2005年12月17日

最近読んだ本

 さて、ここ最近……といっても、9月以降だと思うんですけど。読んだ本をまとめておきます。順不同です。読後直後のメモなども混ざっているので、今現在からすると『そうか、この時こんな風に思ってたか』なんて箇所もあります。

   *

『文学名言集(日本編)』
著者:古谷綱武(ふるやつなたけ)
発行:株式会社ポプラ社
レーベル:世界名言集
昭和42年11月30日
*知人の家から貰ってきた。なぜこれが彼の家にあったのかは不明。
*日本の文豪たちの、名言を集め解説を加えている。名言の数は多くないが、人物の数はは多い。「田宮虎彦」までなら『名前だけ知ってる』と言えても「和田伝」「水上滝太郎」「広津和郎」となると聞いたことも無い。私が浅学なだけかもしれない。
*正直、本の詳細はあまり頭には残っていない。文豪たち数十人を一気にハシゴすると……かえって一人一人の印象が残らないみたいだ。
*この本、中学生を対象に企画されたものらしく、文章が軽快で、写真も多い。文豪一人一人に、ちゃんと顔写真が掲載されている。まあ、文豪のつら構えを見たからといってどうなるものでもないが、そこはかとなく、ありがたみがある本だとは思う。

『それも気のせいでありますように』
著者:岩城伸子(いわきのぶこ)
発行:フーコー
発売:星雲社
2002年3月25日 初版第1刷発行
*たしか名古屋のどこかのブックオフで手に入れたのだと思う。わからない。
*歌集。凄まじくきれいな本。自分が詩集を作るならこんな風にしてほしい、と思ってしまった。フォントが灰色で淡い。ページの表裏が繋がっていたり、謎の切り取り線が走っていたり、とても贅沢で不思議な作りがされている。だが、それが内証的な短歌にとてもよく合っている。きれいな本だ……。
*短歌自体は、教訓的というか……カレンダーに毛筆したら売れそうな気もする作風。「恐ろしく自信が無いのに希望など捨てた試しが無いのも事実」「ちっぽけな悩みと笑えた自分自身ちっぽけだとは笑えなかった」「あの時の精一杯は現在の私の限界ではありません」「結論は出てるのでした 習い事サボったあの日の笑顔みたいに」「目の前に海があったし二人とも裸足だったから夏だったんだ」など。スッと入り込んでサクッと切られる。痛いけど気持ちいい。さわやかに憎い。冷たくて気持ちいい。……好きだな、こういう温度。切なくなるけど、優しくもなれる。読んでいて気が静まる。好きだな。きれいな本だ。いいな……。

『ブルース』
原題:C'est beau une ville nuit
著者:リシャール・ボーランジェ(Richard Bohringer)
訳者:鳥取絹子(とっとりきぬこ)
監訳:村上龍(むらかみりゅう)
発行:株式会社幻冬舎
レーベル:幻冬舎文庫
平成9年4月25日 初版発行
*千種の(『神無月書店』だったかな? そんな名前の)古本屋さんで購入。
*著者はフランスの役者さんらしい。本書は、本国ではベストセラーだったそうだ。散文と詩文が混じる独特の小説。「僕は人生にサインした」「人生よ、僕にいっぱい時間を残してくれ」といったフレーズが光る。……しかし、小説としてはかなり個人的で独白的で読みづらい。展開らしい展開もない。共感したり何かを学んだりは期待できない。波長が合わなければ辛い読書になるだろう、かなり個性的な本。
*村上龍の役割は不明。原文からしてそうなのかもしれないが、全体的にリズムが悪い。読みにくく、イメージしにくい表現が多かった。
*巻末の、訳者による「解説」のミーハーな文章に萎えた。本編の重苦しいハードな雰囲気をぶち壊しにしている。どうにも……そういう本だと観念するしかなかった。よさげな予感がしたのだが、まんまと背表紙の「村上龍」という文字に騙されたと言えるのかも知れない。

