2006年10月02日

数年ぶりの書道

 最近、作らなきゃならないものがいくつかあって、ちまちまそれをやってます。まず朗読用のテキスト。年内に数個、新作を準備しなきゃならない。
 それからチラシのデザインが2枚。私はイラストレータとか使えないから、ワープロやフォトレタッチソフトでの作業です。知人から「イベント名を毛筆にしては」というアイデアを貰っていたので、数年ぶりに書道セットを出してきて毛筆もやりました。

   *

 毛筆って難しいですね。すごくうまく書けたものもあったんですが、よく見たら数字が違っおり、結局何度も書き直しました。
 うまくいったやつを隣において、同じように同じ風に書いてみる……んだけど、同じにならない。何か違う。ぱっと見は似た形なんだけど、印象が微妙に違う。書き直したほうは自然じゃない。しっくりこない。どこかせせこましい。縮こまってる。一方、先に書いたミステイクの方は『うむ、これだ』と納得できる。安定感がある。でも見慣れてしまわずに、毛筆の味やインパクトがグッと出張ってもいる。しかし不快なインパクトじゃない。
 どう見てもほとんど同じなんですが、実際に並べてみるとえらく違う。言葉じゃ説明できない。ただ“なんとなく”こっちがいいとか、悪いとか、断言できてしまう。『どれも同じ言葉が書いてあるけど、そりゃこっちよりこっちの方がいいでしょ』と。

 何枚も書きました。筆に付ける墨汁の量を変えて、滲ませてみたり、かすれさせてみたり。生真面目に止め跳ね払いをしてみたり、草書体風の速記をしてみたり、丸文字をイメージしてみたり。筆を置いたときよりも、筆を上げた時を太くしてみたり。紙をコピー用紙にしてみたり。筆を変えてみたり。

   *

 何度も試して、まずまず満足のいく題字ができました。30枚ぐらい書いたかな。チラシに使うのは1枚だけなので、チラシだけ見た人は「若原君、字うまいね」と思うかもしれないな……うーむ。

 小学生の頃は、書道って大嫌いでした。まず、効率的でない。書道セットは文鎮やらスズリやらが入っていて小学生には重い。墨汁という、鞄の中で大災害を起こしかねない液体も必要になる。周辺を不意に汚すし、完成品の保管も難しい。
 第2に、意味がない。いつか役立つわけでもない。字がうまくなるなんてこともない。いい毛筆が書けたとして、それがいったい何の役に立つのやら。売れもしなければ点も貰えない。授業だからってことで書くけれど、なんにもならない。
 第3に、美しくない。毛筆は不気味で怖い。意図せず滲み始めたり、急にかすれたり。教室の壁に並べて貼られるとさらに怖い。白黒のコントラストの強さ。太さ細さの急激な変化。模様としてみても、なんだか気持ちが悪い。
 第4に、不公平。よい紙よい筆を使わないといい線が引けない。リトライも修正も許されていない。ただただ一発勝負で、しかし「集中してゆっくり書くように」と言われる。採点基準もルールも指針も不明確なのに、結果は出てしまう。納得いかない。

 今回、ひさびさに書道をしてみて……面白かったです。きれいな字を書こうとすると失敗の連続でムカムカしますが、見栄えのする字を書こうとすると『おっ、いいとこ行った!』の連続で面白い。『この曲がりにも味があるけど、こっちの方が収まりがいいな。でもいま必要なのは……こんな字だッ! どーだ! ああ、惜しい!』って。ニアピン連発で、テンションが下がらない。のめりこんでしまう。
 子供がいろんな制約の中でやる書道はあんまり楽しくなさそうですけど。大人になって紙や時間が自由に使えるようになると、面白くなるのかもしれません。非効率的で役に立たないのは変わらないんですが。

   *

 単純に「普段と違う道具を使うのが面白い」ってのもあったのかな。私は最近たまに万年筆を使っているんですが、これとちょっと似ているような。新しい道具で文字を書くと自分の字に見栄えがして、ついうぬぼれてしまう、うかれてしまう。書くのが面白くなって、どんどん無意味に書いてしまう。なんでもいいから書きたくなってしまう。

 チラシの素材はできたし、書道セットも片付けてしまいましたが。『ついでにもっと何か書いてから片付ければよかったかなあ』と名残惜しさも感じています。何か書くことがあったかな……思いつかないんですが。
posted by 若原光彦 at 03:04 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近況

あかるい悪夢

 妙な夢を見ました。図書館の図書室で『俊読』をやっているという。

 学習室とかホールとかではなくて、図書室。本棚がいっぱい並んでいて、窓がでかくて日当たりが強くて、明るくて暖かくて、狭い。テーブルをどけて作ったような、数畳ほどのスペースに目一杯パイプ椅子が並べられており、そこが会場になっている。ステージは窓際の通路。ステージ脇には谷川さんや桑原さんが無表情で座っている。私は出番を控えており、客から見えないよう、会場から数メートル離れた本棚の後ろに隠れている。

 誰かのリーディングが終わって、司会の女性(顔は見えない。声にも聞き憶えがない)が「ありがとうございました。次は○○さんです」といった簡素なMCをした。『自分の番か』と身をこわばらせたが、違ったらしい。某さんが本棚のあいだからステージに出て行った。
 某さんのリーディングが終わると、司会の女性が再び簡素なMCをした。「ありがとうございました。次は若原光彦さんです」。今度は本当に私の番らしい。『よし行くぞ』と私が出て行こうとすると司会の女性がポソッと何かしゃべり始めた。『うわっ、まだだったか』と私は慌てて本棚に身を戻した。すると女性がしゃべるのをやめた。『終わったか。今だ』と私は再び出て行こうとする、とまた女性がちょっとしゃべった。タイミングが掴めない。気まずい。
 『もしかしてこの司会の人は、私が出てこないから場繋ぎとして話してくれてるのかな。だとしたらこのまま女性がしゃべり終わるのを待っていても無駄だな。出て行かなきゃ』。女性はまだ何かポツポツ言っていたが、私は本棚の間から飛び出しステージ側に歩んだ。ステージの両脇には、谷川さんや桑原さんが当初からの無表情で座っていた。
 ステージに立って客席に顔を向けると、これまた全員が無表情だったので背筋が凍りついた。そういえばここまでの演目で、一度も拍手の音を聞いていない。いったい、何が起きている。
 私はマイクを握り『いやぁ〜こういう密集した場所でやるのも緊張しますねぇ〜』とか下らない、言わんでいいことを照れ隠しに語り始めてしまう。全員の無表情が突き刺さる。異様で、圧倒的で、意味不明で恐ろしい。冷や汗がツーッと背中を流れた。室内は明るくポカポカとしているのに、悪寒がして止まらない。

   *

 そこで目が覚めました。目覚めたら汗だくでした。先週ちょっと風邪を引いたものだから、最近ふとんや室内着を厚めに変えたんです。この日、私はトレーナーを着て、冬布団をかぶって寝てました。そりゃ汗だくにもなるわなぁ。
 しかし怖い夢でした。考えようによっては豪華で、平穏で、何事もなくて、面白い状況だったのかもしれないけど。なにも『曲々玉々』が迫った今あんな夢見なくてもなぁ。いや、今だからこそ見たのかな。
posted by 若原光彦 at 03:02 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近況

2006年07月22日

NIPAFアジア連続展に行ってきました

 ほかにも書けることはいろいろあるのだけれど。……というより溜まってるのだけれど、が正解かな。なにせ前回の記事が6月上旬だってんですからまあ……。
 6月以降に書いたものはいろいろあるんですけどね。いつも、出す直前になり読み返すと、手が止まっちゃうんですよね。『こんなもの出していいのか』って立ち止まってしまう。考えすぎなんでしょうね。あんまり深く考えずにパッと出しちゃやいいのかな。うー。

   *

 それはさておき。今日(もう昨日ですが)NIPAF(日本国際パフォーマンスアートフェスティバル。場や身体による芸術表現の団体)を見に行ってきました。
 ひさびさのアートパフォーマンス観覧でした。面白かったです。とても。いいものを見た。これはよかった。

 7名の方が出演されたのですが、1人目、ロナルド・アブリヤンさん(インドネシア、ジョグジャカルタ出身)のパフォーマンスはとてもよかった。
 会場の観客席から15人ほどを選び、前に立たされました。私も選ばれて立ちました。そして、ロナルドさんから紙を見せられました。日本語でこう書いてありました――

 ワインを口に含んで、

 吐き出してください

ロナルドの口に


――は? 「ロナルドの口に」を読み落としたため最初は『何のこっちゃ』と思ったのですが、よく見たらこりゃ、いや、やっぱり、何のこっちゃ?
 ロナルドさんからワインの入った紙コップを渡され、15人は次々に、それを口に含みました。そして、ひざまづいて口をあけているロナルドさんに、ワインを吐く。彼はそれを、飲む。『……ちょっと引けるなあ。吐いて飲ませるなんて、なんだか相手を侮辱してるみたいで』と思ったのですが、会場はにこやかに笑いが起こっていました。うまく吐けなくてこぼす人がいたり、ちょびっとだけ含んでちょこっとだけ垂らす人が居たり。ひねた笑いじゃなくてね、はしたない行動を晒すことから、場が打ち解けたような感じ。

 そして15人が全員ワインを(彼に)吐き終わると、ロナルドさんはビニール傘をさし、ブドウを手にしました。そして「口を開いてください」と英語で言い、ブドウのひと粒を、参加者の口にくわえさせました。
 『あれ、口を開けっていうから、ブドウを食べさせてくれるのかと思ったけど、そうじゃないのか?』と思った矢先、ロナルドさんが参加者にディープキス。騒然とする会場。「次は自分たちもか?!」と顔面蒼白になる残り14人(私を含む)。どうやら、くわえさせたブドウの粒を、ちゅばっと唇で食べ取っているらしい。こりゃ、また、なんだ。

 次々に残り13人(ひとり女性が拒否されました。まあ、普通に考えればそうだわな。……もとい、残り13人)が同じようにディープキスでブドウをもぎ取られ、彼のパフォーマンスは終了しました。

   *

 冷静に考えると、これはとても優れたものだったと思います。まず、会場がとても和やかになりました。奇抜さからくる「盛り上がり」と、説明がないことで増幅される「興味心」と、意図や決意が見え隠れすることから湧く「パフォーマーに対する尊重」と。アーティスティックでもあり、単に生身の人間ってだけ、でもある。

 はしたない行為を求め、それをさせ、そしてロナルドさん自身が受ける……というワインの前半。甘味を与えるかと思いきや、それを直に、はしたなく奪う……攻守が逆転し行為が直接的に発展エスカレートした後半。ここには「施される者・施す者」「奪う者・奪われる者」など、深い批評が隠されているような気がします。
 なぜ前半がワインで、後半がブドウの粒なのか。ここにも豊かな教示が含まれてます。ワインは、たくさんのブドウの粒からできる。ワインから粒へ移行することで、ぐっと「原点」に接近していく。それは「吐く」から「唇」に接近することとも重なる。
 そして、後半のビニール傘。ワインを吐かれて受けていた時は傘をさしていない。種をもぎ取る立場になって、傘という装備を手に入れている。傘なしで受ける液体(ワイン)と、傘をさして口づける果実。一方的な加工品の贈与からジャンプアップし、降水に対する対処を持ち、友愛も強引も含めて原種を受け取る段階へ。ここには何か関係的な希望が暗示されているのだと思います。批判的にも、期待的にも。

 道具立ても適切でした。ワインは(日本人から見れば)宗教的なイメージを含む飲み物です。そこから来る非現実味や意味深さ。そして一方、ブドウの粒が持つ宝石のような可愛らしいフォルム、そこから来る爽やかさや愛らしさ。ひいては所有欲やみずみずしさ。
 このパフォーマンスはオレンジジュースとオレンジでは成り立たなかったと思います。ワインとブドウを選んだから、儀式的な連帯感・静謐さ・非現実さが演出され、一方に陽気さや人間味も備わった。作品としての安定感が高まった。

 とてもよく計算されたパフォーマンスでした。「退屈させない」「興味をひく」といった表層はもちろん、「隠された意味・意図・表現対象」の奥深さもあって。「なぜパフォーマンスアートという表現手法でなければならないのか」「なぜ眼前で行われなければならないのか」という問題も当然クリアされていて。
 また、作品として閉じてもいませんでした。今日のような好意的な空気の場でなくても、もっとピリピリしたアカデミックな場でも、このパフォーマンスは成り立つと思います。その時々によって、相手や場によって感触は変わってくるだろうけれど、それでもこれはどこでもそれぞれに成り立つ。その場でしかない何かが成り立つ。優れた作品でした。

   *

 何より、このパフォーマンスが終わった後、会場の空気がとてもよくなっていたんです。ロナルドさんのパフォーマンスによって、いつのまにかお客さんたちの「アートパフォーマンスに対する警戒感・先入観」が解け、かつ親近感や集中力、理解力などが高められていました。人に優しい、場に優しい、場で行い実感・体験させる意味がある、優れたパフォーマンスでした。いいもの見ました。唇は奪われましたけど(って茶化しちゃいけないかな。うん)。

 ほかの方のパフォーマンスも面白かったです。視覚的・音響的な面白さがあるものもありました(山崎さんのスプーン投げとか、寺尾さんの蝋燭とか)。ほかにも、身体的でこそばゆい感触、暗示的な物の残し方、ちょっとしたトラブルなんかもあって。7人7様以上に、いろんな面白さがありました。

 ひさしぶりのパフォーマンスアート観覧でしたが、なんだかこう……静かで豊かなものを見てきたような気がします。そわそわもするし、しっとりスーッと気が静まってもいるし。いいもの見ました。これまで、パフォーマンスアートって見方がわからなかったことも多かったんですけれど。今日はとても面白かったです。楽しみました。

 あ。今日じゃないんだ、もう昨日だっけか。
posted by 若原光彦 at 01:55 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近況

2006年06月05日

6月2日

 今回はちょっと普段と語調が違います。一気に本を読んだためです。また、書く内容に合わせてという判断でもあります。

   *

 6月2日(金)、昼から名古屋に行った。9月2日(土)の『今池まつり』でISAMUさんとステージをつとめることになっており、主催者の方と、その簡単な挨拶・打ち合わせをすることになっていた。また、この日の夜は藤が丘の『WEST DARTS CLUB』で朗読劇『本読ム夜』の第1回公演もあった。名古屋パルコで開催されている『木村祐一展』も見てみたかった。

 時計を見間違えて1時間早く家を出てしまったが『早くて困るということはない』と駅のホームで気づいた。
 車中で座った席は、端の席で4人が2人ずつ向かいあう格好だった。私は窓側に詰めて座った。私の正面にいた中年男性は足を大きく開き、腰を前に付き出していた。次の駅で私の隣、通路側に座った男性もまた、足を大きく開き膝をぶつけてきた。男性は鞄の中をまさぐり、肘もぶつけてきた。『妙な時間に電車に乗ると、ふだん遭わない目に遭うな』と思ったが考えすぎだろう。彼らからしてみれば目の前・隣に異様な青年が座っていたのだからおあいこだ。
 とはいえ、私は電車内で警戒されるタチなので、前方と横から遠慮なく圧迫してくる2人の男性には戸惑った。あまりこういう経験はない。私と合い席になった人は、たいてい萎縮する。普通にしてればいいのに、なぜか靴をまっすぐに揃えたり、荷物をしっかり抱きかかえたりし始める。こちらをチラチラうかがっていたかと思うと、フッと吊り広告に視線を飛ばす。よくわからないが私を警戒しているのだと思う。生真面目に膝の上にリュックを乗せ、律儀に足を椅子の下に引っ込め、体を壁際に寄せ、黙々と本を読む妙な青年が合い席では……危害はなくとも気は詰まるだろう。
 考えすぎかもしれない。私に限らず、電車内では誰と誰の組み合わせでも似たようなものなのかもしれない。ただ、いつもと少し違うこの日の男性2人には戸惑った。私を警戒している風でもなく、蔑視している風でもなく、触れるでも触れぬでもなく圧迫してくる。何だったのだろう。
 2人とも、単にガタイがよかっただけなのかもしれない。腹が出ていただけとも考えられる。疲れていただけかもしれない。

 千種駅で下車すると、やはり、約束の時間まであと1時間以上もあった。私は千種駅から歩き、今池の古本屋『神無月書店(書房、だったかもしれない。失念)』に向かった。
 時間があったので、全ての棚の背表紙を眺め、何かないかと探った。100円コーナーにて、ボブ・グリーンの『ホームカミング』を発見。おお、ボブ・グリーン。
 E.E.カミングズも見つけた。カミングズは思潮社の文庫を持っているのだが、この日ここで見つけた本は、ハードカバーでかなり褪色した趣のある本だった。この本、ぱらぱらとめくると奥付けの次のページにサインペンでこんな詩が書かれてあった──

死んだ男
誰にもとがめられず
空の???に入る これもなを
死んでレス± と再開する.
それは ?えたワセリンの?いねなく
?ひく抱よりしあう時
?の?レモンと葉?滲したズケの?みを直して

*以下略。
*達筆のため「?」の文字は判読不能。


──別にこの詩に惹かれたわけではない。ただ、なにか異様な空気を受け興味をそそられてしまったので買ってしまった。100円ならば痛くもなし。なおこの本は詩集ではなく短編集のようだ。
 挿絵と格言的な文言が気になったので(全く知らない人だが)『ピエール・ルヴェルディ』という人物の詩集も購入した。このような一節が目をひいた──

 大衆が理解したがらないこととは、大衆が求めているものとは別のものを彼に見せようと望むことだ。

   *

 生徒が理解しない時、教科書のせいにするのか、あるいは教師のせいにするのか? 大衆が理解しないというのはなぜ決して間違っていないのか?

