若原光彦です。重要なおしらせです。けっこう、いがいと。
これまで自分が開催してきた、毎月第2水曜、名古屋市八事『POPCORN』さんでのオープンマイク『詩のあるからだ』。
イベント カフェ ポップコーン
http://cafe-popcorn.sakura.ne.jp/
詩のあるからだ
http://shinoa.poemove.jp/
その主催者が変わります。
若原光彦による主催、開催は、3月開催、2011-03-09(水)がラストです。
4月開催、2011-04-13(水)からは、「はゆ」さんが主催者となります(お名前が文章に埋まってしまいがちなのでここではカギカッコつきで書いていますが、正しくは はゆ さんです。カギカッコはないです)。
[mixi] はゆさん
http://mixi.jp/show_friend.pl?id=29561336
『poenique』などでお名前おみかけされたかたもいらっしゃるんじゃないでしょうか。
男性です。ちょっと童顔。年齢はたぶん若原と同じくらい。詩に関して、インターネット、オフラインともに若原よりも古くに活動してらしたかたです。
2001年ごろかな、私がインターネットに出始めたころに『Poetic Free』という集まりがあり、たしかそこに名前を連ねてらっしゃいました(若原は参加したことがなく当時WEBサイトを見ただけですが、ネットを主な活動媒体とする詩作者たちのオフ会、連絡会のようなものだったと記憶しています)。
八事オープンマイク初代主催者である葉月之寛さんのサイト『Verse-Verge(群青)』でもお見かけしたかな。京都のchori(ちょり)さんによる企画(『ワールズエンドスーパーノヴァ』か『くぐもり』か……ちょっと記憶があいまいです)にもいらしたんだったかな。
当時、若原は『日本WEB詩人会』(通称「ぽえ会」)にいりびたっていて、まだオフラインの場には接点を持っていませんでした。「はゆ」さんと実際にお会いしたのは、若原が『詩のあるくちびる』『詩のお茶会 ぽえ茶』『PO・E・DA・SHI』『空色曲玉』などに出向くようになってからです。でも時代的、世代的には、もっと以前から交差していたわけですね。
その後「はゆ」さんはしばらくオフラインの場からフェードアウトされていましたが、2009年より精力的に活動を再開されました。最近では鈴木陽一レモンと二人会も開催されました。瞬発力、存在感があります。ちょっとウェットな声とテキストが持ち味で、かつそれを迷いなく鮮明な音量で出せる、そして緩急をつけていく……場のムードや意識を素早く自分色に塗りかえることができるかたです。
◆
若原が主催者を降りることを決めたのは、自分のキャパシティ(容量、許容量)が原因です。
ねんのため書きますと、何かトラブルがあったわけではありません。低空飛行ではありましたが、会は毎月とどこおりなく開催されていました。主催降板の判断は、会や場や他者ではなく、若原自身の内面的な問題によるものです。
数年前……たどれば2006年ごろからになるのでしょうか。私は、だんだんと、詩が書けなくなりました。
そうした状態において他の詩作者さんがどのようにされているのかはわかりませんが、私の場合は、昔の自作を読んで自分のにおい(ノリや趣向、志向)を取り戻したり、半日ずっとフレーズを出し続けるという行為(私はそれを「ネタ出し」と呼んでいます)を行ったりして、自分を調律、チューニングしてきました。
また、詩が書けても書けなくても、ネタ(とっかかりや、作品の核など)を探す姿勢は保ち続けるようにしていました。メモ用紙とペンをいつも持ち歩き、何か読んでいて惹かれたフレーズや概念があればすかさず栞を挟む。つねにアンテナは張っておくように心がけていました。
ですが、自分でまともだと思える作品が書けたことはごくまれでした。
「書いても書いても気に入らない」と言えばわかりやすいかもしれませんが、正確には「書いたものの欠陥がすぐありありとわかる」感じです。1行書いたそばから、欠点や問題点が見え、その対処法が連想され、その結末と完成度まで予想される。それがずっと繰り返される。
だからこそ「数うちゃ当たる」戦術を取り続けるべきだったのかもしれませんが、私はしだいに消耗し、自信をなくし、ある部分ではヤケになり、ある部分では慎重、臆病、あるいは怠惰になっていきました。
*
平行して、だんだん私は詩や言葉や表現に、疲労を感じることが多くなっていきました。
かいつまんで言うと「良いところを見つけられる、好意的に接することができる、とは限らなくなってきた」のです。無関心になった、批評的に眺めることが増えた、と言ってもいいかもしれません。
それは、自分が不調になったために、かえって「よりまともなもの、価値のあるものに出会いたい」と強く願うようになった、その反動なのかもしれません。余裕がなくなり、ものを見る目が厳しくなった、と。
あるいは単に自己防衛本能から、自分の手に入らないものに対して「あのブドウは酸っぱい」とうそぶきたかっただけなのかもしれません。
いずれにせよ、自分の性質やセンスが裏目にこじれているのは明白でした。どこかがズレて、悪い部分が凝縮し、良い部分が散逸し、それが循環し、かつ一種の安定化でもあった。
まずい状況にハマってしまったようだ、とは自分自身でもわかっていました。自分のポジティブさや地道さはどこへ行ったんだ、とも。でも、状況を変える、元に戻す方法がわからない。無策にかたっぱしから試していくエネルギーも出ない。