『詩集 海景』
著者:桜井節
発行:捩子文学会
昭和34年8月10日(三〇〇部限定)
*これも千種の古本屋さんで購入。
*どうしてこの本を選んだのかよくおぼえていない。とにかく、1990年以後とは違う、メジャーでもない人の詩が読みたかったのだと思う。
*タイトル通り、約半数の作品は海の風景。しかし、何かが起こるドラマチックな海ではない。「どんなにゆすってみても/動かすことができない/舟影も見えず/うねりもない」のどかな海だったり、「波は言葉を持たないので/砂浜に幾重にも/のらり、くらり/ながいながい曲線を描いた」というたっぷりした海だったりする。平和で、どーんと広がっている海。ドラマチックな展開は無い。型にはまった感傷も似合わない。ただの海を、誇張せず持ち上げずにまろやかに書いている、と思った。
*ドラマチックじゃないから、刺激が少なくてつまらないと言えばそうなのかもしれない。だがこれはこれで、目立たないけれど芯の通った詩作だと思った。

『ボブ・グリーン 街角の詩(うた)』
原題:Johnny Deadline, Reporter
著者:ボブ・グリーン(Bob Greene)
訳者:香山千加子(こうやまちかこ)
発行:株式会社新潮社
レーベル:新潮文庫
平成4年3月25日 発行
*名古屋熱田の古本屋で買った。50円。
*著者はアメリカの名コラムニストらしい。ふざけた話、さわやかな話、切ない話、いろいろ載っているが、どれもとても上質。著者自身の影をおさえひかえて、出来事のみを淡々と記すスタイル。これは嫌味が無くていいな(形だけなら真似られるが、やはり題材が悪いとこう上手くはかけないものらしい、コラムって)。
*なお、著者自身を黒子として記述する彼のスタイルは、臆病・卑怯として非難もされているらしい。確かに毒舌は吐かないし、危険の中に突入していくみたいなエピソードも無い。単に、国のあちこちの逸話を読ませてくれるだけ。……そこがいいと思うんだけどな。
*にしても、どうやったらこれだけ良質なネタばかり集められるのだろう。とはいえ、彼はラストで「ネタ探しとして走り回り、人と話し、過ごし、暮らす」ブンヤの生活の異常さに心痛めてもいる。「クレバー」かつ「そこそこ普通」の人だから、こうしたものが書けるんだろうか。うーむ……。

『十七歳 1964秋』
原題:Be True to Your School
著者:ボブ・グリーン(Bob Greene)
訳者:井上一馬(いのうえかずま)
発行:株式会社文藝春秋
レーベル:文春文庫
1994年9月10日 第1刷
*名古屋熱田の古本屋で買った。50円。
*同じくボブ・グリーン。著者の17歳の頃の日記をもとに、日記形式でつづった小説。恋人に振られたとか、人妻に恋したとか、ラム酒の飲み方がわからんとか、目ざとい校長がいて学校にブーツを履いて行けないとか……非常に、とても、「なんてこたぁない話」が延々と続く。
*最初はひどくつまらなかった。あの鮮やかなコラムを書いてた人と同じ人の著作とは到底思えなかった。が、だんだん「なんてことなさ」が面白くなってきた。主人公の恋の波乱も大きくなり、心理的振幅も増してきた。……けっこう地味な本だと思う。悪い本ではないけれど、強く何かを感じるわけでも、強く馴染むわけでもなかった。私とは距離感の遠い本だった。そりゃ生まれた時代も国も違うんだから当然なのかもしれないけれど。
*なお、前編となる『十七歳 1964春』もあるらしい。私はこの『秋』しか持っていない。

『時の果てのフェブラリー─赤方偏移世界─』
著者:山本弘(やまもとひろし)
発行:株式会社徳間書店
レーベル:徳間デュアル文庫
2001年1月31日 初刷
*SF小説。数年前に買って、積んでた。ヒロイックなものが読みたくてひっぱり出した。
*角川スニーカー文庫版との違いはほとんどわからなかった。
*地球に出現した重力異常に、人並み外れた洞察力と直感力を持つ少女「フェブラリー」が挑む。父親との関係、軍人の思惑と正義、重力異常下の生存者など、精神ドラマとサバイバルで救いのない一面とが混じる。
*主人公フェブラリーがあまりに良い子なので、つい感情移入が激しかったかも。めまぐるしく展開するような話ではないんだが、着実に1シーン1シーンでハラハラさせられる。読んだ甲斐があったと思えた。