   *

 芸術家は大衆に結果を提供する。すると錠前屋にどのような方法で錠を作ったのか決して尋ねない大衆は、この結果を手に入れるために芸術家がどこを通って来たのかを知りたがる。大衆は、結果に通じる同じ道を芸術家のあとから辿っているという幻覚を自分に与えてくれる作品を好むものだ。


──何者だピエール。
 その他には『現代詩手帳』の1991年7月号が目に留まった。特集が「詩になにができるか」。『何だその漠然とした問題提起は?』と一瞬カチンと来たが、15年前に誰がどんなクダをどんな方向へ巻いていたか興味が沸き、つい買ってしまった(そういえば3ヶ月ぐらい前にも、特集に惹かれて『現代詩手帳』のバックナンバーを買ってしまっていた。それは2003年5月号「『読者』いま詩はどこに届くか」。これまた何とも情けないテーマだ。しかし『今回買ったものとあわせて読み通せば「詩がいつから行き詰まったか」が垣間見えるかもしれない』とも期待している。期待するような明るい話題でもないが)。
 店内の奥では、形而上詩人と言われる「ジョン・ダン」の詩集も見つかり(機会があれば読みたいと思っていたものなので)大喜びしたが、中を見ると期待となんだか違ったのでこれは買わなかった。

 私がカウンターで支払いをしていると、背後から「こんにちわー、○○です、見せてもらってもいいですかー」と老人が店に入ってきた。『何だその挨拶は?』と不審に思ったが、店主は「どうぞどうぞ」と老人を一角に案内し、書物を示した。老人はしげしげとそれを検分していた。私が支払いを終え、店から出ようと歩みだすと、今度は背後で老人が「買いましょう、2万円でいいですね」と言った。そして間髪いれずに「こういう棟方志功さんの他にもないですかね」とも言った。なんだかわからないが収集家だったらしい。あらかじめ店に電話をかけて品の有る無しを調べ、今日は実際に品定めに来たのだろう。なにやら生々しいものを見てしまったような気がして、店を出てもしばらく落ち着かなかった。

 ISAMUさんとは千種の書店『ちくさ正文館』で会うことになっていたが、まだ時間があったため私は『ちくさ正文館』そばの公園でベンチに腰を下ろした。ぼんやり煙草をふかしながら、私は鬱屈とした気分になっていた。その公園にはホームレスが荷造りを行っており、鳩の大群が芝生を喰らっていた。また公園そばには(ジングルが特徴的ななテレビCMをよく流している)専門学校のビルがあった。午後の授業がひと段落した時間なのか、ビルの入口からは若者がぞろぞろと際限なく湧き出していた。どの若者も裕福そうで、今風の服装をしていた(「裕福そう」というのは、彼・彼女らのコーディネートに着まわしの利かないデザインや色合わせが珍しくなかったためだ。彼・彼女らは衣服にそれなりの金額をかけているのだろう。珍しくもないことだが)。色とりどりの若者たちがホームレスの横を笑顔で通り過ぎていく。
 名古屋に通うようになってだいぶ経つが、私はいまだに都市が好きになれない。大都市の狂った部分を目にするたび、私は(何に宛ててでもないが)嫌気がする。名古屋や大阪、東京のような大都市で生まれ育った人間は、ホームレスや路上パフォーマー、ティッシュ配りや放置自転車などを見て何も感じないのだろうか。平然と横を通り、淡々と学校に通い、いつか専門職に就いて何かを成し遂げる気なのか。わからない。
 私は若者たちを眺めながら、ほんやりと『あの娘がどんな美容師でも私の髪はやって貰いたくない』『あの少年がどんな映像作家でも報道にだけは関わってくれるな』などと思った。そして即座に『己のことを棚に上げて何を言っている』と自分を責めた。大都会に来ると、たまにこんな思考の迷路に落ちる。当然のことながら良い気分ではない。

 煙草を吸い終え、公園でボブ・グリーンを読み進めた。『ホームカミング』はベトナム帰還兵たちの投書をまとめた本。井上一馬・訳、文芸春秋・刊、ハードカバー。のちのち改めて感想を書くつもりだが、簡単に触れておく。
 コラムニストであるグリーンは、自分のコラムで次のような疑問を記した──

P.9
 じつは、もう何年も前から私は、この国の兵士たちがヴェトナムから帰還したさい、反戦運動化たちによって唾を吐きかけられたという噂を耳にしてきた。しかも多くの場合には、話は驚くほど具体的だった。
 ヴェトナムでの任務を終えて帰ってきたばかりの軍服を着た兵士たちが、空港で飛行機を降りると、そこで、「ヒッピー」に唾を吐きかけられる。
 そこではなぜか必ず唾を吐きかけられるのは空港で、唾を吐きかけるのは「ヒッピー」ということになっていた。

P.10
 私は知らず知らずのうちにそれについて考えはじめていた。少なくともわれわれは、あの当時、ヴェトナムから帰ってきた兵士たちを迎えるために、パレードや慰労パーティが行われなかったことを知っている。だとすれば、彼らが唾を吐きかけられた可能性は十分に存在することになる。
 だが、はたしてそんなことが本当にありうるだろうか。反戦運動がもっとも高まりを見せていた時期でさえ、反戦運動家たちが非難していたのは、政府の高官と軍の最高司令官たちだったのではないだろうか。少なくとも私の記憶ではそう思える。

P.10
 それに、噂では起こったとされている出来事を現実的に想像してみても、疑問な点がいくつかある。
 あの時代いわゆる「ヒッピー」と呼ばれていた人間に対して人びとがどのようなイメージを抱いていたとしても。彼らがこの世の中を代表するようなマッチョ・タイプの人間ではなかったことだけはまちがいない。そのことを踏まえたうえで、筋骨隆々の元グリーン・ベレーの兵士が、軍服姿で空港を歩いている姿を思い浮かべてみてほしい。そしてその前を、たとえばひとりの「ヒッピー」が横切るとする。はたしてそのヒッピーは兵士に向かって唾を吐きかける勇気があるだろうか?

P.11
 そうしたことが私には疑問に思えてならなかった。そして結局私は、その問題を新聞の自分のコラムのなかで取り上げた。

P.11
 もちろん私はこの質問を軽い気持ちで、あるいは単なる好奇心から元兵士たちに投げかけたわけではない。もし兵士たちが唾を吐きかけられたという噂が本当だとすれば、われわれは、その事実を知る必要がある。あるいは逆に、もしそれが神話にすぎないのだとすれば、やはりそのこともわれわれは知る必要がある。そう思ったからこそ私は、この疑問に答えてくれるかもしれないヴェトナム帰還兵たちに対して、もし本当に唾を吐きかけられたのだとすれば、そのおおまかな日時と場所と状況を知らせてくれるようにコラムのなかで呼びかけたのである。


──この問いかけが掲載されてから、グリーンへ帰還兵たちから大量の手紙が送られてきた。唾を受けたと述べる者、受けなかったと述べる者、別の視点を差し出す者など。手紙はどれも生々しいものだった。この時、アメリカ撤退(1973年)から約15年後。
 冒頭からたちまち釘付けになった。とてつもない良書だった。『こんな逸品も100円で叩き売るのか?』。10ページ読めばもう価値がわかりそうなものなのに、あの古本屋はどういう基準で値を付けているのか。カバーがいくぶん汚れていたので、そのせいかもしれない。だがそれを含めても100円はないだろう。おかげで私は幸運な出会いをできたわけだが……。

 時間になったので本を閉じ、『ちくさ正文館』へ向かった。店内で、ISAMUさん・店長の古田さん(お久しぶりです)と少し立ち話をした。10月『TOKUZO』でのイベントについてなど。どうも恐縮してしまった。
 その後、ISAMUさんと今池のお寿司屋さんへ移動し、大将と『今池まつり』の簡単なミーティングをした。禁止事項や機材、プログラムに記載する名称などについて。失礼ながら、岐阜県民でもある私は名古屋の『今池まつり』を見たことがない。大将から去年のプログラムを見せてもらい、ISAMUさんからは去年の様子などを聞いた。9月はISAMUさんと若原の2人で1時間を務めることになっており、不安も無いではない。オープンマイクやフリートークなども行う予定だが、自分なりに弾数や飛び道具を練っておく必要がありそうだ。
 その後、2人で今池のライブバー『パラダイスカフェ』にも行った。ISAMUさんが注目しているスポットらしい。平日開催でお借りする場合の値段やシステム、開店・閉店時間、機材やその他について聞いた。ちらっと会場を覗かせてもらったが、客席が広く、ステージも広かった。システムもお手ごろだった。平日に何かやるのなら憶えておきたい。いい雰囲気の場所だった。スタッフの方も丁寧で親切だった。

   *

 路上でまた少し立ち話をしたあとISAMUさんと別れ、私は地下鉄で移動、矢場町で下車、名古屋パルコの『木村祐一展』へ向かった。
 地下鉄「矢場町」駅は面妖なつくりで、改札を出ると壁にパルコのオブジェがある。出口を探すと、高島屋に出たり地下駐車場に出たり『ランの館』に導かれたり公園の中に出たりする。このあたりはいわゆる繁華街で(と言っても田舎育ちの私には名古屋全体が繁華街に見えるのだが)、スニーカー専門店とか、壁にツタが這っているオープンカフェとか、欲望と体裁を丸め込んだような店が並んでいる。歩いている人々もおしゃれで都会的だ。どうにも苦手だ。
 名古屋パルコの入口では、従業員がプラカードを持って立ち、ポイントカードへの入会を呼びかけていた。「今なら2000円の商品券をプレゼントさせて頂きますー、受付のお席あいておりますのでどうぞー」。先月だったか先々月だったか、以前パルコのそばを通った時も同じことをやっていた気がする。気分がすさむ。
 建物に入って、さらに気力が下がった。普通、デパートなら中はバラエティに富んでいる。地下に食料品があり、中間に衣服があり、上の階に家電や家具がある。『いろんなジャンルがひとつのビルにまとまっているのが商業ビルだ』というイメージが私にはある。しかし名古屋パルコは違った。ここはデパートではなくファッションビル(死語?)なので、生活用品もなければ多ジャンルにもなっていない。衣服・水着・アクセサリー・小物・化粧品・靴・飲食店など、必要性のわからないアイテムがどこまでも並ぶ。派手な色づかいのブースが競って延々と続く。通り過ぎる客や店員は誰も、立ち並ぶアイテムを着こなしツンとすまして動いている。場違いなところに来てしまったようでいたたまれなくなった。

 東館から西館に移動しエレベーターで8階へ。やる気のなさげな受付で入場料300円を払い『木村祐一展』に入った。入口には木村祐一の「だんだん短くなるプロフィール」が貼られていた。かしこまったプロフィールが、だんだん無駄を省かれていき、最後には「写術」の2文字になってしまう。いきなり、何だ。
 進むとその『写術』の展示があった。壁に写真が飾ってあり、ヘッドホンが備えられている。ヘッドホンをかけ壁のボタンを押すと、写真の解説が聞けるというもの。ライブの映像も流されていた。うまく伝わらないことは承知で、一部を回想・紹介してみる──

「このお店。スナック『マユミの城』書いたりますね。マユミさんが苦労して作りはったんでしょう。なんでかイギリスの国旗がついてますけどまあ、お城ということで。……でもこの店、閉まってたんです。ここに貼り紙がしてあるんですけど。『お母さんに会ってきます』。どこまで行くねんという」

「こちら。『大変恐縮ですが当店の皿うどんはあんかけになりました』。どれほど悩んであんかけにしたかということですよ。『あれえ? うちの皿うどんおかしいんやないやろか。ほかはトロッとしたのがかかったるのにうちは……。でも師匠はこういう風に作ったあったしなあ。なあお前、これうちの皿うどん……』『はよ仕込みしいや!』『うーん……』みたいなね。で何ヶ月もかけて決心してやっと『大変恐縮ですが当店の皿うどんはあんかけになりました』。まだちょっと迷ってるんでしょう」

「えー、カメラ屋さんです。これ一見『アオキカメラ』に見えるんですけど実は『アキオカメラ』なんですね。……まぎらわしーわ、もうええやん『アオキカメラ』で」

「これラーメン屋のカウンターにあった塩のフタなんですけどね。ちょっとずれてるんです。手塚先生のベレー帽みたいになってる。『あっ、手塚先生や!』いうことでこんなのも撮ってみたんですけどね。ただそれだけなんですけれども。……。手塚先生は人々の心に残ってんのやなあ、と」

「これ。ワゴンセール『難有り PLAYBOY 500円』。ま、これはいいんですけどこの店、次。衣服『涙のサービス980円』。『涙のサービス』てちょとあまり見ない言い方ですけれども。この店ほかにも、はい。『涙のサービス』『涙のサービス』『涙のサービス』『涙のサービス』『涙のサービス』……みんな『涙のサービス』中やんか。どんだけ涙流さなあかんのかと。でもこの店ね、家具とかも売ってるんです。遠景こちら。『くだものや西崎』。どないやねん。まあ果物屋からリサイクルショップになったんでしょうけどね」

「次これです。ウィンドウに『カメラ半額!』貼ってありますね。となりに『時計半額!』があって、『全商品半額!』『鏡半額!』。じゃあ『全商品半額!』でええやん。なにを分けて書く必要があるのかという」

「こちら。自分の車のメーターなんですけど。走行距離が『7777』です。で次こちら。『8888』。次『9999』。こうなると、今度は11111やなあと狙ったんですけどね、こちら。『11112』。しまったーと思って。でもこれ戻すわけいきませんしね……まあ今度は22222かと思ったんですけど。後輩に話したら『いや兄さん! その前に12345があるじゃないですか!』言われて。そやったな、で、これです。『12354』。ああっ、もうっ」


──うろおぼえだが、こんな感じだった。笑った。ほかのお客さんはあまり声を出して笑っていなかったが、私は笑わせてもらった。いやあ面白い。
 そのほか、私物が展示されていたり、自室が再現されていたり、料亭のセットがあって割り箸を取ると「ハズレ」と書いてあったりした。「かっこつけんな。かっこいいことやれ。」などという毛書が貼ってあったりもした。面白かった。なかなか面白かった。小規模な展示だったが、300円は安い。

 1時間半ぐらいか……かなり時間をかけてみっちり見てから、名古屋パルコを出た。そのまま朗読劇『本読ム夜』がある藤が丘に移動しようかと思ったのだが、なんだか疲れていたので腰を落ち着けられる場所を探した。煙草も吸いたかった。
 たしか地下鉄の駅からどこかの出口へ向かう途中に喫茶店があったような……と歩いていたら、「コーヒー200円」との看板を見つけた。『えらく安いな』と看板の出ていた角を曲がると、そこは階段だった。『この上なのか?』と階段を上ると、今度は公園のど真ん中に出た。美術館や動物園に喫茶店が内包されていることがあるが、そのような形で、公園の敷地内に組み込まれ営業している喫茶店だったらしい。
 中はファーストフードのようなシステムだった。カウンターで注文・支払い・受け取りをして、自分で席へトレイを運ぶ。私はジンジャーエールを受け取って席についた。煙草を吸い、ぽつねんと窓外の公園を眺めた。2〜3歳ぐらいの子供が母親に付き添われながら芝生を歩んでいるのが見えた。
 地下鉄の時間まで、私は席で例のボブ・グリーン『ホームカミング』を読んだ。数十ページ進んだあたりで、急に店の外でガラガラッと音がした。何事かと顔を上げると、店員が店のシャッターを下ろし始めていた。『もう閉店なのか? それにしては蛍の光も流れてこないし、誰も何も言ってこない。だいたい、繁華街のど真ん中・駅のすぐそばにあるお店がこんなまだ明るいうちに閉店するものか?』。まあいいや、と読書を続けていると、数分後、背後から「お客様すみません、閉店です」と声をかけられた。『そういうことは閉店5分前ぐらいに言ってくれ』と思いつつ荷をまとめ席を立ったが、入口の扉が開かなかった。観音開きの扉で、右手でノブを引いても開かない。右手で、左側のノブをひいたら開いた。……。『別に大事にされるほどの客じゃないことは自覚しているが、それにしたってもうちょっと人に優しく』と思った。店を出て入口を振り返ったが、閉店時間はどこにも書かれていなかった。

 地下鉄で藤が丘へ移動、下車した。先ほどの喫茶店を早く追い出されてしまったため、まだ時間は30分もある。夕食がわりにと、目に入ったコンビニで「たまごベーコンパン」125円を買った。
 座れる場所を求めてぶらつくと、藤が丘の駅から出たところに路上パフォーマーがいた。ひとりがギターとボーカル、もうひとりがカホンでリズムを刻んでいた。2人はとくにギャラリーの関心を集めては居なかった。ボーカルの声量が弱く、浸った表情で歌っていたためだと思う。路上には20人ほどの若者がいたが、たいていのは何かの待ち合わせのために居ただけのようだった。明確に歌へ関心を向けている者はいかなかった。
 私はガードレールに座り、パンを食べながらシンガーを見ていた。『この人たち、オリジナルよりスタンダードナンバーとか話題曲とかやった方がいいような気がするな』『路上ではオリジナルにこだわらない方が良いでのはないか。有名な演目の方が、人は足を止めてくれるだろう』とふと考えた。『ああ、私は何を偉そうにそんなことを思えるのか』とすかさず自分を反省したが、ともあれひとつ発見にはなった。『今池まつり』では、自作に限らずいろんなテキストを用意しておくといいかもしれない。
 そういえば、9月の『今池まつり』、10月の『TOKUZO』と、予定がまた決まってきた感じがある。夏は何度かフライヤー行脚をすることになるだろう。

 パンを食べ終え、開演時間も近づいてきたので『WEST DARTS CLUB』に向かった。私の5メートルばかり前を男性が歩いていた。男性は『WEST DARTS CLUB』のあるビルに入った。私も続いた。男性が先にエレベーターに入ったので『すいません乗ります!』と声をかけてちょっと待って頂いた。乗り込んで、お礼を述べた。

 日常朗読企画『本読ム夜』は、月1〜2回の連続シリーズ。朗読という点は一貫しているが、それぞのれ回で出演者や演目は大きく異なる。初回となるこの夜は『マルグリット・デュラスを読む』だった。
 奇妙な物語だった。森の中にいくつかの黒い塔がある。そのひとつに、婦人と少女が住んでいる。2人は血縁ではない。少女は爆撃機の飛来を察知することができた。婦人は爆撃を祈ることができた、ドイツ人を殺してしまえと。少女は死を恐れた。猫が居た。夜だった。……。うまく説明ができない。音楽などの演出も加えられ、ゆっくりヒタヒタと朗読された。上演時間は40分ぐらいだったと思う。
 終演後、会場は観客たちめいめいの雑談で賑わっていた。私はある男性に話しかけられ、感想を訊かれた。数秒言葉に詰まったが、私は正直に答えた。『少女と婦人が、何の冗談も元にせず、突然けたたましく笑い出しましたよね。そして少女がいきなり婦人を突き飛ばした。そして猫のところに駆けて行った。……なぜそうなるのかが理解できませんでした。私には、あっけに取られっ放しだったかもしれません』。男性は、その不自然さ・不条理さが戦時下の極限的な精神状態を表しているのではないかと答えた。私はそうだろうかと思った。男性は、デュラスの作品はト書きと台詞のみで構成されており、感情の説明が一切ないのだとも言った。私は、確かにこれは演じられること、読み解かれることを想定した物語だと思った。このテキストは、アレンジによって辻褄の合ったミステリーにもなろうし、破綻した奇譚にもなろうし、一風変わった喜劇にもなる、そんな気がした。
 『本読ム夜』総企画の杜川リンタロウさんに挨拶し、会場を出た。地下鉄の車内でも私は考え続けた。あの物語はどういうことなのか。特に気になったのは、作者は戦争をあのような取り扱い方で済ませてよかったのかということだった。男性の言葉通り「極限状態」の異常さがメインであったのなら、何も戦争を引き合いに出す必要はない。むしろ、戦時下を舞台にすることで要らぬ政治性や先入観を巻き込んでしまうリスクばかり高まる。いかなる意図で時代を戦時下に、登場人物を奇妙な人格に設定したのか。なぜ塔に閉じ込めたのか。森にある黒い塔とは何なのか。わからない。ヨーロッパ人なら理解できるのだろうか。それとも、シュールさを狙い、もともと理解を絶した組み立てがされていた作品だったのか。考え込んだ。

   *

 帰りの電車はおそろしく混んでいた。私は席に座れたが、立っている女性の鞄が何度か腕に触れてきた。先頭車両だったせいかもしれないが、それほどに混んでいた。車中、私は黙々と『ホームカミング』を読み進めた。
 電車から降り、自転車にまたがって家路を進んだ。しかし5分の4ぐらい来た所で、私は道を変えた。このまま家に帰るより読書に没頭したい気分だった。近場にある、朝5時まで営業しているファミリーレストランに入った。23時ごろだった。

 ドリンクバーと小うどんを頼み、席に着いた。隣の席には若い女性が3人、なにやら旅行の計画を練っている様子だった。店内は混んでいた。どこからか「だれそれはキモい」とか「なにがしはヤバい」とか「いかにもなんたらだ」といった男女の会話も聞こえてきた。名古屋でさんざん今風の若者やファッションビルに面食らってきたあとだったので、多少気が塞いだ。しかし本を開くとすぐにどうでもよくなった。不思議なもので、無音より、好きな音楽が流れているより、テレビや雑談が流れている方が私は集中できる。

 『ホームカミング』は6部構成になっている。本書の成り立ちを示した「はじめに」と、多数の手紙を収録した「唾を吐きかけられた兵士たち」「唾を吐きかけられなかった兵士たち」「歓迎された兵士たち」「唾を吐きかけられるよりひどいこと」「その他」。
 短いものを選んで引用、紹介する(ただし、これだけで判断してもらっては困る。本来なら一冊丸ごとお見せしたいところだ)──

P.63
ウォルター・ハワード(イリノイ州ロゼル)
 唾を吐きかけられただけでなく、僕はののしられ、卵をぶつけられ、やじり飛ばされたよ。汚い字で申し訳ない。いま、二歳になる息子の子守りをしてるところなんだ。

P.122
ミセス・アルバート・フォースター(オハイオ州セント・ルイヴィル)
 私の息子は陸軍の帰還兵です。ナムには三十ヵ月いました。ええ、たしかに、息子と、いっしょにいたほかの何人かの兵士たちは、オハイオ州のポート・コロンバス空港で唾を吐きかけられましたよ。でもあれはヒッピーじゃなくて、年配の立派なコロンバスの人間でした。息子は、ナムで怪我をして、少し不潔になって故郷にもどってくるところでした。あのころ軍服を着るのは危険なことでした。でも、わたしは、息子のことを誇りに思っています。あの子は麻薬も煙草もいっさい吸わなかった。あの子は帰還兵として正当な扱いを受けなかったのに、文句ひとついわなかった。息子は、名誉負傷章と青銅星章をもっています。

