの途中参加となりました。明上さん、ツバキさんなど、久々にお会いする顔があって、初めてお会いする方も居て、嬉しかったな。ISAMUさんは何故か「ドリフの雷様」みたいなアフロヘアーになってました。ハナミさんはパフォーマンス指向の演目をされていて、途中の場の繋ぎ方がなんだか好きでした。

 私は『ぽえ茶』の雰囲気で読む詩じゃないと自覚しつつ、前後に緩衝材を挟んだうえで『不死者達へ』という詩を朗読しました。この詩は、宮沢賢治の『サキノハカといふ黒い花といっしょに』という詩を読んだ数日後、突然書けた作です。
 いろんなリーディングに触れてきて……「完成された詩は作者を作品から切り離し作品だけで自立する、作者が隠れるけれど。自分(作者)を隠さない方が生身のリーディングとしては正しいんじゃないか? 私は生身をさらす詩を書いていないよな? そうした作品も少数であれ持っておくべきじゃないか?」と、思うようになって数ヶ月。やっと書けた「生身めいた詩」です。そういった意味で感慨がある。
 また、自作を読み返して泣いた、初めての作品でもあります。この詩を読むたびに私は震えます。「死ね」「死んでしまえ」という自分の最も嫌う語調を、自分の納得いく形に使った詩なので、自作でもその言葉にはドキドキするし、その内容には叩きのめされる。ラスト4行を思い出して、電車の車内が急に美しく愛しく憎く見えてきたりすることもあります。「みんな死ぬんだな」って。あした世界が終わるような気持ちになって、動悸がする。心拍数が上がる。生きてる実感がして、野蛮な力がわく。……私にとってはそういう詩です。いち読者として出会いに感謝している。

 で、そんな作品を初めて人前で朗読したのですが。原稿を持つ手が、印字が読めないぐらいにブルブル震えていました。リーディングを始めた頃よりも大きく速く。しかも行が進むごとに震えが増していく。やばいと思いました。何がどうやばいのか解らないけれど。やばい。これはやばい。
 あとで数人が言ってくれたのですが、この朗読は「よかった」そうです。でも、声色も姿勢も目線も無計算だったし、途中でつまったし、読み間違えもしたし……。しかし「よかった」というのはテキストの良さなのか、本当にリーディングが良かったのか。たぶん、両方だったのかな。自分で言うことではないけれど。この時、声量と気迫だけは妙に出てましたから。
 それにしても……手に負えない自作だと思います。いつか、震えずにこの詩を朗読できる日が来るんだろうか。……怖いな。読むたび毎回ドキドキすることがじゃなくて。いつかドキドキしなくなるかもしれないということが、なんだか怖い。

   *

 17時で『ぽえ茶』は散会、うどん屋さんに移動して恒例の二次会となりました。体調の悪い者2名が互いを「つわりじゃない?」と評するという危険なギャグも体験しました(笑)。うわー。いいのかこんなこと書いて(笑)。

 二次会の散会後は、一部の人はカラオケに行きました。私は(カラオケの雰囲気がそれほど苦手というわけでも無いのですが)「今日をカラオケの雰囲気で締めくくるのは、やめとこ」と思いまして。金山駅でみなさんと別れました。
 夜、すっかり暗くなった金山駅では『OMOCHA?』というユニットが弾き語りをしてました。煙草を吸いつつしばらく聞かせて頂き、数曲目が終わったところで立ち去ろうとすると面と向かって「ありがとうございました!」と歯切れの良い挨拶をされました。……今まで見たストリートパフォーマーに、感謝の挨拶を・しかもこんな爽やかな挨拶をした人は居ませんでしたよ。「ううむ、みんな見落としがちだけどこれは好感度アップの実用的ポイントだよなあ。いや、あの挨拶はあのお兄さんだから出来ることで、誰でも真似できることじゃないのかな。でも、学ばせてもらったぞ」……と、良い気分で切符を買い駅構内へ入りました。