『オトナ語の謎。』
監修:糸井重里(いといしげさと)
発行:株式会社東京糸井重里事務所ほぼ日刊イトイ新聞
レーベル:ほぼ日ブックス
2003年12月5日 初版発行
2004年2月5日 四版発行
*どっかの古本屋で発見、購入。
*「幸甚」「あとかぶ・まえかぶ」など、オフィスで交わされる独特の言葉を集め紹介(しつつ、こきおろしつつ、大人のタイヘンさをしみじみと記)した本。
*下手な「Eメール入門」よりよっぽど実用的で役に立つ。文庫版も出てるらしい。おすすめ。メールを打つ時のボキャブラリーが格段にアップする。現代人必須……とまでは言わないが、一度読んでみても損はないと思う。

『新ゲームデザイン TVゲーム制作のための発想法』
著者:田尻智(たじりさとし)
発行:株式会社エニックス
1996年1月1日 初版第1刷発行
*あっ。お正月だ。
*大昔に自分で買った本。『詩のあるからだ』のスラム原稿をゲームの世界から選びたいな……と思い、引っ張り出してきた。
*中身がまったく古びていないことに驚く。古びている点があるとすれば、次世代機に対する懸念的な見解ぐらいだろう。十年前にはここまでポリゴンが氾濫するとは思ってなかったよな、誰も。ましてやPSPみたいな携帯ゲーム機が出るなんてなあ。
*詳しくない方のために言っておくと、著者の田尻さんは『ポケモン』のゲームデザイナー。ゲーム同人誌発行からゲームライターになり制作者になった、生きる伝説の人。

『自然の詩』
編者:舟崎克彦(ふなざきよしひこ)
発行:株式会社筑摩書房
レーベル:詩のおくりもの
1981年8月25日 第1刷発行
*古本屋で入手。図書館で読めそうな気もするけど、あったので、なんとなく手に取った。
*自然にまつわる詩を集め、解説を添えたアンソロジー。自然、と言っても花鳥風月がメインじゃない。馬だったり、糞だったり、山だったり、ストロベリーフィールドだったり……。華がないとも言えるし、テーマとは無関係に単純に各作品が面白い、とも言える。中高生には……どうなんだろう。アンソロジーとしてはちょっとボリューム少なめ。

『詩なんか知らないけど』
著者:糸井重里(いといしげさと)
編者:水内喜久雄(みずうちきくお)
発行:大日本図書株式会社
レーベル:詩を読もう!
2000年2月29日 第1刷発行
*あっ。2月29日だ。って、単に月末発行にしたらそうなっただけかな。
*ライトで読みやすく、ちょっと不思議な詩集。各詩作品にひとつずつ解説が載っている。曲のための歌詞や、曲の歌詞になった詩なども掲載されている。
*見た目より薄く、作品数も少なく感じた。読後は『もっと読みたい!』と残念に思ったが、古本屋で100円で買った奴が言うことではない。

『真実の言葉はいつも短い』
著者:鴻上尚史(こうがみしょうじ)
発行:株式会社光文社
レーベル:知恵の森文庫
2004年9月15日 初版第1刷発行
*『UPJ3』に出向く直前に、名古屋駅ビル内の本屋で衝動買いした。読んでいる者の胸を打つ、良い本。熱く、切なく、痛々しく、頼もしく、取り返しがつかない。鴻上さん自身がそういう生き方をしてきた、あるいは、演劇自体がそういう道なのだろう。
*名言至言と呼べるようなフレーズがそこここにある。役者やバンド、もちろんリーディングも……なにかのステージ表現をしている人は読んでみるといいと思う。真剣な人の真剣な言葉を読むと、パワーが湧く。自分の感覚が鋭くなる。
*内容自体は、統一感がなくどっちゃらけた様子だが、それが逆に良かった。演技論もすれば戯曲作成ガイドもすれば、時事ネタも出せば、ネットについて触れたりもする。普通にエッセイとして楽しめる。……ただし、あなたが何かの創作・表現をしているなら、一字一句が自分のこととしてギュウギュウ食い込んでくると思う。

『詩誌さちや 130号』
発行:さちやの会
2005年9月20日 発行
*ある方より頂きました。
*下呂〜可児〜岐阜〜愛知に会員がいるサークルの詩誌。
*篠田康彦さん『褐色の夏』が良かった。出だしはなんだかのどかな感じがして、そのまま身を委ねて読み進んだら、中盤で血の気がひいた。全体のみずみずしさと、淡々とした終わり方と。内容と空気と見えるものとがやけに鮮明でドラマチックだった。すごい。