P.127
ハル・ポールク(サウスカロライナ州コロンビア)
 私は、一九六七年、七〇年、七三年の三度、ヴェトナムから帰国している。入国地はいずれもトラヴィス空軍基地で、そのあと軍服を着たまま飛行機に乗って、サンフランシスコからフロリダまで行った。
 私は、そのいずれの機会にも唾を吐きかきかけられたことはないし、どのようなかたちであれ、自分に向かって敵意をむきだしにされたことはない。私の友人たちもまた、一般の市民からいかなる種類の不愉快な反応を示されたこともない。

P.131
ゴードン・L・ウェッブ博士(ルイジアナ州シュリーヴポート)
 私はヴェトナム帰還兵です。アメリカ空軍に一九七一年から七五年まで所属していました。しかし私は、兵士が唾を吐きかけられるのを見たことも、そういう話を本人の口から直接聞いたこともありません。
 もちろん、敵意をむき出しにされたことはありました。不愉快なことをいわれたこともありました。
 当時は多くの人間が、軍服を着ている人間に向かって戦争反対の意思表示をしたがっているように見受けられたことも事実です。私たちに責任があるかのようにいわれることもたびたびありました。しかし、唾を吐きかけられたことは一度もありません。

P.156
デイヴ・スペリー(イリノイ州バテイヴィア)
 私は一九七〇年の十月、軍服を着て帰国しましたが、問題らしい問題にはいっさい遭遇しませんでした。同じ年、私は特別休暇でヴェトナムを発ち、その三十六時間後に、ジャングル用の戦闘服を着たまま(真っ黒に日焼けして)オヘア空港のなかを歩いたこともありましたが、ヒッピー風の格好をした人間も含めて、私がまわりの人間から受けた反応は、どちらかといえば、紅海を渡るモーゼが受けた反応に近いものでした。彼らはみな私の姿を見ると、私をやり過ごすために黙って道をあけたのです。

P.227
ボブ・ボートン(オハイオ州フレデリックタウン)
 これは本当の話で、「ヒッピー」も登場する。
 あれは、フィラデルフィアの近くにある軍の病院で、ヴェトナムで受けた傷の治療を受けているころのことだった。僕が病院から家に帰ろうとしてバスを待っていると、年配の女がひとり僕に近づいてきた。そして僕の顔を真正面から見据えると、彼女は僕のことを、国に雇われた殺し屋呼ばわりしたんだ。
 だが、さっきいったように、僕の話には「ヒッピー」が関係してる。僕に罵声を浴びせた女が立ち去ると、ベルボトムのズボンをはいて、首飾りと平和のシンボルを身につけた若い女が僕に近づいてきたんだ。そして彼女は、僕の目を見つめて、ヴェトナム帰還兵がこんな目にあって本当に気の毒だと思ってるといってくれたんだ。
 僕は、彼女の名前を訊くどころか、礼をいうことさえできなかった。だが、彼女の顔とあの思いやりのある言葉はいまも僕の脳裏に焼きついている。

P.244
ベン・リンボー(イリノイ州バテイヴィア)
 空港で自分を待ち受けている事態に対して心の準備を整えながら、僕は帰りの飛行機のなかで、自分が帰国時に、拍手と嘲笑のどちらも望んでいないことに気がついていました。そして現実にも、僕は帰国したときに、そのどちらも受けませんでした。ただ、オヘア空港に向かう飛行機のなかで、僕の隣に坐った美しい看護婦さんが、僕に、「ありがとう。無事に帰ってこられてよかったですね」といってくれました。
 その後、イリノイ州のノーマルにあるイリノイ州立大学のキャンパスで、戦争反対を唱えていた女性の大道芸人が、突然僕と友達の前に現れて、「今この瞬間にも、人間同士がヴェトナムで戦い、死んでいってるのを君は知ってるかい?」と絶叫したことがありました。僕が、「ああ、知ってるよ。そこから帰ってきたばかりだからね」と答えると、その女性がわっと涙を流して、僕に謝ったことをいまでも僕はよく覚えています。

P.287
ジェイムズ・W・ワーゲンバック(コロラド州ゴールデン)
 右腕をなくして一九六九年にヴェトナムから帰ってきたとき、僕は二度見知らぬ他人に声をかけられた。一度はデンヴァー大学のキャンパスで、もう一度はコロラド大学のキャンパスでだった。
 どっちのときも僕は軍服を着ていて、近づいてきた学生タイプの男たちに、「どこで腕をなくしたんだい? ヴェトナムかい?」と訊かれた。
 僕は、そうだ、と答えた。
 そしてその答えは、「ざまあみろ。罰当たりめ」だった。

P.294
ドン・ウッドワード(アラバマ州バーミンガム)
 ヴェトナムに一年間いたあと、一九七〇年の五月、僕はカリフォルニアに帰ってきた。事前に、ジャングル・ブーツや戦闘服や勲章は身につけないほうがいいといわれていたので、僕はそのとおりにしたし、トーキョー経由でアメリカに帰ってきて、空軍基地に飛行機が着いたのも幸運だったと思う。
 しかしその三日後、あるバーに入って、この国の若い女の子に──それは僕が帰ってきて最初に目にした女の子だった──一杯おごらせてもらえないかというと、僕はその子に、「ふざけんじゃないよ、この赤ん坊殺し」といわれた。どうして僕がヴェトナム帰りだということが彼女にわかったのか、僕にはいまでもわからない。
 僕は誰も殺しちゃいない。僕は事務局で働いていたにすぎない。

P.360
デイヴ・ローガン(オハイオ州ニュー・マーシュフィールド)
 三カ月前、俺はいまの新しい部署に異動を命じられた。そして上司に、自分がヴェトナム帰還兵だという話をすると、奴はこういったよ。「へえ、ぜんぜんわからなかったな。君は外見だってごく普通に見えるし、行動にも異常なところなんかないじゃないか」
 こんなのはほんの序の口にすぎない。


──ファミレスという、自分が冷静に律される空間でなければ、私は読みながら涙が止まらなかっただろうと思う。

 はす向かいのテーブルから、女性の話し声が聞こえた。「法律とかわかんないしさあ」。私は顔を上げ、声に耳を向けた。「税金とかもよくわかんない」。堂々と笑顔で何を言ってるんだ、自分の恥をどうしてそう嬉しそうに話せるんだ?「だいたい国会とか意味もわかんないし」。私は『ネットで調べろよ』と思った。怒っていたと思う。だが、何も言わなかったし何もしなかった。ただ何かが嫌になった。
 『ホームカミング』を読み終えたのは3時半ごろだったと思う。しばらくぼっとしてから、持っていた何冊かの本にとりかかってみたが、どれもうまく頭に入ってこなかった。ネットで見つけ、いつか読もうと携帯していた文を開いてみたが、どこにでもある詰まらないグチにしか感じられず入り込めなかった。突然ぐったりと眠気がしてきた。閉店までまだ時間はあったが、私は荷物をまとめ店を出た。家に帰ろうと思った。
 私が席を立つすこし前、若い母親が2〜3歳の子供を連れ、店内のガチャガチャにコインを入れているのが席から見えた。『何でこんな時間のこんな場所にそんな子供が居るんだ? 寝ろよ!?』と苛立ったが、他人のことは言えない。母親は出てきたカプセルを手に取り、開けようとしたが硬くて開かないようだった。私が助力しようか無視すべきか悩んでいると、店員の婦人が駆け寄り、数度かかってカプセルを開いた。母親は中身を子供に与え、無言で店を出て行った。

 帰宅後、私はシャワーを浴び、この文章のメモを少し書いた。そして眠った。とくに夢は見なかった。
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2006年03月21日

3月8日〜19日

 今日、えいやっと部屋をすこし片付けました。すると古本屋で買って未読の本がぽろぽろ出てきてしまいました。スペースを作って、そこに未読の本ばかり集めてみたんですが……約50冊。あ、アホなっ。自分で自分にあきれます。1冊100円としても、ちょっとこれは行き過ぎではないのか。2日で1冊読破しても夏までかかるぞ。
 しばらく本は買わないことにします……。その50冊はもちろん自分が読みたくて買った本なので、ちょっとずつ消化していくつもりです。読みたいものはちゃんと読もうと。なんやら義務なのか自由なのかわからん状況ではありますけど。飽読の時代。

 話は変わりますが、最近私はPCの壁紙をこれ(PNG、4.61KB)にしています。自作です。なんだかこれぐらいの方がすっきりしていいなって。私はデスクトップに優先作業ファイルのショートカットを並べている人なので、壁紙は地味であればあるほどショートカットが目立っていいんです。へたな色気とかもない方が、PCが「ただの道具」らしくなってまたよろしい。
 あ、予断ですがWindowsXPの方はStatic_Flowerさんの『Windows XP 補完用アイコン』がクールで便利ですよ。私はPNGアイコンしか使ってないけれど。きれい。デフォルトのものとよく合います。

   *

 8日(水)は自分のオープンマイク『詩のあるからだ』、翌9日(木)は昼からclubBLさんで『39@rt』でした。

 オープンマイクは盛況でした、いろんな方がいらっしゃって。会場POPCORNさんの普通のお客さんも、前半全部(1時間強ぐらいかな)たっぷり聞いていってくださったし。後半のスラムでは投票に参加してくれた人もいたし。拍手も素直に大きかったです。よかった……。私自身も、やってて楽しかった。ありがとうございました。

 翌日の『39@rt』は、不思議な平和さでした。昼間のBLさんに行ったのは初めてでしたが、ひどく明るくて驚きました。いつもはステージの後ろに白いスクリーンが張られていたのですが、この日はそれがありませんでした。そして窓がある。わあ、ここってこんな大きな窓があるところだったんだ。明るい。そういえばここってビルの7階だったっけ。いつも夜にしか来ないので、明るさに驚きました。
 室内のあちこちでは生け花・絵画・イラストなどが行われていました。私も何かしようかと思ったんだけど、絵を描こうとしてもうまくいかなかった。前日に(特集が面白そうで)買った『現代詩手帳』を読んでても……なんかインテリぶっててイカンような気もするし。絵画が出来上がっていく様子を見ながら、のんびり放心してました。その絵は、ちょっと私が外に出て戻ると完成してました。ぐああー。あの広い空の部分にどんな雲がどんな風に追加されていくか見たかったのにー。失態です。
 夜になってからアニメーションの上映があり、ライブパフォーマンスも行われました。アニメーション面白かったです。ネタ一発みたいなものもあれば、コントみたいなものもあれば、メルヘンチックなものもあれば、ドラマチックなものもある。
 会場では『終わりの世界』という作品が人気でした。主人公が地面の穴に棒を刺すと、地面から棒がつぎつぎに生えてきて塔が建つ。主人公は塔のてっぺんから飛び降りる。すると地面に激突せず、地面の中の海(?)に入る。そのまま海の鯨に飲み込まれる……と、先の読めないシュールな世界がどんどん刻々と続いていく。最後は失くした帽子が風に乗って戻ってくる。……うまく説明できないな。
 アニメーションは、テクノっぽいBGMが付けられていたものが多かったです。音と映像のタイミングがビシッと合っててね、どれもおもしろかった。

 数日して11日(土)。この日は『言葉ズーカVol.その4』でした。時間がだいぶ押してしまったんだけど、30数名のお客さんがいらしてくださって。賑やかでしたし場も明るかった。私は出演者・スタッフだったからほとんど客席から見れていないのですが「面白かった」「休止ざんねん」との声が多かったみたいです。
 オープンマイク、自分が司会だったんですがエントリーされた方が少なくて、ISAMUさんと一緒にお客さんを指名していくみたいな状況になってしまって申し訳なかったんですけれど。……私もISAMUさんも、何か『この人は何かだ!』という方にリクエストを振ったんです。そして求められた方が実際に面白かった。ハーモニカ演奏1名と舞踏2名のパフォーマンス凄かったし(即興でユニゾンできるものなんだ……)、通学途中の犬について話してくれたコウさんも、私のリクエストでカメラについて語ってくれたHさんも面白かった。緊張したでしょうが、やってみると面白いし届くんですよね。だれでも何か言えることはあって。
 二足歩行クララさん、竹本サオリさんにもお世話になりました。いろいろ気を使って頂いて。みなさんありがとうございました。やっぱりいち観客としても見てみたかったなあ。

   *

 それからしばらくして、昨日19日(日)。また名古屋に行ってきました。
 まず名古屋駅のビル。以前、桑原滝弥さん・馬野幹さん・谷川俊太郎さんが雑誌で対談されたそうで、その雑誌『Midnight Press』を購入しました。
 地下鉄構内へ向かう途中にある煙草の自販機にも寄りました。都会の自販機には珍しく、ここには『CHERRY』も『echo』も入ってるんです。でもこの日は『GOLDEN BAT』を3つ買いました。安かったし、手持ちの小銭がちょうど使いきれる額だったから。130円だったかな。私はそれほど煙草の銘柄にこだわらないんです。『好みのものが吸えれば嬉しいけど、今日はべつに煙草であればなんでもいいや』と考えることがよくあります。

 その後、覚王山へ向かいました。15日にjaajaさんが覚王山に喫茶店を開店されたんです。開店祝いを用意してくるのを忘れたため『Midnight Press』を進呈しました。ゆーにゃんさんが出てた『俊読』についても触れられてまして。
 風の強い日でした。工事現場にある赤色のコーンが倒れて、車道にずりずりと滑っていました。拾って工事現場に戻しておきました。

 次に、手放した『Midnight Press』を自分用にまた買うため……今度は千種で下車し『ちくさ正文館』へ行きました。『Midnight Press』に加え、ひどく面白くかつ読みやすそうな「詩の森文庫」の谷川俊太郎著『詩を書く なぜ私は詩を作るか』も購入。ああ、また本が増えてしまった……。

 満足感と読書責務との間でモヤモヤしつつ、熱田に移動。オープンマイク『続・ぽえ茶』へ入りました。
 会場CoffeeToshiさんの向かいにあるビルに「奇神建設株式会社・名古屋支店」とあり、私は『すごい名前だ。バベルの塔とか作ってそうだ。いや、バブルの塔かもしれん』なんてくだらんこと言ってた気がします(コウさんに「“寄”かもしれない」と言われたんですが、あれはどう見ても“奇”でした。でもいま調べたら『“寄”神建設』でした。なんということだ)。
 この日、ISAMUさんが「あなたの夢は?」といった作品を読まれていました。8日(木)の『詩のあるからだ』で雑談し、触りだけ伺っていたのですが、これはよかった。詩的だし願いもこもっているしISAMUさんのキャラでもあるし、よいテキストだと思います。
 この日は宮島さんの娘さんと、お友達も朗読されました。若々しかったです。ひさびさに正木(まさき)さんもいらっしゃいました。『星』の詩が面白く印象に残りました。「にぼしのこと?」「ちがうよ」「捜査対象のこと?」「ちがうよ」と話が続いていく内容で最後に「目を閉じてごらん」「ああ、ホシって私のことだったんだ」ときれいに終わる……。最後まで星がチラつき、見えて、見えない。面白かったです。
 岡本はなびーるさんは、いつのまにか「岡本はな」に改名されてました。はなちゃん、はなちゃん、って呼ばれてはって。ほんのちょっとうらやましかったです。なお、林本議長により5年間は「はなびーる」さんと呼んでしまっても逮捕されないことに決まりました。私はすでに1回「はなびーるさん」とつい言ってしまったので、当局からマークされています。ぎゃわー。

 古村てっちゃんが何故か『ブラックストーン・チェリー』を吸っていたので『GOLDEN BAT』と1本交換してもらいました。
 『ブラックストーン』というのは、海外製のめちゃめちゃ甘口の煙草です。巻紙に細工があるのか、火を点けずに咥えているだけでも甘みがします。開封して置いておくと、周辺の本やら鉛筆やらに甘い匂いが伝染する。空き箱だけでも、放置しておくと周辺の小物が甘い匂いを帯び始める。『これ作ってる工場は殺人的に甘い匂いで満ち満ちてるんだろうな』と悟らされる、かなり個性的な煙草です。
 聞けば、てっちゃんは煙草が切れたのでなんとなくこれを買ってしまったそうな。……たしかに、煙草が切れた時ほど妙な銘柄に手を出しちゃったりするよな。身に覚えがあるので笑えません。私も安いからというだけで『GOLDEN BAT』吸ってましたしね。
 1本だけ交換してもらいましたが、『ブラックストーン』と『GOLDEN BAT』では1本あたりの単価が2〜3倍ぐらい違います。……悪いことしたかな。でもないかな。もらった1本はおいしかったです(煙草に「おいしい」という表現を使うのもおかしい気がするけれど)。

   *

 17時半ごろかな、『続・ぽえ茶』が解散し、宮島さん・林本さん・私の3人は「藤が丘」に向かいました。オープンマイク『ち〜OneRing』があったんです(主催はちどりさん)。
 音楽も演劇もコントもありの場で、ポエトリー・リーディングの世界に由来しているわけではないので「オープンマイク」という名称は冠していませんが、基本的なシステムは同じです。エントリーして、誰でも出演できる。名古屋の他のオープンマイクと違うのは、いち出演セッティング込みで15分と、持ち時間がライブ出演並みの長さであること。音楽から演劇から、いろんな方が集まっているのでほんとにライブみたいです。音楽だけでも、ボサノバ、ブルース、ロック、テクノポップまで。平林さんのように、台詞をググッと聞かせる歌もあります。濃密でハイレベルです。
 あと、会場がしっかりしています。音響機材が充実しており、会の進行もスムーズです。セッティング中には場が沈黙してしまわないようBGMを流し続けてくれてたり、2階席もあったり……飲食店でのオープンマイクとは一段違う、丁寧な作りに感激しました(でも千鳥さんに『勉強になりました!』と言ったら「楽しむ場だよ」と軽くいなされました(笑)。うは、そうだよな)。笑いあり、音楽あり、言葉あり。楽しかったです。

 出演できるのは8組までで、最初にくじを引きます。私は6番でした。会場でぐうぜんお会いした平林さんは1番。林本さんは10番で、正式なイベント枠ではなく「おまけ」枠での出場でした。
 サブリミナルリミットさん(モリカワさん)の即興ビーロー活劇も面白かったし、平林さんの「背中に蝶が……」と続く物語もカッコよかったです。個人的には、おまけ枠で出演されたチャーリーさんがすごく良かった。ギター演奏に乗せ「いつか、行けるのかヘブン」「俺も行けるのかヘブン」と何度もリフレインしていく歌でした。悲しげなんだけどポッと暖かく、やさしい。声が渋くてキマっていて、言葉がズドンズドンと胸に刺さる。聞きごたえがありました。もうひとつの「ダーリン」がリフレインする曲もとても良かった。僭越ですが、ひさびさに『この人をもっといろんな人に見せたい!』と思いました。

 詩のオープンマイクよりハイレベルな場なのは確かですが、実際はそのレベルに気おされたり、恐縮したり、緊張したりする必要のない、にぎやかで和気あいあいとした場でした。誰のやることもそれぞれどこかが光ってる。馴れ合いにならず、でもビシバシともしておらず。場のレベルに合ったポテンシャルの人々が集まっている。……素敵なところです。いいもの開いてはるなあ……。
 充実した夜でした。閉会したのは22時10分ごろだったかな。長い一日でしたが、あっというまでした。

 帰り道、この日は風が強かったため、あちこちの看板・のぼりがバタバタ倒れてました。土台がコンクリート塊だった駐輪禁止の立て札まで横倒しになっていました。『危ないな、直撃したら脳天を割られてしまう』と思いましたが、ちょっと杞憂かな、それは。
 ああ、そういえば藤が丘へ向かうとき、地下鉄の座席がすいていたのでふと『ここに麻雀牌として人を座らせて、二人打ち麻雀やったら面白いかもしれないね。人間麻雀』とぼやいてみたのですが『あ、駄目だ。牌1種につき4人要るから、ものすごい人数が必要になってしまう』というわけで却下でした。たまに変なこと思いつくな、私は。