 電車の車内では、先日録音したラジオドラマをMP3プレーヤーで聞いていたんですが……相席になった中高年の数名が、なぜか「雷門」の紙袋を持っていて。おばちゃんがまた大声で話すんだ、ちょっと遠い席のおばちゃんと。座席から身を乗り出して。
 なんだか面白そうなので、ラジオドラマは停止して、おばちゃん達の会話に耳を傾けていました。だれだれがチラッとテレビに映っただの、あの寺は入場無料だったでしょだの、あの寺は毘沙門天だっけだの、まあ、若い女の子だったらかしましいんだけど……おばちゃんだものなぁ。おばちゃんだと「おばちゃんだものなぁ」という気分になってしまうなぁ。嫌な気分ではないのだけれど、なにか、こう……。
 いや、おばちゃんを差別するつもりはないですよ。そんなつもりはこれっぽっちも、なかんずくなくもないわけがないですぞお、ぞお。

   *

 駅で、電車から降りて、駐輪所で自転車に乗って。ファミレスに向かいました。なんだか良い精神状態だったし、明日の用事も無かったし、カバンには買ったばかりの本が4冊も入ってるし。ファミレスで夜明かしすることに決めました。ドリンクバー飲み放題そして喫煙席タバコ吸い放題。嗚呼不健康。

 店内は、あいかわらずの田舎のファミレスの空気でした。男女とか、女性二人組とかが「仕事変えたい」「決め付けしてくるのだけは我慢できない」「あの子はさあ」なんて話を延々としている。それが気に障る時もありますが、この日はいい感じにお客さんが多く、めいめいの声が交じり合い単なる雑音(モブ)になっていたので気になりませんでした。

 ……さて、どの本から読むべきか迷いました。『短歌ヴァーサス』は自宅でも読めるでしょう、面白いし、短歌は好きだから。『首なし』も自宅で読めるかな。部屋を暗くして、コタツに入って、手元だけ電気スタンドを点けて読むとか、よさそう。『現代詩作マニュアル』も家で読めるよな。文調が軽いし。
 今このテンション、この場所でしか読めないとなるとやっぱり『現代詩手帖』だな、ということで票決が下り、これを恥ずかしげも無く読み始めました。少年三人に小声で「サムライみたい」とか言われながら。開いても勝手に閉じようとするページを灰皿で押さえながら。二段組や三段組の小さな文字を遅々として追いながら。あっというまに4時間が経過。一気に読破しました。馬鹿かお前は。
 ……ま、本の感想はまた別に書くつもりです。とかく「特定の詩人を専門用語タップリで初心者排除の方向で特集してくれる」ような、読みたいけど読めない『現代詩手帖』ではありませんでした。『現代詩手帖』としては当たりの号です。詩の現状に敏感で長文に耐性のある人ならそこそこ刺激になるんじゃないかな。
 その後、続いて『現代詩作マニュアル』を読み、これは(文がスマートですいすい進んだので)2時間ほどで読み終わりました。すごく面白かった。これも、感想はまた別に詳しく書くつもりです。本当に良い本だった。手放さぬぞ。

   *

 深夜4時半、ファミレスから出ると外は小雪が舞っていました。近くのオレンジ色の強い照明が雪の粒を暗闇に浮かび上がらせており、綺麗でした。写真を撮ろうかとも思ったんですが、カメラの入ったカバンを自転車のかごに突っ込んでしまったし。さむいし。早く帰ることにしました。家で荷物を降ろしてから、家の近所の街灯に照った雪粒を撮ればいいだろう、と思って。
 小雪が舞う中を、MP3プレーヤーで『Jupiter』『アルジュナ』を聞きながら自転車で駆け抜ける。視界が、神聖な、美しい、幸福なものに感じられました。

   *

 家の車庫に自転車を停め。扉のカギを開け、玄関に荷物を置いて、カメラを手に再び屋外へ出ました。
 近所の街灯へファインダーを向けると……あら、雪の粒がぜんぜん浮かび上がっていない。目視でなら見えるけど、写真に写るような明確さはない。そうか、普通の街灯じゃ光の量も指向性もこの程度なんだ。しまった……やっぱりあのファミレス横の、ライトアップ用のオレンジの強い光のを撮っておくんだった……。
 そう思っていたところへ朝刊配達のバイクが通りかかりました。のでそれを撮影。うーむ、これでよしとしておこう。まあ、いい一日だった部類に入るんじゃないの、なんてね。
posted by 若原光彦 at 19:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況
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