『沃野 483号』
発行:愛知詩人会議
2007年10月1日 発行
*おや? 未来の本だ。なんか得した気分。
*ある方より頂きました。
*ある詩集の評が二名から寄せられていた。重く、考えさせられる内容だった。
*佐相憲一さんの公演、その要約が載っていた。非常に“詩”を信じている、愛している人なのだと感じた。その信念は美しく頼もしいが、信念を持てないでいる多くの作者には鬱陶しさを感じさせるかもしれない。だからどうだということはないんだが……。
*「“作者性・個性”と“普遍性・一般性”のバランス」について思った。どちらが大事とは言えないが……。

『沃野 484号』
発行:愛知詩人会議
2005年11月1日 発行
*ある方より頂きました。
*江川直美さんの詩『実在または奴隷、隷属』が気になる。詩というより宣言のような7行なのだが、これは一体なんだろう。なんでこう、読むと胸にカッと湧くものがあるんだろう。そもそもこれは何を描いた詩なんだろう。気になる。
*長谷川節子さんの『ぞっとする話』が凄まじい。枕元に来るムカデを叩き潰さんとする情景。全編にホラー映画ばりの「何かが置きそうな空気」が流れている。10-22(土)の『Bird-水尾佳樹-はんせいき』で朗読をお聞きしたが、テキストで読んでもやっぱり面白い。すごい。

『ガニメデ 34号』
発行:銅林社
*ある方から頂きました。
*表紙をめくると「今、大移動する言語。その履歴(ヒステレシス)を問う、詩歌文藝誌。」とあった。その意味はわからないが、とりあえずまじめな本ではあると思う。読みごたえは強い。みっちりしたパンを噛み続けてアゴが筋肉痛になりそうな、たっぷりお腹が膨れるような。デザインは、余白が多く文字が鮮明、緊張感があって美しい。
*詩や論評のほか、短歌が多く載っていたのが意外だった。載っている作品は、本の外観ほどコワモテではなかった。ただ、やはり全ての詩でイメージが結んだかというとそうでもなかった。やっぱり難しかったのかな。読みづらい感じはなかったのだけれど。
*倉持三郎という方の詩が気になった。生活観があるような、生活の歪みを描いているような、生活の隅の奇跡を描いているような、何かをガリガリ削っているような……それらの感じが同時にする。膝を打つような面白さがあるわけじゃなくて、なんかこう……読んでいるとじわじわと引き込まれていく感じ。

『短歌レトリック入門──修辞の旅人──』
著者:加藤治郎(かとうじろう)
発行:風媒社
2005年9月25日 第1刷発行
*あるところから頂きました。
*著者は歌人。本書は雑誌などでの連載をまとめ加筆修正したものらしい。
*短歌という表現で用いられる修辞的な技法について、現代短歌の実例を挙げながら解説している。短歌独特な……例えば「本歌取り」なんて項もあるが、多くの項目は詩にもあてはまる。書名にに「短歌」とあるが、単に「レトリック入門」として読んでよい。おすすめ。
*作文的な詩・短歌しか書けない、好きじゃない人はぜひ読んでみるといいと思う。もちろん読んだだけで技術が身に着くなんてことはないけれど、関節の外し方やイメージの紡ぎ方など多くの発見が得られると思う。
*文章は難しくなく、多少くだけている。しかしそのぶん波長が合わないと読み辛いかもしれない。でも『普段はもっと硬い文章をバシバシと書いている人なのでは』と感じた。実例に挙げた歌の解説では、語彙ゆたかに実感を込めて歌の説明をしている。例えば(203〜204ページ)──

 さて、みなさん……教卓に黒き鞄あけうさぎを掴む午睡の夢に 上村典子『草上のカヌー』

 静謐な作品です。午睡の夢というのは、先生の休日の一こまを思わせます。「さて、みなさん…」といつものように授業を始めようとしますが、それ以上現実の場面を再現することはできません。黒い鞄を開けてうさぎを掴みます。鞄の黒さとうさぎの白さが印象的です。
 夢の中でこういうふうに出てくると、それは何の象徴だろうかと想像したくなります。不思議の国へ誘ううさぎは、おとぎばなしの始まりのようでもあります。あるいは、うさぎという弱い存在を掴み出すことで、現実の学校の厳しい場面を暗示しているのでしょうか。いずれにしろ、鞄のうさぎを異物とは思っていません。そのまま静かに受け入れているところに、この夢によってどこか癒されている作者の心が伺えるのです。