   *

 林本さん・宮島さんと別れ、私は千種で地下鉄を下車、JRに乗り換えて金山で下車。岐阜・大垣行きの電車に乗り換えて帰宅……するつもりだったのですが、あれ? 中央改札の掲示板を見て慌てました。『現在時刻が23時ちょいで、次の電車が40分ごろ……なぬ?! あと40分も待たねばならんのか!』。
 もういちど電光掲示板をよく見ると、次の電車は「23時40分」ではなく「22時40分」でした。現在時刻は「23時ちょっと」。『……??? 次の電車は過去の列車?』。とりあえずホームに行くと、そこの電光掲示板には「死傷事故が起こったため運行が遅れている」との表示が出ていました。なるほど……。数分すると「○○駅構内で人身事故が起こったため、16分ほど列車の運行が遅れております」と同様のアナウンスも流れました。『ああ、なんだか都会に来ている気がする』とドライな感傷がしました。

   *

 しばらくして電車が来たのでそれに乗って……。地元の駅で下車してから、今度はファミレスに入りました。『読む本があるし、MP3プレーヤーにはNHKのラジオドラマ『FMシアター』が入っているし。稿を練るものもあるし。今日おもいついた詩の断片もあるし。よおし、ひさびさに今夜はファミレス徹夜だ!』。暴挙です。
 ドリンクバーを頼んで居座り、店内でずっと稿の推敲をしていました。『ここが違う!』『ここはもうちょっと最適化できるのでは』など、見れば見るほど文章のアラが見つかって。原稿のプリントアウトが傍線だらけ、メモだらけになりました。結局、読書もラジオドラマも消化しないままです。

 店内では、何度か飲みものを補充するため、グラスを持ってドリンクバーへ立ちました。……と、何度目かのとき。別のお客さんが、ドリンクバーからスープを汲んでいきました。『あれっ、スープなんてあったんだ。お腹ががすいてきたし私も貰おう』。私も1杯汲んで、席に戻ってひとくち飲みました。何のスープかはわからなかったんですが、熱くてしょっぱくて美味しかった。『でもちょっと熱すぎるから、しばらく置いて数分後に飲もう』とカップを置きパッと顔を上げ前を見ると。ドリンクバー、スープコーナーの上に「セット・単品をご注文の方」と但し書きがありました。ぎゃあっ。私はドリンクバーしか頼んでないっ。
 しょうがないので「サラダ・スープセット(270円ぐらい)」を追加注文しようかと店員さんを呼び『スープ間違って取ってしまいました』と事情を話しました。店員さんがにこやかに「ではそちらのスープはサービスです」と許して下さったので、ホッとしました。すみません、すみません。270円ばかしケチるような客ですみません。
 で、また推敲を続けて……朝5時閉店で家へ帰りました。

   *

 それから炊飯して睡眠して掃除して料理して、なんだかんだして現在です。ちょっと読書熱・創作熱が再燃しきてきいます。この勢いをたもって行きたいところです。

 ちょっといま、自分のリーディングについて思っていることがあります。『ち〜OneRing』での林本さんのすさまじさ、『Midnight Press』の対談と、考えさせられたことがあって。このことは後日(『言葉ズーカ』『ち〜OneRing』等での、若原リーディングの自己評価も含めて)書くつもりです。

 ああ、忘れてた。『喫茶マウンテン』登山計画も練らんといかんな(先月てっちゃんと行った偵察の模様はこちら)。
 現状の計画をご報告しますと、開催は『続・ぽえ茶』と日をあわせ「12:00集合 → マウンテン重食 → 15:00続・ぽえ茶」と1日でまとめられるように考えてます。参加費は「(注文したお料理−若原おごり)÷参加人数」で、ひとり500円〜1000円ぐらいになる予定です。『マウンテン』から『続・ぽえ茶』への移動運賃は別途各自でお願いします。
 4月に開催して「マウンテン重食 → ぽえ茶 → ち〜One」となると倒れる人が(冗談でも過言でもなく)出そうなので、とりあえず4月開催は延期です。とはいえ、いつまでも保留にもしておけないので5月開催で決めてしまおうかな……。知人に相談し、決定したら正式に告知します。ってそんな大げさなプロジェクトじゃないんだけど。
posted by 若原光彦 at 04:47 | Comment(3) | TrackBack(0) | 近況

2006年02月01日

1月下旬どっこいさ

 1月中旬〜下旬は、猛烈な勢いで散文を書き、また猛烈な勢いで作詞をしていました。掘って掘ってひたすら掘る、ちょっと戻る、また掘る、というような。ぐるぐると同じ行為の繰り返しで、細部に延々とかかずらって、休止して冷静になって、エイヤッとまた燃えて……脳みそ混乱ぎみでした。
 作詞は、サウンドクリエイターhitoshiさんのイベント『MIX Senses Vol:2』への参加作品です。大変でした。何バージョンも、1行しか違わないような遅々とした推敲を重ねて完成させました。作詞って本当に難しい……この詳しい話はまたのちのち書くつもりです(いまイベントは「歌い手さんが、歌詞参加作品の中から、自分の良いと思った歌詞を選ぶ」段階なので、あれこれ書いて影響与えてしまうとしまうとよくないかなと思って。そうでもないのかな。とりあえず、のちのちにします)。

   *

 1月28日(土)『言葉ズーカVol.その3』があり、名古屋へ行きました。私は出演者であり、スタッフ補助の役割でもありました。
 上記リンクを覗いてもらうと出演者が載っていますが、この通り、ある種のひっちゃかめっちゃか感、収拾のつかなさが良し悪しで満ち満ちていました。『Vol.その2』では会場が静まり返り空気が張り詰めるシーンもあったのですが、今回はそういう方向に場が向かわなかった。
 オープンマイクはともかく、本編のプログラムは「パフォーマンス指向の人」と「ポエトリー・リーディングの人」とが交互になっていたので(これも良し悪しですが)めまぐるしい、予測のつかない、意図の読めない世界だったかもしれません。受け取り手によって評価が変わる可能性が高い状況。
 総合的にはパフォーマンスの印象が強烈で、パフォーマンス指向の強い非日常の世界になったかな。一般のお客さんにはちょっと辛い状況だったかもしれません。いや、一般とかどうとかは関係ないかな。単に人それぞれ、好みが分かれる状況だったかもしれません。会場『涅槃』の雰囲気にはとても合っていましたし『涅槃』じゃなきゃ形にならない一発でしたけれど。

 私は出演数分前まで、何を読むか、ぎりぎりまで悩みました。一般的な……笑える芝居じみたものをやって、お客さんを舞台に引き戻す「つかみ」になるべきなのかもしれない。でも浮き足立ったことをして、それがそのまま受け入れられるような状況でもない。場がおかしなダレかたをしている。ならばお客さんと張り合うタイプでバサッと緊迫感を出す方が正しいが、それは聞く方は辛いだろう……。
 結局は、2〜3年前の自由詩っぽい朗読作『オーヴァーヘッド』『ステイク』『ホーム&アウェイ』をやりました。頭と最後に即興でトークを交えて。トークも詩も、滑るか滑らないかそのギリギリのところだったと思う。でも通った。力技で押し通したんじゃないくて、ただスタスタと通り抜けた。状況的にまずいが、まずくない。押さなくても媚びなくても通れば通る。何か「憑いて」いた。
 妙な感覚でした。奈良ではアウェーを「押し通った」感じがありましたが、今回は……お客さんや場に合わせたといえば合わせたし、合わせなかったといえば合わせなかったし……。決まってたといえばそうなんだろうけど、足りなかったといえばそうでもあったかもしれない。「何とかなった」というのとも違って。「済んだ」という感じに近い。自分の出演部分は、妙な実感で終わりました。

 私のステージや状況の賛否はともかく、ひとつだけはっきりした問題としては……私語厳禁。『涅槃』さんは、ステージの裏がバーカウンターになってまして。そこにいてステージを見ずに飲んでてもOKなんですが、そちら側からの声はステージを抜けて客席に通ってしまう。ステージと無関係な笑い声とか轟いてしまう。集中力が全く作用しない。求心力が生まれない。
 次回3月11日(土)『Vol.その4』は私が司会になることが決まっています。……仕切るぞ。次は邪魔だったら出演者だろうとつまみ出すぞ。……というくらいの勢い気合いで司会せにゃな。うむ。……次回は『Vol.その2』に近い、しっとりした感じになりそうな予感もしてるんですけどね、甘い予測は通用せぬ。

 mixiのある場所に、今回の『言葉ズーカ』を見に来てくださった方からの詳しいレポートが載っていました。読んだのですが、本当に嬉しかった。率直とか正直とかそんなんじゃなく、まともに、まともなことが書かれていました。良し悪し両面が含まれていて、その人の実感に満ちていて。「嬉しい」なんて単純に思っちゃいけないのかもしれないけれど、とてもありがたいと感じています。

   *

『言葉ズーカ』の閉幕後は『涅槃』で飲みながら1時ぐらいまで人と話してました。話の内容はここには書けませぬ。まあ、あれだ、吉田戦車についてとか桂正和についてとか。革靴のかかとをつぶして履く若者が増えているらしい、とか。はい。
 その後はISAMUさんに教えてもらったネットカフェに行って、てっちゃんと夜明かししました。ブースが残ってないとのことで、2人で仲良くペアシート。……。ペアシート。ソファーが広い。
 てっちゃんが寝てる間、私はスティーヴン・キングの『小説作法』を読破しました。これは良い本です。創作の核心を突きに突きに突きまくっている。小説執筆についての本ですが、創作全般に教示とエネルギーを与えられる。スティーヴン・キングという名前からさまざまな先入観を持たれそうですが、文字が生き生きと躍る、それでいてとことん実践的な、豊かな本でした(このとき読んだ本は図書館で借りたものでしたが、後日本屋に注文しました。届いたらあらためて紹介を書こうかな)。

   *

 ネットカフェで夜は開け、ブースのテレビで『所さんの目がテン!』『遠くへ行きたい』を見て……1月29日(日)朝9時半。ネットカフェを退店しました。
 2人地下鉄駅への入口で『どうしたもんかなぁ』と立ち尽くしていたのですが、『まあ熱田には図書館も古本屋もあるから時間はつぶせるだろう』と、とりあえず『続・ぽえ茶』の行われる熱田に移動。てっちゃんとはそこでいったん別れました。
 で、私は……『短歌ヴァーサス』を読んでたかな。私は短歌を一気に読むと、短詩が良く浮かんできます。心がネタ探しモードに入るんでしょうね。図書館の外の灰皿で煙草を吸いながら思いついた短詩をいくつも書きとめてました。書きとめる矢先からまた次のネタが浮かんだりして。10個ぐらいメモしたかな。雲ひとつなくよく晴れた、暖かい、豊かな日でした。ぼーっとしててもいいし、セカセカ本を読んでてもいい。うん。

 あと、熱田の古本屋では、ボブ・グリーンの『十七歳 1964春』と、なだいなだの『れとると』を見つけて狂喜乱舞しました。♪探しものは何ですか〜♪古本屋ワゴンセールで50円ですか〜♪そんなことってあっていいんですか〜♪
 このとき買った『れとると』はもうすぐ読み終わるところです。この日、図書館でも帰りの電車でも熱中して読み進みまして。やっぱり肌に合うんですよね、なだいなだ。
 いろんな本を読みますけれど、やはり肌に合うものを読んでいる時がいちばん楽しいです。読むスピードも速まるし、内容も無理なく伝わってくるし。読書が心地よい。

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 15時からのオープンマイク『続・ぽえ茶』は賑やかでした。ひさびさに仲仲治さんにもお会いして。絵本を朗読したり、歌を歌う人もいたり。はらだよしひろさんは即興に挑戦したり。
 すっかり『続・ぽえ茶』恒例となった宿題(3つの言葉を盛り込んだ作品を作ってきて読む)ですが、今回みんな面白かったです。この日のお題は「みかん」「五十八年ぶり」「凍結」の3つ。堀場さんは「凍結みかん食べくらべ大会」の模様というおかしな話。コウさんは日中関係についての自分の考えも含めた真面目な詩。水尾さんは「大家のおばあさんを預かった」という冗談まじりの物語。それぞれお題を絡めながら、深かったり馬鹿馬鹿しかったり。『みんな、やるなっ』って感じでした。あの場限りの面白さだったかもしれないけど、面白かったことにかわりはないです。

 恒例、うどん屋さん『めん串』での二次会のあと、何人かは新年会のカラオケに向かい、私と林本さんは星が丘へ向かいました。星が丘の『スロー・ブルース』というジャズバー(なのかな。たぶん)に夏撃波さんが出演されまして。お邪魔しました。アットホームな雰囲気で、居心地が良かったです。
 天井が低くてね、集中力が働きやすいというか、演者が映えやすい空間でもありました。お客さんとステージの距離も近くて。それがぬるさでもあり、暖かさでもありました。心地よかった。

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 22時半ごろ『スロー・ブルース』を出て、地下鉄とJRで家に帰りました。さすがにここまでくると眠気も吹っ飛んでいたのですが、ちゃんと寝ました。読書熱がムラムラッとまた起こっていたしファミレスで夜明かしでも……とも思ったんですけれど。そこまでつとめて不養生せんでもねえ。そこはおとなしく寝ました。
 そして翌日(30日)・翌々日(31日)。『MIX Senses Vol:2』の参加歌詞作品公開。mixiでの『言葉ズーカ』レポート拝読。某氏から『ええっ! そんなことが名古屋で?!』という電話。奇跡の入手・なだいなだ初期の作品『れとると』読書進行中。

 嬉しいことと恐縮することと頭かかえることと面白いことと、いろんなことがドバッと一度に降りかかってきた1月末でした。疲れたというより……エネルギーを取り戻したような感じがしています。こう、わわわわーっとルツボに飲まれて、自分の思考がサバイバルに研ぎ澄まされたような。非日常をくぐり抜けてきて、生活の体感速度が加速したような。
 ああ、単純に「気力が沸いてきた」って言えばいいのか。あはは……。そんな感じです。

 昨年12月は『新年になったら楽になるだろう』と思っていましたが、実際に1月になってもさほどのんびりとはならなかった。1月中旬には『2月になったら楽になるだろう』と思ってたんですが、どうやらそれもなさそうです。まあ、このままドタバタと梅雨ぐらいまで過ぎていくのかな。なんだかんだと。
posted by 若原光彦 at 01:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年12月27日

腹でも胃でもあるところが

 っていうか、位置からしてまず胃なんですけれど。気持ち悪いです。いや、気持ち悪くはないのですが、痛いです。いや、痛くはないのですが、気持ち悪いような、なんていうか、どういえばいいのか、わかってたまるかー。日本語なんかにこの辛さがわかってたまるものかー!!!

 失礼しました。怒りに任せて書いています。書かずにおらりょか居られよか。よか、よか、よ……よよよ……。

   *

 今日、『そろそろ食事にするかな……』と思いながら作業をしていたら、ぶわっと腹と胸の間に違和感が起こりました。位置はちょうど胃のところ。『ぐわッ!?』
「気持ち悪い」と「痛い」の両方でありながら、どちらでもないような感触がずーんと私の体に居座ってきました。胃の内側にこぶし大の玉があって、それが胃壁をぐいぐい押してくるような感じ。なんというか「こみあげてくる」感じ。こみあげる? 何が? って言われてもそんなの私にもわかる訳ないじゃないですか!!! 発症したのは食事前だから、胃は空っぽだったはず。じゃあこの「こみあげる」ものはいったい何……。体内でガスが大発生してるとかですか……。

『ぐあ……腹が減りすぎて空腹感が痛みに転じたとか……そんなところか……そんなことってあるのか……ぐお……』。腹をさすりながら台所へ移動し、とりあえず卵かけご飯を作って食べました。ドロッとしたものなら腹持ちも良さそうだし、胃壁も守ってくれるんじゃないかと思って。もしこの症状が胃酸多加とか胃潰瘍とかなら、これで収まらないか……。
 腹の「こみあげ」が先行していて食欲なんてなかったんですけど。とりあえず噛まずに全部飲み込みました。

 でも、収まらない。いっこうに収まらない。どう対処すればいいのかわからないまま、とりあえず横になって楽な姿勢を探しました。内科的な痛みって、ある姿勢を取ると止まることがあるじゃないですか。右向きで寝たり、左向きで寝たり、膝をかかえたり……いろいろやってみましたが全く止まらない。どうやっても収まらない。
 諦めるしかありませんでした。『好きにしてくれもう……どうせ一過性のもんだろ……』。そしてぐったり仰向けで寝ていたら……とつぜん吐き気が。猛烈な吐き気が。……きたきたきたきたーっ! おそらくこれで吐いてしまえば楽になるのだろう! よくわからんがきっとそうだ!!! そうに違いない!!!
 人体の神秘に運命を託して風呂場へ直行、洗面器に口を向け胃の中を吐こうとしました。が、「こみあげ」が胸につっかえて、吐きそうなのに吐けない。口に手を突っ込み指で舌を押さえても、吐き気だけして、吐けない。胃液とは違う、やけに透明で匂いのないネバネバが出てくるだけ(どうやらこれは唾液らしい)。
 諦めずに数トライすると、かろうじて卵かけご飯の米粒がひと粒だけ吐き出されました。ひと粒かい……。もーいーよ、もぅ……。俺なんざこうして腹かかえて死んでいくのさフヒーンどうせアハーン……。

   *

 その後。この「こみあげ」にも波があるようで、ここ30分ほどはまあ起き上がってPCを触れるぐらいでした。……ですが。
 この、この文章を書き始める直前に奴が来ました。ビッグウェイブが。猛烈な吐き気が。『うをををををー!!!』すかさず風呂場に駆け込んで洗面器に口を向けましたが、今度もやはり唾液が出ただけでした。
 なんかもう、あえて吐こうとする気力もないです。勝手にしやがれ……。

 で、怒りに任せて書き始めたという訳です。今はまたちょっと落ち着いてきました。「こみあげてる」って感じじゃなく「居座ってる」レベルです。消えてはいないが、耐えられないこともない。でも一生これはご免こうむる。せめて来年2月までは健康でいさせてくれ……俺にはやらなきゃならないことがあるんだ……って別に胃痛じゃ死にはしないよな……ってそういう問題じゃないんだ……。

 カゼはひいてません。せきもくしゃみもありません。肌荒れもしてません。食事前に発症してますから、たぶん食中毒じゃありません。じゃあ何……。
 明日、医者に行く予定です。
posted by 若原光彦 at 21:38 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近況

奈良へ行ってきました

 24日(土)〜25日(日)、奈良へ行ってきました。『ALL WORDS COA Soul of Replicant〜響 '05〜』に出演してきました。椿さん主催の『ALL WORDS COA PROJECT』という活動・創作グループがあるのですが、その延長として吉田さん・ホムラさんが主催されたクリスマスライブです。

   *

 奈良へは「大垣→米原→京都→奈良」と在来線で行きました。前日と前々日に大雪があったため、地元最寄り駅への道からして雪だらけ。米原の前後はどえらい吹雪でした。遠くの風景が灰色にかすんでいて、灰色の空と一体になって、見えるもの全て水墨画のようでした。

 京都駅では乗換えをミスり、30分ほど往生しました。暇つぶしに途中下車し駅構内をぶらついてみたのですが……不思議な駅でした。京都って、世界の京都なのに。今日び岐阜でも大垣でもちょっと見られないような、やけに古びた店舗が並んでる……。ネオンがでかでかとゴシック体だったり。高度経済成長の前後か! というような、いま見るとちょっと恥ずかしい感じの建てもの。
 そう言えば上野もちょっとそんな感じがしたかなあ。うーん。大都会って逆に古いものをそのまま残して使ったりするのかなあ。
 と思いながら駅をぐるっと周り、逆の改札口に回ってみると……そちらは真逆、どえらい近代的で21世紀的でした。なに石なのか知らんが床がツルツル。天井がやたら高くて、しかもガラス張り。何に使うんだか空中回廊まである。一部に『手塚治虫展』のポスターが貼られていて「♪メルモちゃん・メルモちゃん・メルモちゃん……」とBGMが流れていました。なんだこりゃ。
 駅の構造案内図があったので近づいて見てみると、案内図とは別にプレートがついていました。よくわかりませんが、海外から「駅建築の賞」を受けたとのこと。うーむ……。確かに賞に値する建物だとは思うけれど、こういう「隙間と密閉の差が極端な建築」って好きじゃないなあ……。名古屋だと『ナディアパーク』とか。