性格がちょっとヤケになったり大雑把になったりしたおかげで、人や物事に対しフランクに接するようになったとは思いますが……人間関係の上ではともかく、創作者、演者としては、それは褒められた変化ではないでしょう。
自分の変化に向き合ううち、私の関心は「詩、言葉、情報とは何か」「身勝手でも演技でもない行為が人間にありうるのか」「言葉や表現はどんな問題を含んでいるのか」など根本的なところに行き着きました。
そしてそれを『若原光彦ではありません』、『スクレロフォビィ』、ほか未発表のものも含めいくつかの作品に反映したあと、私は自分に書けること、自分が書くべきこと、書きたいことを見い出せなくなりました。「なにを書いても無駄なのではないか」「表現する、言葉にあてはめることは正しい行為なのか」といった疑問、虚無感が消えず、詩や言葉から離れたい、考えさせられたくない、黙りたい、という気持ちが大きくなっていきました。
ものすごく簡単にハショって言ってしまいますと、創作や表現について、気難しくなっちゃった、ってことです。
*
自分が八事オープンマイクを主催していくこと自体は可能です。でもそれはきっと、場や皆さんにとって良い結果をもたらさない、そう自覚、判断しました。
PR活動やサイト更新にエネルギーを割けなくなった近年の現状はもちろんのこと……。
最大の自覚は、私がいつかなんらかの矛先をオープンマイクの参加者さんに向けるのではないか、とのおそれです。そしてその事態は、私が気づかなかっただけで、小さなものは既に起こしてしまっていたのではないかと感じています。
また私が、作品やパフォーマンスで価値を張れないぶん、正論や愚痴や批評をまき散らすことで自尊心を保とうとする……悪い趣味人の見本のようになっていく可能性にも、おそれを感じはじめました。私の性格ですとそうはならないと思うんですが、絶対にならないとは言い切れません。
その前に、会を別のかたへ引き継ぐのが、礼儀であり義務だと考えました。主催降板の判断が若原のキャパシティ、内面的な問題による、とはそういうことです。
以上、手短に「主催者が変わります」だけ書けば済む用件ではあるのですが。何も明かさず降板し憶測やご心配をいただき跡を濁すことになっては申し訳ないので、言い訳じみているとは思いつつも、実情を述べさせていただいた次第です。理由の見えづらい降板だからこそ、お世話になった方々へ、自分なりに簡潔にお伝えしておきたく思いました。
ここへきてカッコつけようってんじゃなくてね。黙って去るのは道理ではない、それではあまりに無礼がすぎる、感謝や謝罪の定型文で間に合せてもきっと後悔する、そんな気がしたのです。
◆
「はゆ」さんに新主催者の提案を受けていただいたこと、なだらかに会が移行、継続されることを、私はとても喜ばしく思っています。
と言いますのも、自分もちょくちょく参加させていただくつもりでいるのですよ。ちょっとしたものが書けたり、面白い文章を見つけたりしたら、うきうきドキドキ披露しに行くのを、楽しみにしてるんです。
人前に出て、ちょっと緊張し、自他の視線や体や声が意識され、向上心を刺激され、そしてまた挑んでいく……オープンマイクという環境や朗読という行為は、やはり面白く有意義なものだと思っています。コタツとミカンとテレビもいいですが、それでは絶対に体験できない作用がオープンマイクにはあります。
さて、長くなりましたが最後に。主催者交代に関してシステム的な部分をすこしご紹介しておきます。──
【主催者について】
2011年3月9日(第2水曜)が、若原主催のラストです。4月13日以降は「はゆ」さんが主催者となります。
【4月以降の会について】
会の名称、開始時間、各自の持ち時間などが変わるかもしれません。なお今のところ、開催日は毎月第2水曜日のまま、料金もワンオーダーのまま、趣旨もオープンマイクのままとのことです。
【新サイトについて】
新サイトは「はゆ」さんが新しく開設されます(いわゆる「webサイト」とは限りません。mixiコミュニティ等の形態になるかもしれません)。2〜3月中に発足し、会の基本的な情報はそこで得られるようになるはずです。
【旧サイトについて】
3月10日以降、旧サイト(若原製作管理の現『詩のあるからだ』サイト)はアーカイブ(過去の記録)としての公開に移行します。なお、旧サイトへのご要望は若原がひきつづき対応、対処させていただきます。
──新サイトが公開されましたら、旧サイト、当ブログでまたアナウンスします。八事オープンマイクを今後ともどうぞよろしく。
2011年02月17日
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相変わらず色々考えよーね。
出会った頃からそんな感じやけん、正直俺には違和感無いんだが・・・
最後だから行くってーダッサイぃー感じになるけんが、仕事でお客様の予定さえ入ってなけりゃ3月行くわー
私だって詩を書いていた時代があって、でもあっという間にピークが過ぎて全く書けなくなりました。
詩から離れて3年した頃パフォーマンスアートに出会って、結局ツールは違っても同じ内容を表現できる方法に出会ってまた作品を作れるようになりました。
みっちゃんの詩は大好きなのでこれからも聴きたいけれども、しばらく「がんばる」のをお休みしてください!
私はあと50〜60年は色々な方法で表現していけると信じているので、みっちゃんも信じてゆっくりしてください。
3月は私は行けるか分からないけど、レモンくんは絶対行くと思うのでよろしく☆