──「さて、みなさん…」の歌を詠んで『ああ、なんかいいな』くらいは思えても、色の対比から癒しまで読み解くなんて私にはできない。下手な作品解説は読者の解釈を狭めるだけに終わることがあるが、この著者はそんなことはしていない。素読だと気付かない点をわかりやすく分解し読者の認識を広げてくれている。『やっぱりどの世界にもすごい人はいるんだな、本当の批評家ってこういう人なんだろうな』と感服した。

『丸山進句集 アルバトロス』
著者:丸山進(まるやますすむ)
発行:風媒社
2005年9月15日 第1刷発行
*あるところから頂きました。
*俳句ではない。川柳。著者は1943年生まれで、句作は1996年から。
*「耐えているベルトの穴は楕円形」「目の前を全裸の犬が走りぬけ」「おまえもかできちゃったのか雪だるま」「海峡を行ったり来たり八代亜紀」などに爆笑した。「有料になってしまった吹き出物」「お近づきに遺伝子一つ差し上げる」「つまらないものを分母に持ってくる」「爪らしい出番なかった爪を切る」などの笑えるような笑えないシーンもあり。「古墳からルーズソックスらしきもの」「玄関を開けたら一本背負いかな」「腹いせに寝ている亀を裏返す」「恥ずかしいところが急に光り出す」といった、訳わからんものにも口元が歪んでしまう。「もう一度白い粉からやり直す」「信号は紫なので泣きましょう」」「電柱は精神力で立っている」「飛び降りるところが今日も混んでいる「おふくろの味にレタスはなかったな」など、ドキッとするひとこともある。
*つまり、ホンワカしてニヤッとしてドキッとしてシューンともして『やられた!』とも『よくぞ言った!』とも『何やっとるんだアンタぁ?!』と著者に突っ込みたくもなる……「クール」な本。どこを取っても面白い。そして面白いだけではなく、ふざけ具合や素材の現実味に大人の節度も感じる。平然とウィットに溢れた、真面目でおかしい、よい本だと思う。川柳って図書館などでは詩歌のコーナーに置かれてしまうのだろうけど、これは一般書に置かないともったいないなあ。
*時代ごとに作品が並べられているのだが、微妙に、時代ごとの差を感じだ。初めの方(中年期。川柳創作開始の数年間)は、サラリーマン時代だからか、なんとなくシニカルな句が多いように思う。それが後年に進むにつれて、訳わからんシュールなものや脱力させられるようなもの、ホッとするものなどが混じってくる。年を経るごとに落ち着いていったようにも感じる。私の考えすぎかもしれないが……この人は川柳をとても楽しんで歩んできたのだな、という筋道を感じて、ちょっと嬉しくなった。もちろん実作はいつも苦心されたのだろうけれど。全編に創作が人生と平行して流れている雰囲気がして、なんだかとても安心した。
*川柳作家や歌人からの解説が3品ついているのだが、これがまた良い。「どうしてこの人の川柳に嫌味を感じず、純情さや上品さを感じるのか」、ときほぐして説明してくれている。実作者なら納得するところも多いと思う。私は反省するところが多かった。
*でも、言葉で難しく説明してもあまり意味がない本かもしれない。理屈ぬきで、実際に読んで楽しむとよいと思う。気分転換に旅のお供に。……電車内で読む時は気をつけましょう、笑ったり顔をしかめたり、変な人になるから。幸せそうでいいけど(笑)。

『不在』
著者:宮沢章夫(みやざわあきお)
発行:株式会社文藝春秋
2005年1月15日 第1刷発行
*図書館で借りて読んだ。作者は脱力・ユーモア・破天荒なエッセイも書く劇作家・演出家。この人のエッセイが私はとても好き。
*この人の小説『サーチエンジン・システムクラッシュ』も過去に読んだが、そちらはエッセイとはまるで違い、淡々と暗い、現実と微妙にズレた世界の物語だった。さまよわされる感じが面白かったが、エッセイとのギャップには多少驚かされた。
*いずれにしても好きな作家さんなので、本書を見つけた時は喜んで借りた。……が、これは不味かった。読み進めるのがこれほど苦痛な本も久しぶりだった。
*登場人物が無意味に多い。「不在」である或る男が話の鍵で、何人かの登場人物が彼を探すのだが結局ラストでも男は不在のまま、うやむやに終わる。すっきりしない。登場人物が途中でバタバタ死ぬため「謎は解けなくても人生は続く」といった感慨もなかった。作者の強引な都合を見取ってしまい嫌気がした。しかし手抜きされているようには感じない。だがバキバキの不条理小説かと言うとそうでもない。何らかの意図があって作られた小説なのだとは思うが、狙いがさっぱり読めない。すっきりしない。
*ところどころに、異常な長文が出現していた。実際に見てもらうとわかる(141〜142ページ)──