 京都駅から奈良線(だったかな。路線名をよく覚えてない)に乗りました。JR関西は、発射のベルが「ぴんぽろぴんぽろぱんぽんぴん」って音でした。のどかで警告になってない気もするけど、京都にはよく似合ってたかな。
 私は快速に乗ったのですが、奈良線の普通電車は面白かったです。先頭車両と最後尾に曲面がない。まるで緑のカマボコみたいな形。しかもクレヨンで塗ったみたいな黄緑色。オモチャみたいで好きでした。写真撮ればよかったかな。

 あ、そう言えばJR関西の電車は車体の「快速」って文字が斜体のゴシック体で、いかにも「快速ビュ──ン!!」って感じでした。ちょっと見飽きるかもしれないけど、愛嬌がありました(言葉じゃうまく伝わらないよね、きっと。これも写真撮ればよかったかな)。
 あとJR関西は、電光掲示板に「どちら側のホームのどの番号・どの色のところで待てばいいのか」まで表示されていました。あれは良かった。とても助かる。JR東海だと、次の列車が何車両なのか表示されてないことがあるからなあ。

   *

 結局、家を出て3〜4時間で奈良に着きました。奈良駅を出たのが13時ぐらい。会場の『なら100年会館』に向けて西口改札から出ると……おや? ここって本当に、県庁所在地の駅前か?
 会場が駅のすぐ直前にあるのは知っていましたが……周囲に何にも店舗がない。繁華街もない。アーケードも商店もない。ドラッグストアとホテルとアパートとマンションぐらい。華やかさというものが全くない。一瞬『間違えて別の駅で降りたか?!』と思いましたが、目の前にはちゃんと『なら100年会館』が見えている。これは……?
 あとで椿さんから聞いて知ったのですが、こちら側はいわゆる「鬼門」に位置するため、あまり使用されてこなかったとのことです。で、その跡に建てられたのが『なら100年会館』だとか。なるほどなあ……よくわからないなあ……古都らしいと言えばらしいのかなあ……。

 入りまでまだ時間があったので、駅の反対側にも行ってみました。私はこの夜、現場周辺のファミレスかネットカフェで夜明かしする予定でした。あらかじめ『Googleローカル』であらかた調べてはいたのですが、掲載漏れもあるだろうし、年末年始は営業時刻が変更になってる店もあるかもしれないし……ということで歩き回ってみました。
 奈良公園や東大寺は、JR奈良駅のずっと東側にあります。そのため、駅から観光名所まではずっと繁華街でした。……と、店舗の隙間に突然「立ち入り禁止 宮内庁」なんて立て札と門がありました。何だったんだろう。
 あと、サンタ衣装の青年がふたり、看板を手に「本日14時からなんたらかんたらで大阪なんたらかんたらの生放送がありま〜す! M−1グランプリ敗者復活なんたらかんたらが漫才を〜」と叫んでいました。信号待ちしてたら近づいてきて、私の真後ろに立たれました。
 せっかくだからこっちも『本日17時半よりなら100年会館小ホールでリーディングライブイベントを行いま〜す! 入場料500円ワンコイン〜』とか叫ぼうかと思いましたが、思い留まりました。
 あるいはふたりと一緒になって『ラジオの生放送?! 俺も見に行きま〜す!』とか叫ぼうかと思いましたが、嘘はよくないのでやめました。何を考えているのだ旅人よ。

   *

 ドラッグストアでパンと水とカロリーメイトを買い(店員さんが異様に丁寧でした。体の前で手を重ね「ありがとうございました」とゆっくり礼をされました。『これも古都だからか……?』とよぎりましたが、それは考えすぎというものでしょう。……もとい。ドラッグストアで買い物をして)、まだ早かったのですが……寒かったし、会場へ行きました。会場内のベンチで遅い昼食でも食うべえ、と。
 で、入館する前に外の喫煙所で煙草を吸っていると……椿さんがぶわっと現れて驚きました。気づきませんでしたが、館の正面入口とは別に壁面に館内喫茶店への入口があったんです。会場の小ホールはまだ開いていないとのことだったので、ビールを1杯頂きつつ、ちょっとした話をしました。

 その後、自分が昼食を済ませていなかったことを思い出し……館内のベンチを探しました。どこにもないな……と思ったら、会談の真下、うす暗いところにパイプ椅子が並べてありました。『こんなピッカピカの建物なのに、作りは意外とざっくりしてるんだな』と思いながら椅子に座ると、狙ったかのように正面の壁に「この場所での飲食を禁じます」とプレートがありました。いや、狙ったんでしょうけど。しかも当たってるし、俺。
 仕方がないのでトイレに入り、音を立てないようこっそりとパンを食べました。……よくあることです。私は気にしません。気にしませんが、ちょっとは気にしろ、という説もあります。しかも有力です。説得力がありますね。

 どうでもいいのですがトイレの手洗い場、その蛇口がオットセイみたいで可愛らしかったです。……。いま気づきましたが、こんなものの写真は撮るんだね、俺……。

   *

 時間になったので小ホールに入り、楽屋に荷物を置き、すこし椅子並べなどを手伝い、いくつかの説明を受け、他の出演者と挨拶を交わし……あとは出番まで待ちました。

 小ホールは、広さの点でちょっとだけ『刈谷市民会館』の「地下練習室」に似た感じもしました(実際には2倍か3倍くらいあったのかもしれない)。一度行ったことのある『可児市文化創造センター』の「映像シアター」とも違った感じで……どう言えばいいのかな。防音設備の整った正方形の広間で、床は足音がしないように絨毯が貼ってある。楽屋もスタッフ用通路もあるけど舞台袖はない。実にプレーンな「ホール」でした。それ以上でもそれ以下でもない。
 演劇やダンスみたいに多人数がバーッと出るイベントならちょうど良い広さと機能なのですが、詩にはやや余るところもありました。ぽつんと前に立って朗読するのでは、声も分散するし、お客さんの気持ちは離れていってしまう。

   *

 開演。「出演者も会場内で観覧してよい」との言葉を頂いたし、実際見てみたい人々ばかりのイベントだったのですが……今回私は出演者に徹するべきかと思って。楽屋に残りました。

 ちょっとわかりづらい話だとは思いますが……詩のイベントにおいて「出演者のパフォーマンス中、司会者が、ステージに残るか・客席に降りるか・舞台袖や楽屋に消えるか」また「出番を待つ出演者が、舞台上で待機するか・客席に降りるか・舞台袖や楽屋に消えるか」は意外と重要です。
 ちょっと強く言うと。詩の場合、お客さんは出演者をナメて来ています。「聞いたこともないアマチュアサークルの発表会」ぐらいに思って来てます。しかも「知り合いだから来てる」という方も多く、なんらかの他表現をしている割合が高い。
 そのため(喫茶店や小規模ライブハウスでなら問題ないのですが)ちょっと広い会場でしっかりステージを見せようとすると、演出進行をそれなりに徹底する必要があります。ハードルの高い会場では、ナメて来てる(期待しないで来てる)お客さんたちに、完成されたショーとしてライブを見せつけなきゃならない。
 具体的には、たとえば出演者がみだりに客席に登場してはいけない。出演者・スタッフだからといって地べたに座ってはいけない(必要なら客から目立たない所にスタッフ席を用意しておく)。客席を真っ暗にし、ステージのみライトアップして遠さを感じさせないようにする。中途半端なことはしない。できないことはしない。させない。

 会場を見て、また席数や司会の方針などをメールで聞いていて……今回のライブはそうしたタイプのイベントなのだと思っていました。舞台袖がなかろうと小ホールだろうと何だろうと。これは気合の入った、バキッとした会なのだ。中途半端に『見たい』とかワガママ言ってる場合じゃない。だいたい私は呼ばれた側なんだ、うろうろして会のレベルを下げられる立場じゃない。ここは安全最優先で行動しよう。
 というわけで、ひとり楽屋に残ることにしたのですが。
 楽屋の防音設備も最高でした。なんにも聞こえない。ここまで何も聞こえないとは誤算でした。ちょっとは様子がわかるだろうとタカをくくったのが甘かった。ううむ、会場の空気もわからない。『生半可なプロ意識で虚勢を張ってる場合じゃなかったのかもしれない……素直に会場に居たほうが正解だったのか……』と悔やみましたが、あとの祭です。仕方がないので楽屋を出て、ステージ裏の防音扉に耳をくっつけ中の様子を聞いていました。
 と、おやっと思いました。各出演者がリーディングの前後に告知や作品解説をしている。『あらっ、バキッとしたクリスマスライブじゃなかったのか……自然体に緩やかにやってよかったのか……』。ますます自分の判断ミスに直面し、ひそかに焦りました。うう〜、こわいよ〜、不安だよ〜……。
 落ち着け俺、ということで水を飲んだり、カロリーメイトを食べたり、煙草を吸いに外まで行ったり。自分で自分の首を絞めて勝手に苦しんでました。情けない……。

   *

 私の出番は第2部の2番目。2部の前には休憩時間中が設けられており、客席に自由に出入りできました。防音扉の裏で出番を待ちアナウンスを聞き逃したら大変だ……ということで、やむなく会場に入り客席に座りました。
 名古屋の詩のライブでは、お客さんは知人・詩人・歌人・音楽やアートの方などが多く、出演者だけでなく客席にも微妙にバラバラでとんがってて大人しい、独特の雰囲気があります。6月の東京王子でもそうでした。
 でもこの日は、公営施設ということもありちょっと不思議な感じでした。みんな身なりがいい。おしゃれをしてるわけじゃないんだけど、すっきりカジュアルでカッコいい。若者も高齢の方も目立ってない。30代前後〜40代くらいの男性が多かったかな、外見で年齢はわからないけれど。『なるほどなあ、会場が違い、土地柄が違えばお客さんも違うんだなあ』とぼんやり思いました。

 しばらくして、第2部が開始。なんとも……どうしてもお客さんには響いていかない。『ポエトリー・リーディングは物語でも漫才でもない。やっぱり一般のお客さんにはつまらなく感じちゃうのかな』と思いましたが、そういうわけでもないらしい。お客さんがなぜ無反応なのか、なぜ何人かうつむいてるのか、さっぱりわからない。疲れてるとか眠いとかいうことでもないらしい。表情はしっかりしてるけど聞いている風ではない。
 MCの紹介があり、私の番が来ました。この演目では受ける気がしないが、もうこれは覚悟するしかない。いまさらジタバタしたってしょうがない。引かれるだけ引かれるのでもいい、他では見れない「何者か」を見せるしかない。バキッとやるしかない。
 ようするに、お客さんと対決するスタイルになりました。えせプロ意識が裏目に出てさらに反転して非常にまずい作戦が残ってしまった。『ムードも客層もマイク感度も何もかも無視、「何だこの変な青年」と思った人はその「変なもの見た」をお得感として持ち帰ってくれとしか』という。ケンカ売ってます。開き直りです。バクチでした。……真似しちゃいけない。有料ライブでそんな水際作戦やっちゃいけない。いろんな意味で失礼だ。って俺だ……。

 演目には、クリスマスに似合う、しっかりしたイベントに出せる作品として『とてもかわいい女の子になりたい』『ビヨンド』『本当の神様の話をしよう』の3作を選んでいました。『ビヨンド』まではマイクを使ってなるべくプレーンに朗読してたんですが……やはり反応がわからない。前の出演者と同じく、お客さんが聞いているのかいないのかさっぱりわからない。ひとりは目を閉じてるけど、寝てはいない。うつむいてた人は起き上がってるけどこちらも聞いてくれてるって感じじゃない。客席の向こう、壁際に他の出演者さんが何名かいましたが、彼・彼女らですら表情がない。距離が遠いためか、聞いているの聞いてないのかわからない。状況が把握できない……。
 もうどうにもならん。ふっきれて。みっつめの『本当の神様の話をしよう』ではマイクを離れ、歩き回りながら地声で読みました(客席とステージの間にテーブルが置いてあったため、そのテーブルが最前線でした。テーブルをすり抜けて客席に踏み込むまでは考え付きませんでした。そこまで壊れた方が徹底しててよかったかもしれない)。声はよくなかったと思います。聞こえない程ではなかったと思いますが、聞きづらかったでしょう。でも「何者か」を見せてるだけなんだから関係ない。ってその姿勢はもうリーディングじゃない……。
 3作が終わり礼をすると、拍手が聞こえました。でも盛大な拍手ってわけじゃない。防音扉の向こうで聞いてた時も、拍手はいつもそれなりに大きかったから『なるほど、この拍手は、私がさほど受けたのでも、「よく頑張りました」って思われてるのでもなさそうだ……』。テキストを拾い、上着を掴んでそのまま会場を出ました。私は告知や挨拶をする必要もなかったし、する気もなかったし。妙なことやった出演者がそのまま客席に戻るというのも感じ悪いし。消えるしか。

 会場から楽屋に戻りましたが『うがああああああああああ────────!!!!!!』と心の中で叫びわめいていました。ある方がいらして「よかったですよ、拍手もこれまでではいちばん長かった」といった意味のことを言ってくれたのですが、私は『うそだぁぁぁ』と完全に悲観モードでいました。少しして別の方が握手しに来てくれたのですが、まだ『あはははは(うそだぁぁぁ)』と悲観モードでした。
 カロリーメイトをまた食べ、煙草を4本吸い、自販機でコーンスープを買って飲んでどうにか落ち着きました。今あの晩の私のステージのこととなると……どうにも。評価できかねます。出演者は力のある方ばかりだったから、たぶん何人かは賛否両論を持ってらしたんじゃないかな……。
 で、テンションは落ち着きましたが、気分は動転したまま。しばらくショック状態で、その後の演目は防音扉越しにですら満足に聞けてなかったです。本当にもったいないことをしました。池上さんは新作を読んだらしいし、窪さんのリーディングはしっかり聞いておくべきだったし。菊花さんのステージはまたパワーアップしてたようだし。……まあ、自業自得なんですけど。

   *

 イベント終了後、後片付けを少し手伝い、何人かと会場を出ました。二次会の予約がしてあるとのことで……正直、恥をさらして出るべきじゃない、とは思ったのですけれど。話してみたい人もたくさんいたし、着いていきました。
 この二次会はお客さんも参加できる場でした。最後までいてくださった20代くらいの男女が前の席にいらっしゃり、テキストを見せて欲しいと言われたので今日の3作をお見せしました。「最初のが好き」とか「『本当の神様の話をしよう』で『あれっ、もう終わりなの』って思った」とか、嬉しかったな、素直な感想を頂けて。会場ではムードが読めなかったけど、実際は悪くなかったらしい……でもまだ半信半疑です。
 このお客さんだったおふたりも詩(や、そのようなもの)を書くとのことで、「万人向けの詩というのはあるか」「詩は体で書くか頭で書くか」「詩は瞬間的にできるものなのか」などの質問をされました。オフラインでいろんな人に会ってきましたが、ここまでストレートに詩について学ぼうとされた方は初めてでした。実作者同士だと「他の実作者には聞きたくても聞けない」という心理が働くことがありますが、この日のふたりはとても率直で、誠実でした。話していて有意義に感じました。
 二次会では、窪ワタルさんとあれこれ話したりもしました。あちこちのイベントに通じていて、本もたくさん読んでいて、非常にしっかりとした方でした。

 二次会のあと、椿さん・池上さん・窪さん・私の4名で三次会となりました。本当はネットカフェに行くつもりだったのですが、まだ時間もあるし1杯飲むか……となり、1杯だけならと私も着いてゆき、その1杯だけで1時間ぐらい話し。つまみを頼み。酒のおかわりも頼み。結局、朝5時までだべりました。
 椿さんも窪さんも非常にしっかりした方なので、少々こわもてな会話だったかもしれません。池上さんがいて助かったなあ……私はイベント制作というより、いちパフォーマー・いち実作者に近いから。多人数が関わった際の困難や、金銭問題などについて興味深く拝聴してました。
 イベントをやる際に「どんな会場を使うか」という点はとても大きい。名古屋でもそれは感じてきましたが、実経験のある方のお話を聞いてあらためて思いました。あと「詩集」「詩集賞」「詩誌の投稿欄」についての話も勉強になりました。私はあまり紙メディアに活動を向けてこなかったから。
 あとは……「詩のボクシング」についてとか……「井上陽水はすごい」「波平の毛がまくらに刺さる」なんて話もしたような、しないような。なんのこっちゃら。

   *

 朝5時。4人で居酒屋を出て、そのまま列車に乗り(座席で居眠りしながら)それぞれに帰りました。私が京都から米原までの普通に乗ったのは6時41分。米原から岐阜・名古屋方面の快速に乗ったのは確か7時20数分。家に帰ったのは9時半ごろ。
 前日より晴れて、雪も少なかったのですがとにかく寒かった。米原駅ホームでの列車待ちが辛かったな。冬は夜より朝が寒いんだ……雪が降っても振らなくても。
 行きは車窓が水墨画のようで綺麗でしたが、帰りは京都〜米原間の日の出が綺麗だったことぐらいしか憶えてません。まあ、想定の範囲内でした。疲れたといっても。

 疲労や出演後のショック状態より、もっと得るものが大きかった奈良滞在でした。よい体験をさせて頂いたと思ってます。みなさん、おつかれさまでした。ありがとうございました。
 二次会で『Soul of Replicant』のカンバッジを貰いました。この日の体験を忘れないよう、カバンに付けておこうと思います。
posted by 若原光彦 at 20:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年12月17日

ピラカンサがこわい

 今日は変な日でした。間違い電話が3件もありました。私の家の電話番号はちょっと特殊で、よく間違い電話がかかってくるのですが……今日のは最初が「○○の更新所ですか?」で、次が「なんたらのなんとか課ですか?」で、最後が「森さんのお宅ですか?」でした。日に3種類の間違いがかかって来るなんて、今までなかったことです。
 そして3件とも、私が『違います、若原という民家で、よく間違われるんです。ご確認下さい、うちの電話番号は……』と説明しだすと突然「すみません間違えました〜」と切られました。
 間違えたからって、いきなり切らんでもいいやん。いや、向こうも慌てたんでしょうけど。用事はあるし間違えるしで。

   *

 さておき。

 今、庭のピラカンサに赤い実がたわわに付いています。食べられるものだったら喜んだんでしょうが、そうじゃないから。どうも、見た目の毒々しさばかり遠目にも映えていて、微妙な感じです。クリスマスっぽくはありますけど……。
 場違いというか異質というか季節に合ってると言うか、なんというか……『すごい野郎だなピラカンサ』とは思うのですが、彼岸花ほど好きにはなれないです。なんかね、怖いんですよ。つぶつぶブツブツした実のなり方が。見てると耳の穴がゾワゾワしてくる。

 たとえば、風呂のふたを開けてそこにあの実がぎっしり詰まってたら、私は気絶すると思います。ミミズでも蜘蛛の子でもいいんですが、こう、集団でうじゅるうじゅるしてるビジュアルって怖いじゃないですか。何が怖いのかわからないけれど。

   *

 ひとつ思い出したのですが。私にはすごく怖いものがひとつあります。が、それには名前がありません。初めて見たのがいつかも思い出せません。
 こう……大きめのビー球ぐらいの大きさで、表面に滑らかな線状の凹凸が走っています(この「線」はけっこう太めです)。線の峰の部分は金色で、窪みの部分はススが溜まったみたいに黒くなっています。持つとひんやりしている。それが何なのか私は知らないけれど、とにかく非常にまがまがしい・ヤバい物だってことだけはハッキリわかる。ひしひしと感じる。

 なんだかわからないでしょ。私にもよくわからないんです。よくわからないのですが、私にはリアルに思い描くことができます(今はあまりリアルに想像しないよう気をつけながら上の文章を書きましたけど)。数ヶ月に一度、フッとその謎の物体の映像が脳裏をよぎり、とてつもない恐怖感に襲われることがあります。遠ざかりたいのだけれど、自分の脳のスクリーンに映っている絵だから逃げられない。むしろどんどん鮮明になってくる。私が崩れ落ち、わななき眼をひんむいてハアハア震えていると、フッと消えていく。なんなんだろう……。

 よくわからないのですが、あれは私の何かを抽出し造形化したものなのかな。まあ、私の想像上の物体だということだけは確かです。
 すごくリアルにイメージできますよ、いつでも。材料と技術があれば寸分たがわぬものを作れると思います。自分の恐怖の対象をわざわざ自作する意味がよくわからないけれど。
 と、ここで気づいた人もいるかもしれないけれど。寓話『最悪人形』は私のこの件がもとになっています。

   *

 ……。なんでこんな話になっちゃったんだろ。ま、いいか。とにかく、ピラカンサは名前がカッコいいな、ってことです。
posted by 若原光彦 at 01:49 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年12月07日

大阪から帰りました

 雪、降りましたね。寒くなりましたね。皆様いかがお過ごしでしょうか。イカはいかがわし過ぎるでしょうか。一家が一缶を茶こしでしょうか。
 ……。何の話でしたっけ。

 それにしても、何で私はこんな文が書けるんだろう……。あ、そうか。恥知らずだからだ。うわあい……喜ぶなッ。
 さてと、冒頭ギター漫談はこれぐらいにして……。

   *

 大阪、行ってまいりました。倹約のため在来線を使うつもりだったのですが、JRの窓口まで行くと「シャトルきっぷ」のPOPが目に入りました。これは「米原⇔新大阪」の新幹線自由席が格安で使えるというもの。在来線で行くのと、往復で1000円くらいしか違わない。
 ……大阪まで行くのに、1000円ばかしけちってもしょうがなかろう、というわけで「シャトルきっぷ」を買いました。券売機で売ってたけど……券売機で6060円のきっぷ買うのって、ちょっと怖かったです。ボタン押し間違えたらどうしようとか。変なもの出てきたらどうしようとか。
 変なものって何だろう。わかりません。とりあえず出てきませんでしたよ。

 会場、とても面白い場所にありました。失礼を承知で言えば「廃墟」でした。そのビルは埠頭にあり、昔はフェリー乗り場だったらしいのですが、今は地元商店街が貸し出す形でブースがレンタルされているようでした。アート作家さんの工房があったり、カフェが入っていたり、会場の『SOUNDBAR吟遊詩人』さんが入っていたり。
 二階建ての平たい建物なんですが、気まぐれに二階に上ってみると……雨漏りがバケツで受けてありました。蛍光灯がほとんど取り外されていました。窓ガラスが幾つか割れていて、ベランダの出入り口には「このベランダは危険のため立入禁止」との貼り紙がありました。建物の入口には「建物内では一切の撮影を禁止します」また「不審者対策のためトイレのみのご利用お断りします」との貼り紙もありました。……すごい。なんか落ち着く。なぜだろう。
 私は少年時代、母の田舎に行けば屋根裏まで歩き回り探検する子供でした。ああ、その血が騒ぐ……ベランダ出たい、屋上行きたい、潜伏して取り残されてみたい……とちょっとだけ思いました。撮影はしませんでしたが、どこを撮っても絵になる空間でした。

 廃墟とアートが隣り合わせの不思議な建物でしたが、会場の『SOUNDBAR吟遊詩人』さんは、入ってみると『clabBL』さんに近い感じがして落ち着きました。本棚があって、旅の本とか詩集とか『伝染るんです。』とか、面白い本がいっぱい置かれてました。反対側の壁には、いろんな顔が笑ったり楽器を弾いたりしているペイントが施されていました。開演中、薄暗い中でふと『あれっ、あんな人いたかな』とヒヤッとし、よく見るとその絵の顔だったりしました。暗がりだと壁に溶け込んでしまうけど、よく見ると陽気で活気があって、顔がそれぞれで……居心地のよい絵でした。描かれている顔ごとに表情が微妙に違ってね、躍動感があってね……うーん、絵のことを言葉で言うのは難しいんですけれど。

   *

 ライブは、結構押していたんですが好感触で終わりました。しげかねとおるさんの詩は凄かったです。妄想が膨らんで夢オチするような内容が多かったんですが、それは卑怯でも稚拙でもなく、むしろ逆で。引き込んで引き込んで、めまぐるしく展開して、最後に現実に戻ってくる。「どうやったら天井にゲロが付くのか俺にはわからない」なんて。悲しいのだけれど笑える、心地よい着地。
 おしゃれにも感じるし、男の哀愁も感じるし、カッコよさも感じるし……どれだけ聞いていても飽きないステージでした。よかった。聞けてよかった。詩作品としてもとても完成されたものでした。「犬語翻訳機を野良犬に付けてみたら、彼はビンラディンへの復習を語りだした『俺は子犬だが、かえって奴をめろめろにして膝の上で小便して奴を困らせることが出来るのだ』」という作品とか。くうーっ、イカす……。面白いけどそれだけじゃなくて、ちゃんと詩でもあって、それ以上でもあって。すごいな……。

 自分のステージは、後日の奈良でのライブと重ならない作品を選び、9作を約30分、ほぼぶっ通しで読みました。この日はじめて人前で呼んだ作品もありました。『悪への誘い』という、詩というか小話みたいなのもやりました。
 小さい会場ということもあり、お客さんは12人ぐらいだったと思うのですが……みなさん注目して聞いてくれていました。店の外で受付してらした方も、店内を覗き込んでくれていました。嬉しかった。ほっとした。立つ前までは『今日は完全にアウェーだ……』『イタいことやってイタい奴だと思われて傷心で帰ることになるのだ……』とテンションも停滞していました。でもやってみたら、トチっても噛んでも吹っ切って押せた。序盤は笑わせ、中盤は真剣に聞いてもらい、最後にまた笑ってもらう、といった組み立てもうまくいきました。ああ、よかった……本当によかった。うまく済んでよかった……。
 いま思い出しても『よかった……』とつくづく思います。無事に済んでよかった。どうなることかと思った。よかった……。
 30分という長い時間をひとりで務めたのは初めてだったのですが、ちょっと自信になりました。

 小笠原さんはあいかわらずカッコよく、しかし非日常的でもあり、土の匂いのするようなホッとする感じもあり……魅力的な方でした。
 司会・スタッフを担当されたタキガワさんも凄かった。司会をされたのは今回が初めてだとのことでしたが、人のさばき方もMCも、ソフトなのにキビキビした声や喋りでした。よく動き、よく働いておられました。あんな人がいるととてもイベントはやりやすいだろうなあ、と思ってしまいました。あとで人に聞いた話では、タキガワさんは演劇関係で活動されている方なのだそうです。そういえば桑原さんやレモンさんも演劇に関わってたっけ……やっぱりイベントの筋道メリハリ礼儀仁義を身に着けるには、演劇ってすごく役立つんだろうか……。

   *

 終幕後は、アンケートを見せてもらったりちょっと雑談したりして、みなさんと別れました。当初は会場で朝まで居つかせてもらうつもりだったのですが、プリントアウトして持ってきた地図をよく見ると『すかいらーく』があることがわかって。『私ひとりしか居ないのに会場を開け続けてもらうのも悪いしな……』というわけで、そちらに向かいました。『すかいらーく』が朝までやってるかどうかはわからなかったんだけど。

 移動してみると、その店は24時間営業でした。ああ、よかった……。ドリンクバーにココアが無かったのが不満でしたが、とりあえずひと安心。店内のお客さんたちが関西弁で痴話喧嘩やら仕事の愚痴やらをまくし立ててるのにビビりましたが、すぐに慣れました。
 店内では読むものがあったのでがっつり読んで……意外とねむけは襲ってこなくて。録音して持ってきた『NHKFMシアター』の『となり町戦争』を聞いて。どことなくイヤーな気分になって。耳はイヤーと英語で言って。年もイヤーと英語で言って。いや、言ってませんけどそれはともかく。

 そういえば。私は普段、ファミレスに入ってもドリンクバーだけで居座るのですが、メニューの『野菜たっぷりあんかけ海老ラーメン』があまりに美味しそうなので……つい注文してしまいました。これまた『大阪まで来て1000円ばかしケチってもしょうがあるまい』という無謀な論理だったんですけど。
 うまかったです、あんかけラーメン。スープがあんかけ状態でとろみがあるからか、保温性能がすごく高かった。ちょっとづつ食べてもなかなか冷めない。スープは冷めても麺は冷めない。あんかけだからか腹にもたまる。うむ、うまい。
 麺はダルダルで『ああ、まあ、ファミレスだし』って感じでしたけど。妙においしく感じたな……。

   *

 そして夜明かしして5日(月)、朝6時。ファミレスを出て、地下鉄に乗り新大阪へ。新幹線「のぞみ」は米原に止まらないし「ひかり」は自由席が少ないので、ぼんやりと「こだま」まで待っていると……熱海のあたりでレールに故障が出たらしい。関西よりさらに西で、大雪のため新幹線が遅れているらしい。結局、駅の待合室で1時間近く、ホームで20分近く待ちました。乗れたのは8時半ごろだったかな。電車の遅れを取り戻すためか、新幹線は停車後2分と経たずにすぐ発進。
 席に着いたとたん、意識が朦朧としました。ねむけが襲ってきた……。でもここで寝てしまうと最悪東京まで送り飛ばされてしまう。寝るわけにはいかん……寝てはならん……。根性で目を開けて米原で乗り換え。米原からのJR車内でも『寝てはいかん……寝ると死ぬぞ……』。かなり危ない表情してたと思います、つばのある帽子かぶってましたけど。いや、だからこそ不審人物だったかも。
 ずっとうつむいて片目だけ寝たり(無理がありますよね。でもねむけがやわらぐんですよ)して……ふと窓の外を見ると、粉雪が舞っていました。肉眼でも見えるか見えないかぐらいの降り方だけど、先頭車両に乗っていたので列車の頭に迫る雪がよくわかりました。冬だ。雪だ。眠い。寒そう……。

 列車から降りたら本当に寒かった。自動車や列車では「わりと寒い日」ぐらいだったでしょうが、自転車で帰る私としては「まごうことなき吹雪」でした。自転車を漕いで体温も上がってきてる筈なんだけど、どこまでも寒い。あまりに寒くて鼓膜が痛くなってきた。頭がガンガンしてきた。もう帰るのやめて道端に座りこんでようかしら……。
 んなこと言っててもしょうがないので『漕げよマイケル』を口ずさみながらペダルを漕ぎ、どうにかこうにか帰宅しました。でもその後はずっと、風呂に入っても着替えても寝ても、頭が痛かったです。熱や鼻水はありませんが、今もまだ食欲がありません。煙草を吸いすぎただけなのかな。

   *

 といった感じで、大阪へ行き、帰ってきました。どこにも寄り道せず。
 新幹線を使ったのは正解でした。行きは在来線でもよかったんですが、帰りが鈍行だったら今ごろ寝込んでたと思います。メコンデルタと思います。ネアンデルタールと申します。申しません。申しませぬ。もうしませぬ、もうしませぬ、許してたもうれ母様。

 本当なら「かかさま」としたかったんですが、ひらがなが続くと読みづらいので泣く泣く「母様」としました。句読点を打つとリズムが崩れるし。ああ、無念です。……。何の話だ。

 ……ふう。とりあえず大きな予定がひとつ完了しました。これで来週まではゆっくりできそうです。
posted by 若原光彦 at 02:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年11月16日

へんな夢

 先日、こんな夢を見ました──

 私と相棒の男は、何千万かをもって会場の二階にいる。一階までは吹き抜けになっていて、下にはなにやら将棋のようなゲームをしている人々が見える。その中に一人、生気のない少女がいた。彼女も盤に向かい何かのゲームをしている。目つきといい表情といい生気がなくて弱々しい。だが人形の迫力とでも言うような、考えの読めない恐ろしさも感じる。他の人々に埋もれる弱々しく目立たない存在だが、見る者が見れば彼女の異様さには気付いたろう。
 私と男はその会場に「人」を買いに来た。号令が飛び交い、オークションは進んでいったが、私がちょっと席を離した隙に……男は人々の中から少女を買ってしまっていた。私たちが来た目的、買う本命は他にあったのに。当然私は憮然とする。こんなハイリスクな奴を買うメリットがどこにある。だが男は詫びるでもなくニヤニヤ笑んでばかりいる。

 会場の外のハイヤーに、男が少女を連れてやってきた。アジトへ移動する最中、車内で男が言う。
「四千万で買ったが、こいつは『ありがとう。その金は自分が返す』と言っている」
だからこれは損にはならない、と男はそんな与太をこぼす。私は言い返す。そんな話が信用できるか。これからアジトにつれて帰ってみろ、翌日には逃げ出されているのがオチだ。
 私たちは車内で簡単な証書を作った。「逃げ出さない」「指示に従う」「四千万円を払う」といった内容だ。署名するよう少女に差し出したが、彼女は
「わたしは字が読めない」
と生気のない答をする。私はあきれた。
 仕方がなく、私は車を止めさせハイヤーの運転手に証書を音読させた。私や男が読んだのでは不正が可能になってしまうため、第三者に読ませた。そして少女に
「これでいいなら署名しろ」
と紙を差し出したが、彼女が書いた名前は
【ワタキケ】
といった意味不明なものだった。どうやら書面の文章から、適当なカタカナを見繕い連結しただけらしい。どうやらこの子は自分の名前すら書けないらしい。私は苛立って
「おまえ名前は」
と訊ねたが、彼女は相変わらず生気のない表情のまま、何も答えなかった。

 その後数日、私と男はアジトで少女の能力を調べた。私たちは少女をゲームの競技者として購入していた。競技会に出場し、賞金を得るためのバトルプレイヤー。いわば競走馬のようなものだ。
 少女にいろいろなゲームやテストを出題し解かせるうち、この子の能力と問題が発覚した。彼女は非常に正確な入力をする。一度覚えた格闘ゲームのコマンドは出しミスることがない。もぐら叩きのような単純なゲームでは百発百中の正確さを見せる。操作にいっさいの狂いがない。手の覚えが抜群にいい。思った動作を瞬間的に正確に出す。
 しかし、それだけではゲームは強くならない。正確に俊敏にコマンドを出せても、ゲームとしての駆け引きが計算できなければ勝負には勝てない。この少女のプレイはほとんどCPU操作のキャラと大差がない。対戦相手の心理やゲームのセオリーといったものをほとんど考えず、場当たり的な操作しかしない。これでは駄目だ。
 考えたあげく、私と男は彼女をFPS(First Person Shooter。一人称視点の3Dシューティングゲーム)の競技者として育てることにした。どんな慣性のあるインターフェースでも、彼女はピタリと銃の狙いをつけることができた。少女の正確な操作能力と俊敏な入力能力なら、無敵のスナイパーになれるだろう。だがそれだけでは生き延びることはできまい。やはり作戦や効率、瞬間の判断と言ったものを学習させなければならない。
 私は、彼女にどうやって作戦を教えればいいのか、と考えていた。いい名前も付けてやらんとな、と思った。

──と、そこで目がさめました。変な夢だった……。人を買うって。いかに夢でもそりゃあんまりだろう。
 妙に物語として成立してたのも不気味でした。何かのプロローグという感じもするし、これはこれで終わりという気もします。なんだろ。ってそりゃ夢なんですが……。
 ……。続きとか見ちゃったら怖いな。パッピーエンドならいいけど。
posted by 若原光彦 at 12:32 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年09月02日

新しく同じ靴

 現在2005年9月2日、朝四時半。眠れなくて(というか、一時間ウトウトしただけで目がさめてしまって)PCを立ち上げました。煙草をくわえたままヘッドホンをしようとしたら、煙草の先がヘッドホンを直撃。樹脂の部分がちょっと焦げました。な゛ーッ! まあ、使用には問題ないんですけど。つうか、そもそももう二年近く使ってるヘッドホンなので、あちこちボロボロになってるんですけど。
 ヘッドホンとかMP3プレーヤーとかビデオデッキとか、そうしたものはほとんど買い換えない人です。買い換える金がもったいない、というのもありますが、一度気に入ってしまうとなかなか他のものに乗り換えようとしないんです。ビデオデッキなんて、再生するとノイズが入るんですけど「叩けば直る」のでまだ使ってます。たぶん完全に壊れるまで使い続けるんだろうな。

   *

 そういえば靴もここ5年以上、同じものを履いています。名古屋で私とお会いした人は見たことあると思いますが(でも記憶に残ってないと思いますが)黒色の、スウェードみたいな質感の靴です(発売元『青木安全靴製造株式会社』のサイトで同じデザインのものを探してみたのですが、ありませんでした。現在は製造されていないのかもしれません)。
 マジックテープ式なのですが安全靴で、デザインもシンプルで、どんな服装にも合って。気に入っているので夏でも冬でもずっと履いていました。
 ですが、先日『なんか最近、15分歩いただけでも脚が痛くなるな』と気づき、『靴が悪いのかな』と靴裏を確かめてみたところ。……左足の裏だけ、右足より5ミリほど多く擦り切れていました。もともと安全靴なので靴裏に一センチ程度の凹凸があるのですが、左足だけその凹凸が無くなっている。ほとんど真っ平らになっている。……こんなに履いたのか、私は。どうして左足だけ多く削れているんだ。歩き方が悪いのか。

 いずれにせよ、これじゃ疲れるわけだ……と、新しく、現在も同じ靴を履いています。って、なんか言葉に矛盾があるようですが矛盾してないです。実は、あまりに気に入っているので同じサイズの同じ靴を、同じ店でもう1個買ってたんです。で、その買い置きの方をおろして、最近は履いています。靴を履き替えて、履き替えていない。
 おろしたてなので皮がまだ硬く、どうも「足首をがっちり固定されてる」感じがしますが、そのぶん立ったときに「すくっ」とします。靴裏がまだ削れてなくて、平行だからかな。しっかり地に足をつけて立っているという実感がある。気がひきしまる。勇気がわく。

 あした3日、家を出て東京上野の『UPJ3』に向かいますが、その際もこの新しくて新しくない靴を履いていきます。うん、なんだか緊張感があってキリッとすると共に、自分なりに自分らしくやれそうな気もします。

   *

 ふと思ったのですが、また数年後、この靴の靴裏が擦り切れたらどうしましょう。もうこの品は見つからなさそうだし。もっといい靴を見つけて、それを好きになってるのかな。和服を着て下駄なんか履いちゃってたりするのかな。ふかふかで驚くほど軽いバッシューでも履いているのかな。……まあ、その時になってみないとわからないですね。今の靴を死ぬまで履き続けたい気もするんだけどな。

   *

 ちなみに、余談ですが私の靴のサイズは25.0cm〜25.5cmです。以前、人とボーリングに行ったとき、場内用シューズを選んでいてその方から「足、小さいんですね」と言われたことがありました。身長166cmで靴25.0cmって、小さいほうなのかな。どうなんだろう。和田アキ子が27.0cmって話だから、小さいといえば小さいのかもしれない。……和田さんとくらべたらいかんか(笑)。

 あ。出来心で検索してみたら、ちゃんと情報がありました。

★靴とバッグの情報サイト/シューズ・バッグ探偵局
http://www.shoebag.jp/
靴のサイズ調査1
http://www.shoebag.jp/s-size/s-size.html
靴のサイズ調査2
http://www.shoebag.jp/shoesize2/shoesize2.html

 ほー……。たしかに男性で25.0cmは小さめで少数派らしいスねえ。……いや「だからなんだ」っていまふと思いましたけど。たしかに足の小ささなんて自慢にもならなきゃ、人格形成にも関係ないですけど。しかも25.0cmって大きいのか小さいのか微妙なトコですけど。気にしない、気にしない。大自然のすることにいちいち意味やら因果関係やら見つけちゃいかんのです。なんだそりゃ。
 ……。とちゅうまで「いい話」っぽかったのに、なんでこんな話になってしまったんだろ。いつものことですか。そのようです。
posted by 若原光彦 at 06:11 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年08月30日

床屋にいきました等

 今日、床屋に行ってきました。沖縄出身という女性の理容師さんがあれこれお喋りしながら世話してくれました。5月に万博に行ったというので『面白かったですか?』と聞くと「……。まあ」「ディズニーランドとかUSJとか、アミューズメントの方が私は……」と正直に答えはりました。だよねえ。
 髪からひげから一式やってもらって、まゆげが細くなりました。「細くして、端をツンと伸ばす」のが流行りなんだそうです。はー。なんか見慣れない顔だな。

   *

『AFFドラマリーディング』は行けなかったんですが、『VOX』には行きました。会場の床に詩の断片が貼ってあり、プロジェクターにも詩が表示されている。ジャンベがリズムを刻む中、三人が即興的に踊り、詩作者の方が素朴な朗読をする。予想はしていましたが、現代アート的なイベントでした。