幸いだったのはスナック銀世界が、ほかの住居と離れた田のなかにぽつんと存在していたからだと誰もが思ったのは、爆発音があって一分も経たぬうちにスナック銀世界の全体に火は廻っており、その炎が黒い空に高く上がっていたからだが、もし民家に隣接していたなら延焼はまぬがれずもっと大きな被害になっていたと思ったのはさらに数日が過ぎてからにほかならず、むしろ、はじめて見るその光景には火の力の激しさや発する熱の強さ、あるいは燃えるその色のまぶしさにただ畏怖を感じるばかりで、ほかになにか考える余裕など与えられずにいたし、火そのものがどこか人の深い場所にあるのだろう畏敬を呼び覚ますかのようで、懼れがなかったはずもないし、怯懦(きょうだ)や震撼もありはしたが、それでもなお、惹きつけられるような力がその火の色にはあった。


──これはほんの一例で、全編で数十はこんな箇所がある。とてもじゃないが楽には読めない。文は読めるが、絵や内容は浮かばない。意味が伝わってこない。作者はエッセイなどではすごく達筆な人なので、この理解を拒むような文章は明らかにこの小説のための意図的な表現なのだと思う。ではその意図とは……わからない。すっきりしない。苛々する。読み辛い。なんだ……。
*「、」を「。」だと思って読めばよかったのかもしれない。とにかく、なかなか苦痛な本だった。そう作られた本だとわかってはいても、読んでいてこたえた。

   *

 最後の3冊はここひと月に読んだものなので、ちょっと詳しく書いてしまいました。3冊とも印象深い本でしたし。
 それにしても、長いな。多いな。……あたりまえか、数ヶ月ぶんなんだから。やはり溜め込むものではないですね……

 あと、他には『日本現代詩歌文学館』の館報も何枚か読みました。郵送の手続きをしてくださった方がいて。……ありがとうございました。
 ネット上では、偶然みつけた四コママンガ続きが気になる創作小説出版関係のコラム集を読んだりもしました。「よみくらべスラム」のテキストを探しに『プロジェクト杉田玄白』の参加作品をあさりもしたっけ。
 妙なところでは、異質なビジュアルから興味を持ち「タブ・スペース・空白のみで書くプログラム言語の解説文」なんてものも読みました。そんなことしてる場合か、と言われそうですが、コラムのネタ探しとかしてるとつい脱線して……。

 あ、詩の入門としては定番らしいのですがC.D.ルーイスという人の『詩をよむ若き人々のために』という本も読みました。これはあまりに良い本なので、いずれ読み返し、あらためて書きます。すごく良い本です。今は絶版だそうですが数年前まで「ちくま文庫」で出ていたそうなので、見つけたらとりあえず買って正解です。

   *

 しっかし、私の読書って古本屋のワゴンセール品ばっかりですね。世の中がこんな奴だらけだったら、出版社も古本屋もつぶれてしまうな。すまんこってす……。

 あと……オフラインの場に出て行くようになって、まれに詩集や詩誌を頂くようになりました。私って、そんな、本を進呈するに値するような人間なんだろうか。いつのまにそんな偉くなったのやら。土手でエロ本拾って読んでるのがお似合いの下衆な野郎ですよコイツァ。……毎回もうしわけなさを感じつつ、ありがたく読ませて頂いてます。……あ、土手のエロ本をじゃないですよ、頂いた詩歌関連の本ね。言わんでもわかるかンなことは。
 ……。ちゃんとした詩集を出版したこともないし、オフラインの同人誌に入ったこともないから……無駄にびびってしまってるだけなのかな、私は。本の進呈って、オフラインでは別におおごとじゃないのかな。どうなんだろう……。
 時々ね、怖くなることがあるんです。いろんな方によくして頂いてますけど、何もお返しできない。利子つけて出世払いしたいけど、私は大スカかもしれない。責任を感じるのですね、ものを貰ったり、親切を受けたりすると。しょっちゅう借りを作ってばかりで、返すあてがない。