 細見さんの詩は「ノスタルジー=廃墟」「ファシズム」「サバイバル」「尼崎列車事故」などを独自の解釈で組み立てた作品でした。文脈に注意し解きほぐしながら理解する面白さがありましたが、難しめのものではありました。わかりやすさとかウィットとか、そうした「読者サービス」が添加されている詩ではなく、誠実に自分の認識を広げた作品のようでした。難しかったけれど、嫌いではなかったです。

 舞踏は、見ていてどうしても『三人が関われー!』とか『そこから大きなうねりにななれー!』とか期待してしまいました。そして当然、その通りにはならない。
 どうやら私の舞踏の見方には問題があるようです。舞踏はサーカスでもパントマイムでもない。ドラマや展開など、一般的な面白さを求めてはいけない。……まだ舞踏の見方がわからないようです、自分は。

   *

『VOX』の帰り、電車内で『次の駅で降車だな』と席を立つと、床に若い男性が転がっていました。
(なんだこれは?!)
(どうしてみんな助けないんだ?!)
私は男性のそばの席にいた女性を見ました。女性は無表情で私の顔を見返しました。
(……あ、あんたの連れなのか。寝かせておいてやろうってことなのか)
そう解釈した私は、男性の頭をまたいでドアの前に立ち、電車が駅に着くのを待ちました。男性は床に転がり、安らかな寝顔で眠っていました。
(よっぽど疲れてるんだな)
そして30秒ほどして列車が駅に着いたとき、驚くことに先ほどの女性が席を立ち、男性の横をそそくさと移動。私の背後に並びました。
(なんだ! あんたの連れじゃなかったのか!)
(だったらあんたが起こしてやるのが筋だろう!)
(ほかの乗客も、どうして誰も起こしてやらないんだ!)
(それは俺もか……)
ドアが開き、悶々としながら電車を降りました。一緒に降りた何人かは、ニヤニヤ笑いながら車両のほうを振り向いていました。笑ってねえで起こしてやれよ、あんたら早く気づいたんなら。
 どうしてみんな無言で放置してたんだろう。ふつう起こすだろ、「床で寝てると危ないですよ」って。わからんなあ。不気味だったなぁ、あのとりまき方と、無視の仕方は。

   *

 いよいよ『UPJ3』まで一週間を切りました。

 きのう、公式サイトに掲載されている「30000字対談」を読みました。“良いセックスのようなリーディング”か……どうしても桑原さんのことが具体例として思い浮かんでしまうな。
 だいぶ前にも書きましたが、私は基本的に他人に興味のない人です。ただ、オープンマイクの主催者にもなり、そうも言っていられなくなった。また、自然とそれは変わっていくだろう。
 しかし、私には桑原さんほど“観客と作る”リーディングは出来そうにないです。どうしても自分の芸だけに収まろうとしてしまう。やるだけのことをやって、アドリブはあんまり入れたくない。型を崩したくない。人と直接混じり合おうとしない。距離を置きたがる。
 良いリーディングってなんだろうな、と思います。『UPJ3』での演目を考えるため自作を総点検していたら、暗い、後味の悪い詩ばっかりだってことにも気付いたし。人を楽しませるってどういうことなんだろう。

 ひとつ思ったのですが「30000字対談」の話は“バンドや音楽に関わる人たちなりの朗読観・ライブ観”なのかもしれません。詩を詩として詩ばかり書いていた人には、バンドマンや役者とは違う朗読観があり、彼らほどふっきれないところがあるのかもしれません。私も含めて。
 リーディングをやっていてよく「演劇や音楽の経験がある人の強さ」を思うことがあるのですが、その「強さ」は誰もが持つべきものなのかどうか、わからないでいます。観客を巻き込んで場を楽しめる人はイベントにもシーンにも必要ですが、その能力をみんなに望んでしまっていいのかどうか。一部の経験者にしか望めないのではないか。
 私はすこし甘いのかもしれません。おそらく、もっと人に期待し人と関わろうとすべきなんでしょう。私が今オープンマイクで「試し、稽古する」ことがあるとしたら、そこかもしれません。

   *

 そうそう『UPJ3』での滞在宿、決めました。こちらです。

サウナ&カプセルホテル ダンディ

ぺーかよ! 否。カプセルかよ! ……そうです。しかも女子禁制です。料金が安いのと、チェックインが24時までOKなのとで決めました。キャンセル料も無料。どないやねん。
 私のほかにも『UPJ3』関係で利用する男子いそうだなあ……。カプセルホテル初体験ということで私はちょっとわくわくしてますが、わくわくするようなことではない気もします。それにしても、ぺーって……。

 ちなみに、移動はひとから聞いて知った『ぷらっとこだまエコノミープラン』です(紹介はこちらのページが詳しいです)。
 名古屋駅の支店に申し込みにいったところ、にこやかなおじさんが30分以上「だいたいこれってねぇ、売れない席をさばこうっていうアレなんだろう、そりゃわかるけどねぇ……」とにこやかにクレーマーしてました。何があったんだ、おじさん。係員の方が気の毒でした。
 愛知万博行きのバスチケット(?)を買っていったご婦人が、慌ててお金を払わないまま店を出て行こうとしたのも面白かったです。この時期は修羅場だろうな、旅行店って。

   *

 以下、わざわざ書くようなことではないのかもしれませんが、あまりに最近ハマっているもので。

 最近、アラームソフトを『Multi Function Alarm』から『Trasche』に変えました。

 すんごい高機能です。さすがに『hyCalendar』ほどの指定はできませんが、「第n曜日は00:00から23:59まで(つまり一日じゅう)○○の日」といった日時指定ができます。登録した予定が表示されるカレンダーが付いているので、簡易的なスケジュール表にもなります。
 レジストリを使用しますし『Multi Function Alarm』よりメモリも食いますが、そんな些細な短所はどうでもいいんです。カレンダーの文字がすごく綺麗で、オプションも細かくて……気に入りました。プログラムを起動・終了させることができるので「毎時00分に『田中君』を起動し、01分に終了させる」なんて変な時報を設定することもできます。おもしろい。

 バルーン通知表示ソフト『BalloonNotify』と組み合わせて使うとクールです(『BalloonNotify』は独自のアイコンが表示できたり、複数のバルーンが表示されないようプログラムが順番待ちして起動したり、細かな所に気配りがされています。うまく使えばたいへん便利です)。
 壁紙変更ソフトや『単機能ツール集』と連携させても面白いでしょう。……良いです。あまりに良いのでついチマチマあれこれ試してしまい無駄な時間をすごしてしまうのが難点です。

   *

 床屋からの帰り、昔よく通ってた道を選んだところ、ありました。チェリオの自販機。……が、近づいてみると全品100円になってました。なんだなんだ、悪い予感がするぞ。じき撤去されるんじゃないだろうな。チェリオのマイナードリンクが買えるのは町内でここだけなのに。
 とりあえずはじめて見る『ビィグ・コーラ』と『MILKYWAY White』を買いました。ほんとはひさびさに『日本のサイダー』が飲みたかっただけなんだけど。
posted by 若原光彦 at 22:45 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近況

愛知万博いきました

 一週間ぐらい前、万博に行ってきました。開場前のゲートはすごい人だかりでした。入ってしまえばそんなことないんだけど。「早めに行って開場を待ったほうがいい」と聞いていたので、結局ゲートの前で一時間以上待ちました。
 入場後は、人の多さは中の上くらいでした(だと思う。初見学だったからよくわからんけど)。すいてるパビリオンならいつでも入れる。人気のパビリオンでも(一部先進国や日本企業のものは例外ですが)50分ほど待てば整理券なしで入れる。

 でも今回私は「見るのに待たされるところ」はひとつも入りませんでした。入場そうそう押井守の『夢見る山』を見て、あとは適当にぶらぶら。『国連館』は売店が面白かったですね。国連Tシャツが欲しかったんですが、Lサイズは売切れでした。
 待たずに入れる所では『インド館』がよかったです。館内全体にうっすらとお香の匂いがしていて、チャクラとか神話とかインド料理とかインド舞踊とか、独自の文化を展示してました。最後の辺になると「インドの国産自動車」の話とかあったりして。嫌味なく『ああ、すごい国なんだな』と思うことができました。インドって魅力的な文化いっぱいありそうだもんなあ。数学の分野でもすごいらしいし。
 そのほかの外国パビリオンは「まあまあ」か「うーむ」でした。全館が売店と化しているところもあったし、ギミックは美しくても内容はぴんとこなかったり。万博の名のとおり「博物館・博覧会」っぽい館が多く、アトラクション的な館は少ない。いや、それが正しいんだと思いますけど。
 夜間に『こいの池』で噴水をスクリーンにした映像ショーがあったのですが、これが象徴的でした。猿が! 謎の猿が煙からもわもわ〜っと登場。そして小猿が。大猿も! 揃い踏み! 意味わかんねえよ! シュールだよ! ナレーション黒柳徹子だよ! ……おそらく「猿=人類の進化」みたいな表現だったのだと思いますが、ただただシュールで反応に困りました。きれいではありましたけど。

   *

 私が今回万博に行ったのは、瀬戸会場の『瀬戸日本館』を見るためでした。ここで『一粒の種』という群読劇をやっているのですが、実は私、これのオーディションを受けて落ちたのです。落ちたからには見ておかねば、ということで行ってきました。
 うーん。右翼が喜びそうな日本観でした。男性は全員丸坊主で応援団みたいなユニフォーム、女性は全員おかっぱで改造セーラー服みたいなユニフォーム、あと忍者みたいなのもいて、全員が「アグレッシブに動き回りながら童謡やわらべ歌、露天の口上などを叫び続ける」というものでした。
 短時間で印象の強い舞台でしたが、ちょっと私が思ってたのとは違ったな。ワビサビの世界ではない。騒がしくも明るい祭の雰囲気でもない。一糸乱れぬ統率力で力強く荘厳な叙事詩の勇士。日本の山村風景よりも、戦艦大和あたりにマッチしそうな雰囲気でした。

 瀬戸会場は、長久手本会場とはうってかわって、すごくすいていました。のんびりしたい人は瀬戸会場へ行くといいです。あまり見るものはありませんが。
 あ、瀬戸会場の端っこに郵便局があり、ここで「自分の写真で切手が作れる」プリクラ切手マシーンがあったので体験してみました。出来は……髪がぼさぼさ……。まあ記念にはなりましたね。

   *

 長久手会場に戻ってからは……『インド館』と『トルコ館』の女性スタッフが『こんな人間がいるのか!!!』ってぐらいにチャーミングでびっくりしました。じろじろ眺めて変に思われてもあれなので、そそくさ通り過ぎましたけど。なんか緊張したな。
 あと、見たことのない素敵な国旗があったんですが、それは『OECD』でした。国ではなく国際組織の旗でした。どうりで見たことないわけだ。

 全般に、万博会場は「ひたすら歩き」でした。グローバルループという空中回廊があるのですが、これは出口が限られていてなかなか降りられる場所が見つからない。見つかったとしても、妙に回り道させられたりする。これから行こうという人は絶対に軽い装備を心がけて下さい。
 人にもよると思うけど、私はもう、いいかな。一回行けば。目的の『瀬戸日本館』も見たことだし。

   *

 一緒に行ったひと(会場では別行動をとった)が言うには「ルーマニア館がすべり台」だったらしいです。「客席が『木製の滑り台』のようなつくりで、どたどたと激しいダンスをされるもんだからみんなちょっとづつずり落ちていく。前のおばあさんなんて落ちないように必死だった」と。うれしそうに何度もその話をするので、検索してみました──

万博 ルーマニア館 滑り台ORすべり台ORすべりだい - Google 検索

──。……。みなさん印象的だったようです。……あ、ルーマニア館のダンス自体はとてもよかったそうですよ。

   *

 関係ないですけど、愛知万博について調べていたらなぜか『野外民族博物館リトルワールド』→『喫茶マウンテン』と捜査網がシフトしてしまい、こんなものを発見しました──

大名古屋ウェブFLASH「愛を知ると書いて愛知」

──面白いです。PCの音量に注意“しないで”どうぞ。

『喫茶マウンテン』は一度行ってみたいです。一人で行くと危険だそうなので(詳しくはこちら)、何かウソの企画を立て、東海詩人勢をだまくらかして連れて行くことにしましょう。うん。
posted by 若原光彦 at 22:23 | Comment(2) | TrackBack(0) | 近況

2005年08月11日

近況ぽろぽろ

 写真は鳥です。白い鳥が田んぼに何羽も立っていて、私が近づくとふぁさふぁさっと飛び立つ。バサバサ羽ばたくのではなく、ふわっと飛び立ちさあーっと静かに滑空します。フォルムがすごくスマートで美しくてため息が出ます。セラミックスで出来てるんじゃないかというくらいに白く、ぶれない。人間界にはない光景。奇跡的というか幻想的というか、そんな感じがするんです。みほれてしまう。
 これは7月に撮影したものですが、この鳥は8月上旬の現在もあちこちにいます。なんて鳥かは知りませんけど。

   *

 きのう(8月10日)は『詩のあるからだ』でした。当初は3人しかいなくてヒヤヒヤしましたが、20分押しではじめた頃には6人ぐらいになってました。ほっ。録音・レポートは追ってサイトにアップします。
 一般のお客さんが多く、ざわざわしていてみなさんやりづらかったと思います。実際には誰も口にしなかったけど、微量に、それぞれ課題を感じてもらえたと感じています。

『短歌ヴァーサス』のWEBサイトコラムは順調に進んでます。……いや、順調か? あれ。なんか詩歌と関係ないことばかり書いてるような……ま、いいのか、それは。
 思ってたほど超駄文は書いてませんね。そうだな、たまにはすごいバカバカしいのも書こうかな。「真空管って光るのか?」とかそんな。どんな?

 話をオープンマイクに戻しますけれど。他の地域ではまた違うのでしょうが、名古屋のオープンマイク3箇所はどこも「一般客も入る飲食店」で行われています。そのため、名古屋のオープンマイクは「あたたかく楽しいリーディングへの入口・集まり」であると同時に「一般の反応がときどきシビアな場」にもなっています。「ディープさ・趣味」と「一般性・娯楽性」。「オープンさ・敷居の低さ」と「シビアさ・舞台」。あい反する要素を抱えています。
 両取りできればベストなのですが、なかなかそうは行かないです。オープンマイクって、場が開かれているぶん役割が広範囲に渡っていて……どちらにどう向けばいいのかと悩むことがあります。あまりガチガチに固めて縛りたくないので“なんとなく”雰囲気を読んでやってますけれど。よくよく考えると不思議なイベント形式かもしれないな、オープンマイク。

 ……ってなことも『短歌ヴァーサス』WEBコラムに書こうかしら。あそこをご覧の方は超駄文なんかより、まじめな詩の話が読みたいんだろうしなあ。いちおう詩人代表みたいな形になってる訳だしなあ。でも私にゃさほど学のあることは言えんしなあ。感覚論も痛いしなあ。
 コラムね、書いてみるとなかなか大変です。ネタ自体は幾らでもあるんですが、悪ノリしかけたり、やけに長くなってしまったり。このBlogでもそうですが、私は「一定の量の文章をスパンと書く」ことができないんだと思います。「文章量を予測して逸話を選べない」というか。ネットでしか文章を書いてないからかなあ。
 詩では「全方位・全可能性を見て、使えるものは何でも使う」みたいな思考をしてきましたから。文章でも「なんでも突っ込もう」としてしまうのかもしれない。

   *

 先月『続・ぽえ茶』へ行った際に、名古屋の本屋で『現代詩手帳』を買いました。私は詩誌ってほとんど買わない人なんですけれども。
 2005年8月号は、特集が「戦後60年〈現代詩〉再考」です。荒川洋治・長谷川龍生・野村喜和夫・吉増剛造らの座談会とコラムが載っており、さらに60年間のアンソロジー「戦後60年名詩選95篇」が載っています。買いです。これは買いです。名詩選が面白くてしょうがない。こんだけバラエティに富んだ詩を一度に読める雑誌ってもうないぞ。
 有名な詩もちょこちょこ入っていますが、そこはやはり専門誌ですから。あまり知られていないような作品も載ってます。『この時代にこんな凄いもん書いた奴がいたのかあ』と楽しく読めます。
 全264ページの雑誌ですが、62ページから179ページまで、計117ページが「名詩選」にあてられています。がっつり読めます。お買い得です。

 まだ「名詩選」の3分2しか読んでいませんが、私は女性の詩のほうが肌に合いました。(載っている詩では)女性の方が素直に内面や社会を切っているような感じがしています。

『続・ぽえ茶』の前に神宮の古本屋によりました。サクサクと読みやすそうだったので「ボブ・グリーン」という人の文庫を3冊(1冊50円)買いました。……が、まだ積んでます。はよ読まんと……なんでこう買ってしまうんだ……。

   *

 そうそう、WEB同人詩誌『めろめろ』林本ひろみさんが参加されました。おもしろくなりそうです。

   *

 あ、谷川俊太郎さんのイベント『かっぱかっぱらったかい』行ってきました。意外な人にも会いました。帰りの電車でマンガについてとか話しました。『封神演義』が読みたくなった、とかそんな話を。……数年前には考えられなかったことだな。不思議だ。
 質問タイムがあったんですが、谷川さんに質問できませんでした。マイクは回ってきたんですが、谷川さんが私に気付かないまま、次のコーナーに進行しちゃいました。もしくは、気付いてたけど「怪しい人だからパス」ってされたのかも。わはは。会場は親子連れや高齢のご婦人が多かったです。ま確かに『若者のリーディングの流れをどう見てるか』『ネットをどう思うか』なんて聞く雰囲気じゃなかったわなあ。
 子供たちの質問は(怖くなるぐらいに)率直でした。「詩を書くのがイヤになったりしませんか」とか。『それを言うか!』と思いましたが『よくぞ聞いた少年!』とも思いました。このへん複雑な気持ちです。

 谷川さんのリーディングは、自然体でした。それは「場数や年季にこなれた結果」というより「谷川さんの風貌や声色がそうした方向性を持っている」からだと感じました。もし谷川さんが西郷隆盛みたいな容姿で竹中直人みたいな声だったら何をやっても不自然に感じたでしょう。谷川さんのあの飄々とした声とルックス(ちょっと違うかな……)だから、何をやっても、誰もが安心して受け止められる。
 テキストも朗読用という訳ではないのに、なぜかしっくりまとまって聞こえる。楽しめる。たぶん、谷川さんという人全体がそういう印象をまとっているんだと思います。自然でラフで、ユーモラスで国民的で壁を感じない。そういうキャラクター。
 いわば「天然」でした。努力して獲得できるものじゃない。『こりゃ勝てんなァ』『天に二物も三物も与えられてるって感じだなァ』と思いました。やっぱすごいわ、あの人。
posted by 若原光彦 at 14:53 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年07月18日

だらだら近況

 久々のBlogです。まずはつらつらっと近況を。

   *

 先日、夜に台所でゴキブリを見つけたのでスプレーの殺虫剤を吹きつけたら、ゴキブリはどこかに逃げ、ガス漏れ警報機が鳴りだしました。
「ピピピピピピピピピピピピ……」
『あわわ、なんてこったい。意外と敏感でやんのな、こいつ。いつもは地味に床に転がってるだけなのに』
 感心しててもしょうがない。慌てて警報機を拾い上げ、床から離しました。すると2秒でぴたっと鳴りやみました。
『この程度で止まるとは……こんな単細胞に台所あずけて大丈夫なんかな、俺』
 科学生活の虚しさを感じた夜でした。

   *

 先ほど、ひとつ発見をしました。……ネコって、涼しいところを発見するのが得意って言われてますよね。ありゃ、ウソです。人間にだって涼しいところと暑いところの差ぐらいわかります。『おっ、トイレの前って意外と涼しいぞ』とか『橋の下もなかなか良い』とか『裸になって食器棚のガラスにもたれると気持ちいい』とか。尻尾なんかなくたって、そのぐらいのことはわかります。
 なのになぜ「ネコ」なのか。人間だってわかるのに。

 答は「ネコは、涼しいところでじっとしていられるから」です。人間は涼しい場所を見つけてもじーっとしてられません。皿を洗わなきゃいけないし、服装も整えなきゃいけない。人間には予定があります。涼しいところを見つけても、見つけたことさえ意識できないで通り過ぎていくのです。

 だからといって『はぁ……ネコっていいなぁ』とは思いませんけど。凡庸ですその発想は。憎んで余りある安易さです。という安易な結論でこの話を閉じる私の愚かさよ。夏が暑いせいです、きっと。みんな。全部。

   *

 最近の活動報告をいたしますと──

・06-08(水):オープンマイク『詩のあるからだ』
・06-15(水):オープンマイク『詩の夕べ』
・06-26(日):オープンマイク『続ぽえ茶』初回
・07-02(土)03(日):トークライブ&オープンマイク&リーディングライブ『ぷれあい』UPJ3名古屋プレイベント
・07-13(水):オープンマイク『詩のあるからだ』

──と、出かけてきました。

『ぷれあい』はスタッフ、『詩のあるからだ』は主催司会としての参加でした。両イベントではいろいろ考えさせられました。後者では散会後に人と話してみて。前者では来てくださったお客さんの様子などから。

『詩のあるからだ』で、ある方が「例えば、若原さんなら若原さんというだけで『その人の世界だ』って尊重できるし、評価されてしまう」といったことをおっしゃっていたのが強く印象的でした。
 同じことは感じていました。オープンマイクの主催者になってから気付いたのですが「私が結果以上に尊敬されている」ような気がするんです。半分ぐらいは自意識過剰というか、気のせいだと思いますけれど。四分の一ぐらいは当たってる気がします。
 いろんな方から良く思っていただけるのは有難いんですが、私みたいなまだ途上の奴を見本だと思ってもらうと……リーディング全体を「こんなもの」かと思われそうで怖い気がします。また、私が自分で自分をチェックする意識も弱まっていきそうで不安です。
 だからと言ってビシバシ厳しくされるのもヤなんですが。そういう立場になりつつあるのかもしれない、まえ以上にヘタが打てないようになってきているのかもしれません。でも教官がいるわけではないし、実戦の場は今のところオープンマイクしかない。

 最近、いろんなことがひと段落して詩作もしてなかったんですが。精進せんとかんのやなぁ……と。

『ぷれあい』、いろんな方のリーディングが二夜で見れておもしろかったです。普段オープンマイクにいらっしゃらない方もいましたし、久々にお会いした方もいました。お客さん同士で「読まないの?」とせっつきあいながら、仲良くシビアに開催されました。みなさん、ありがとうございました。

   *

 知人がスライムの貯金箱をくれました。一時期コンビニで売ってたやつなのかな。いま、PCラックの上に置いています。
 青い。スライム目立って青いです。いっつも笑顔です。口は真っ赤です。鮮やかです。ぽてっとした形状になごむのですが、じわっと冒険心もかきたてられます。……気分がいいです、こいつを見てると。
 いいものもらっちゃったな。実用的な気がします。精神的に。

   *

 あっ。言い忘れてました──

短歌ヴァーサス
http://www.fubaisha.com/tanka-vs/

──という短歌の雑誌があるのですが、このウェブサイトで週一回コラムを担当させて頂いてます。日曜を除く毎朝9時ごろ更新されますので、PCに向かうお仕事の方は15時の休憩にちまっと、そうでない方は夕食後にハハンっと読まれるのがよろしいと思います。
posted by 若原光彦 at 20:00 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年06月21日

飛びます飛びます

 この写真は春先に撮ったものです。適当なカットを探してたら出てきました。雉(キジ)です。昔話『桃太郎』に出てくるあの鳥です(なおこれはオスです。メスはぜんぜん姿が違います)。
 私の近所では、明け方など、田んぼでキジを見かけることがあります。……というこの話を姉妹がすると、彼女らの学友は「どんな田舎なのそれは?!」「クマとかも出るの?!」と本気で驚くそうです。そんな驚くことじゃないと思うんだけど。だって普通にいるもの。そりゃ多少は珍しいですが、まれってほど珍しいわけじゃない。ああ、いるなあ、見たなあ、そのぐらいの珍しさです。
 ちなみにクマは出ません。そんな山奥じゃないですってば。これだから都会育ちは困る。田舎は異郷ちゃいまっせ、水道も電気も国道もスーパーもありまっせ。なぜかカシオの直営店とかシネコンとか『ヴィレッジバンガード』とかもあります。……どんな田舎だ。

   *

 まあ唐突にぶっちゃけるような事でもないんですが。今日、わきの下の毛を剃りました。剃ってからしばらく両わきがチクチクしてたんですが──それは予想の範囲内だったんですが──なぜか右のわきの下だけそのチクチクが収まってません。右側は心臓から遠いからでしょうか。私が右利きだからでしょうか。それとも右のわきだけ何かが違うのでしょうか。毛のはえ方とか。単に、私の剃り方とか。
 ……この中に正解はあるんでしょうか。人生には謎がつきものです。定食にはナスが漬け物です。ビデオテープには貞子が憑き物です。おお、怖い。

 どうでもいいんですが、ペンションのビデオデッキが『ベータ』だったら貞子ウィルスは蔓延しなかったんでしょうね。って『リング』を知らない人にはわけわからない話ですね。いや……しかしそう考えると、ソニーの功績は偉大だなあ、なんて。よくわかりませんけど。テレビドラマの『リング』ではCD-Rにも憑依してましたし。ってそういう問題でもないのか。何が問題なのだ。言うてみよ大臣。怒らんから。ヒゲに誓う。

   *

 さておき。舞台は2005年です。

 ここ数日、妙に詩が書けています。ふと出だしの一行だけ思いつき、ぽろっと書き出してみると、それがことごとくいい作品になる。なんにも全体像とか見えてないのに、書きながらどんどん展開が浮かび、ごく自然で後味のいいオチがつく。どうしたんだろう。
 たまにあるんですよね、こういう時が。『(無題)』や『ジャックインジャック』を書いた時がそうでした。何かが降りてきてるとかそういうんじゃなくて……私はつい理論で組んでしまうから。その理論・理屈が、いい感じに働かなくなってるんだと思います。だから「感覚5:理論1:発想4」ぐらいでふぁっと自然なものが書けているのかも。
 ま、自分で「書けてる」なんて言うのもどうかしてますけど。……自分で頭つかって書いた気がしないからかな、そんな事が言えるのは。

   *

 夏が来ました。夏に来るものと言えば、蚊です。蚊が来ました。映画『宇宙戦争』なんて目じゃありません。日本を無数の蚊が来襲しようとしています。先行公開で我が家にはもう来襲してきています。……けえってくれ! 頼むからけえってくれ!
 羽音がすると眠れないので、数年前に買ってほったらかしていた耳栓を出しました。って何だこの「夏ぶとんを出しました」みたいなノリは。事態はもっと深刻であるぞ。

 耳栓をして寝てると、自分の心拍や息が妙に怪物的に聞こえます。それが逆に睡眠を妨げたりもするんですが、ちょっと面白いです。口を閉じたままで「がっきゅうぶんこ」と言ったりして遊びました。変な感じです。もともとが変だと言えばその通りです。何もかもが変です。ぼく・ぼく・わらっちゃいます。

 ……。いったい私は何歳なんでしょう。自分で自分が信じられません。

   *

 ああ、どうして、普通に近況を書こうとしたのに。どうして超駄文に走ってしまうんだろう……。

 上記の「妙に詩が書ける状態」ともつながるのですけれど。
 詩を書いていて、よく「書き足したフレーズや展開から、新たなアイデアや小ネタが浮かぶ」ことがあります。「ここでも遊べる」「ここにはこれが足せる」「こんなオチもアリだ」「こんな語調にしても面白い」「こんなバージョンもありうる」など。当初はそんなものを入れるつもりはなかったのに、題材や単語やフレーズが勝手にアイデアや可能性を提示してきて作業量がどんどん増大していく。
 ……根が貧乏性なので。『そんなモン要らん』とは言い切れず、とりあえず見えたものは書いてみる、ということがよくあります(もちろん書いてみて『やっぱアカン』と思えばそれはボツにしますけど)。
 超駄文が書ける私の思考というのは……それと良く似てる気がします。横道が見えるととりあえず踏み込んでマッピングしてしまう。ひとと話す時や『詩のあるからだ』のMCなどではこの「寄り道好き・脱線したがり」は意識的にひかえてますが、もしかしたら本当は話がめちゃくちゃ飛ぶ人なのかもしれません。迷惑な……。
 ……。「飛ぶ人」ではなく「飛べる人」と言うと急に豊かに思えるから不思議です。

 余談ですが、上記のように「書きながら可能性が見え、それを辿れば完成形が見える」場合は少数です。書きながらどんどん迷路にはまっていく場合や、書いても書いても手がかりが見えてこない場合、手がかりだけ見えてて実際の部品が思い浮かばない場合などが大多数です(感覚的でわかりづらい話だとは思いますが……)。気持ちがニュートラルでない場合や直感が働かない場合は、たいてい理論で掘り進んでウダウダしています。
 そう思うと……ここ数日の調子というのは、やはりとても幸福なことなのかもしれません。こうしたモードが意識的に出せるようになれば無敵なんだけどなあ。
posted by 若原光彦 at 21:53 | Comment(10) | TrackBack(0) | 近況

2005年06月12日

歩くのが趣味の人リターンズ

 以前(2004-12-29)自分を『地下鉄の乗換えが趣味の人みたいだった』と書いたことがありましたが。ここ一週間は『歩くのが趣味の人』みたいでした。歩いた、ひたすら歩きました──

●5日(土):東京北区王子『血の朗読』へ。
●6日(日):東京より帰還。の前に、国会議事堂を一周と上野公園を散策。
●8日(水):名古屋八事『詩のあるからだ』……の前に、栄・矢場町などの各スポットにフライヤー配布。
●10日(金):名古屋市内(西は「中村公園」から東は「上社」まで)各スポットへフライヤー配布。

──愕然としています。あれだけの歩行が「散策」「フライヤー配布」という微かな言葉に集約されてしまうなんて。永田町の国会議事堂を一周してごらんなさい。たぶんあれだけでも3キロぐらいありますよ。おまけに東京の地下鉄の乗り換えの凄まじいことといったら……名古屋なんて比べ物にならない。なんだあの「エスカレーターに乗らなかった人が地獄を見る」構造は。エスカレーターに乗っても「コケたら死ぬ」状況は。古い建築物の隙間に新しい建築物を混ぜ込んできた結果なんでしょうが、有機的にも程がある。近未来都市・首都東京のイメージは完全にぶっ壊れました。混沌の極致です。人の住むところじゃない。下半身がムキムキになってしまう。

 余談ですが。わざわざ国会を見学に行ったのですが──

・平日なら衆議院は見学できる。
・今日(6日・日曜日)は参議院が見学できるが、議員の許可が要る。

──とのことで入れませんでした。国会議員の友人なんておりゃしませんてあーた。まあ下調べせずに行った自分が悪いんですけど。しょうがないから国会図書館で奇書でも漁って帰ろう、と思ったら日曜は休館日でした。下調べせずに行った自分が悪いんですけど!『何だ? これが伝説の「お役所仕事」か?』と事態を大げさに捉えてみましたが無意味でした。
 門の「休館日」という札の向こう側に猫がいました。しばらく私が茫然自失していると、猫はゴロンと横になって眠り始めました。猫……あんたはいいねえ……。しょうがないので地下鉄の駅に戻ろうと歩き出すと、国会図書館の植え込みに「猫害が出て困っています。猫に餌をあげないで下さい」という張り紙がありました。変なところだ、と思いました。休日で不気味なぐらい無人だし、そのくせ防弾ヂョッキの警官があちこちに立ってるし。警察の護送バンはあちこちに停まってるし。日本じゃないみたいでした。本当に変なところだ。どこなんだここは。

 そうして国会周辺で時間を食ったあと『秋葉原とか新宿とか渋谷とか行ってもしょうがないし……浅草で外国人向けの変なみやげ物でも笑うかなあ。そうだ、9月に行くであろう上野公園に行ってみよ』ということで上野へ向かいました。
 上野公園は賑やかでした。デニムのミニスカートの女の子がきょろきょろしながらあちこち撮影して回ってました。かわいいかったので声かけようかとも思ったんですが、やはり思っただけでした。西郷隆盛の銅像は「実物大じゃなかった」です。「大魔神の中の人」みたいでした(見たことないけど)。あんな人間がいたら怖いです、どんなスポーツでも1位になれます。歩くたびに地鳴りがします。犬がかわいそうです(犬は実物大に見えました)。

 ……。地元なら数キロぐらい平気で自転車で動き回るんですが。都会で徒歩というのはくたくたに疲れますね。特に、繁華街は曇りだと方角がわからなくなる。しかも(名古屋はそれほどではないんですが)東京はどこもかしこもが繁華街でしたから(と私には見えました)。「家にベランダの付いてるほうが南」とか通用しない。コンクリートジャングルとはよく言ったもんです東京砂漠。

   *

 名古屋フライヤー行脚(あんぎゃ)は……チラシが重くて、紙袋は持ち手の紐がちぎれて、これまた災難でした。まあこの程度の災難ならいくら来たって負けませんけど。重いリュックを地下鉄の網棚へ片手で放り投げるたびに、乗客全員が心配そうな顔をしてましたね。席に座っていて私のリュックが頭上に来た人が特に。そんなに怪しいか、私。
 劇場や専門学校、書店などへ行きましたが、私が『チラシを置かせて頂けないでしょうか』とたずねると、みなさんこころよく対応して下さいました。礼を述べるとほぼ必ず「お疲れ様です」と言われました。確かに疲れてるけど、なんか妙な挨拶だな、と少し思いました。そんなに疲れた風貌してたんだろうか。……軽く頭を下げて出て行き、ちらっと振り返るとほとんどの方がしげしげとチラシの表裏を「読ん」でいました。そういう作りのチラシでしたから。興味持ってもらえてるようで、ちょっと嬉しかったです。

 余談につぐ余談ですが(略して余余談とでも)。
 8日の帰り、地元の駅で電車から降りてホームから地上へと駅の階段を下りていたところ、私の並んだ列だけ進みが遅くて苛立ちました。先頭の男性がトボトボとやけにアンニュイな歩き方をしていたのが原因です。『俺等にあんたのアンニュイのとばっちりを食らわすなーっ!!!』と後頭部に真空飛びヒザ蹴りでも見舞ってやりたかったです。
 10日の帰りも同様のことが起こりました、列の進みが私の前だけ遅い。またかと思ってひょいと見ると、先頭が足の不自由なご老人で、手すりにつかまりながら階段を一段ずつ降りておられたためでした。『そうか……あのアンニュイな男性も、好んでアンニュイな歩みをしていた訳ではなかったのかもしれない。みんな辛いんだ』。蹴らなくて正解だった、と自分の浅はかさを思い知った次第です。疲れてるからって人を悪く見ちゃあいけない。

   *

 どうでもいいんですが、エスカレーターでコケると「頭から血を流しながらもそのままエスカレーターに運ばれる」ことになったわけですね。ちょっとそれも面白かったかもしれません。……いや。面白くない。断じて面白くなどない。
posted by 若原光彦 at 10:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況

2005年05月30日

ぼけ〜っとしてきました

 きのう29日(日)は知立(ちりゅう)に行ってきました。『公園の中心で愛を叫ぶ』という名のイベントで、図書館・歴史資料館の前にある「新地公園」にて詩をよみました。野外はやっぱり難しいです。声量も迫力も分散してしまう。

 詩の朗読だけじゃなくて、ディジリドゥを聞いたり、体験したり、人のお話を聞いたり、ジャンベを聞いたり、ビニールシートの上でお昼を食べたり、ぼけ〜っとしたり、ぼけ〜っとしたり、煙草を吸ったり、散歩したりしました。天気予報だと「午後に一時強い雨」とのことだったのですが、一日ずっと日差しは強かったです。多少の風はあれど、ほとんど夏でした。

「袖なしTシャツ<長袖Tシャツ<トレーナー<薄手の上着」という服装をしていたら「暑そう」「なんでそんなに着てるの」と言われました。……私はいつも厚着ぎみなんですよ、寒いの苦手だから。にしても暑かったですね。会場についてすぐ、袖なしTシャツ以外は脱ぎました。それでも少し汗をかきました。

 知立では公園以外にも面白い場所へ寄ったんですけど。それはまたの機会に。

 ……。すごく気ままな、マイペースなイベントでした。なんていうのかな、かつてないほど「ぼ〜〜〜〜〜〜っ」とした一日でした。
 公園では、女子中学生がやあやあ言いながら群れてました。保育園ぐらいの子供が素っ裸になって水路に草履を浮かべて遊んでたりもしました。ふと思って『若いなあ』と呟いてみたところ、案の定「君だって若いやん。あ、そうでもないか」と言われました。なんだか落ち着きました。ひとが期待通りの反応をしてくれるのって、嬉しいものです。ほんのりと。

   *

 帰り、名古屋で名鉄から降りて、ちょっと歩いて地下街の本屋に入りました。宮沢章夫の『サーチエンジン・システムクラッシュ』とロバート・フルガムの『人生に必要な知恵はすべて幼稚園の砂場で学んだ』を見つけたので買いました。

 レジで本を出すと、店員さんから「手提げ袋はご利用になりますか?」と聞かれました。うん(手提げ袋じゃないけど)リュックを使用してるよ、ビニール袋は要らないよ、と私は『はい』と答えました。
 ……と。本がビニール袋に入れられ、渡されました。
『手提げ袋ってこのビニール袋のことかい! まぎらわしーんじゃ聞き方が!』と店員さんにくってかかろうかと思いましたが、疲れてたのでやめました。怒るほどのことじゃあない。うん。

 ただ、言語集積物の流通末端である大型書店で正々堂々とまぎらわしい言葉を言われるとは。なんだか自分だけが規格外みたいな、世の中に取り残されてるような気がしました。書店から出ると、駅へ続く道は人・人・人・人だらけ。前を歩く人が引いていた旅行鞄に蹴つまづきそうになり、追い越してから『いっそ蹴つまづいてやればよかったか』なんてよぎったりもして、ちょっと泣きたくなりました。キメラのつばさがあればすぐに使ってました。

   *

 四月・五月と(時間的な忙しさはそれほどじゃなかったんですが)心理的なプレッシャーが大きかったから。一日ぼけ〜っとした反動が、帰路で出たのかもしれません。
 そういえば3〜4日前。妙に心がそわそわして、何を読んでもどんなTV番組を見てもすごく共感してしまった日がありました。……心の揺れ幅が大きくなってたのかな。よくわからないな。
posted by 若原光彦 at 18:53 | Comment(1) | TrackBack(0) | 近況

2005年05月15日

最近見た夢

 あと十数分したら出かけます。今日は愛知県刈谷市で『愛知詩人会議朗読会』が開催されるんです。……出かける前にもうちょっと近況を書いておこうかな。

   *

 数日前、夢を見ました。筋をほとんど忘れてしまったのですが、たしか何かの番組でどこかへロードレースをしているという状況でした。驚いたのは、私が私(若原光彦)として登場してるんじゃなくて、(輪島功一だかガッツ石松だったか……)別の他人だったことです。自分が不自然なく他人の五感や思考をしている。そんな夢を見たのは初めてだったので驚きました(もちろん驚いたのは目覚めてからです。夢の中ではまるっきりその人でしたから)。舞台はアメリカっぽい感じで、砂漠が多かった気がします。

 細部ももうあまり憶えていないのですが、たしかどこかの小屋に入って誰か女優に出会い、その人も車に乗せてまたゴールへ走っていったシーンがあったような。……いかにも夢らしい夢でした、私はあんまり非現実的な夢って見ないんですけど。

   *

 数週間前は、夢の中で何かを掴もうとしてガッと手を伸ばし、その勢いで目が覚めるという経験もしました。目覚めると自分の手が布団から出て、高く伸びていました。これも珍しいことです、夢で目覚めるなんてそんなこと一度もなかった。
 しかも、そのとき伸ばしていた手は(自分の利き腕の右手ではなく)左手でした。目覚めた直後、何か暗かったことと必死だったことだけは憶えていましたがどんな夢を見たのかはさっぱり思い出せませんでした。青白くて華奢な、ロングヘアーの女性が出てきたような気もしますが、これは目覚めた直後につじつまあわせで作った部分かもしれません。わからない。

 ひっぱり上げようとして手を伸ばしていたのか。助けてもらおうとして手を伸ばしていたのか。それとももっと別の状況だったのか。あれは何だったんだろう……なにって、そりゃ、夢なんですが。
posted by 若原光彦 at 08:17 | Comment(0) | TrackBack(0) | 近況