   *

 借りで思い出したのですが、先日『TVチャンピオン』を見ていたら(というか、作業のバックに流して音声だけ聞きいてたんです。もとい、見ていたら)『ジョーダンズ』の「金八先生じゃないほう」が司会をしてました。
 ……その司会のしかたが、私の恩人の某詩人を連想させました。よく聞いていると、部分的にちょっと似ている。男子を「おまえ〜」っていじくるとことか。
 ジョーダンズのかたが同じことをやるといやらしく映るのだけれど、あの詩人だと……からかいでも何でも、タフさや愛情が読み取れる。部分は似てるのに、感じ方はまるで違う。『人の雰囲気ってこう異なり、こう効果しているのかなあ……』と、懐かしいような新鮮のような、妙な気持ちになりました。
 年末だったからかもしれませんね。私は毎年、年末はナーバスになりがちです。まっ、新年はもっとナーバスになるのが常ですけど。なんでかな。
posted by 若原光彦 at 01:46 | Comment(1) | TrackBack(1) | 書籍

書籍『神は沈黙せず』

 はじめにひとこと。以下は、10月中旬に書いた文章を手直ししたものです。ブログに出そう出そうと思いつつ、長文でもあり直している余裕がありませんでした(このほかにも似たような感じでブログ用のテキストが溜まってるんですけどね……)。
 この本、正月休みにもう一度読み返そうと思っていたのですが、いろいろ予定が入っていてそれどころじゃなさそうです。なので、今もう感想をアップすることにしました。

   ◆

 念のため最初に書いておきますが、この本を読もうと思ったらまずは図書館で探してください。中盤をちょっと読んでみて合わなければ、読まない方がいいです。文章は淡々と情熱的で読みやすいのですが、内容は個性的な……というか、アクの強い本です。たぶん、合わない人には徹底的に合いません。
 あと、近未来小説ではないです。『希望の国のエクソダス』みたいなものを期待されると煙に巻かれます。それがこの物語の真骨頂だと思うのですが……わかってはいても、読み進めるうちにその辺も期待してしまうんですよね。この本に限らず、近未来が舞台の社会小説って。

   *

 SF小説です。二段組で500ページもあります。ぶ厚くて重い。こんな「いかにも長編小説の、本!」という本を読んだのは久しぶりです。アレックス・ガーランドの『ビーチ』以来かもしれません。没頭し、購入してから数日で読破しました。
 どうしてこんな本を急に読もうと思ったのかと言うと。私は状況劇や近未来SFが好きなんです。『ビーチ』もそう思って読みましたし、ダグラス・クープランドや遠藤造輝もそうして惹かれています。まあ平たく言えば、理屈っぽく、かつ青臭くでシステマチックな話が好みだって事です。『なだいなだ』もそうかな。

 今回、図書館や古本などではなく、書店で新品を購入して読みました。それも注文してとかではなく、書店を3軒まわって探して。……プロ作家の小説では初めての事なのですが、この本、作者のサイトを偶然に発見し、そこでの作品解説に惹かれてどうしても読みたくなったんです。

山本弘のSF秘密基地
http://homepage3.nifty.com/hirorin/
山本弘のSF秘密基地:仕事部屋:神は沈黙せず
http://homepage3.nifty.com/hirorin/messaagecm.htm

 この人の本は『サイバーナイト(0・前・後・2)』『時の果てのフェブラリー』『ラプラスの魔』『時の果てのフェブラリー(新版)』の順で読んでいました。最初に『サイバーナイト』を読んだのが小学校高学年の頃でした。「四行原則」のシンプルさに感動し、でも何か足りないような気がして『これにあと付け足す必要があるとしたら何だろう』と数日考えあぐねたりしてました(その後ネットで『囚人のジレンマ』の概略を読み、『なんだあ、やっぱり四行原則(しっぺ返し)も最強じゃないんだ』とがっかりするような納得するような微妙な気持ちになりましたけど)。『時の果てのフェブラリー』で超能力者を「洞察力が鋭いだけの普通の人間」として描かれていたのも好きでした。
 特に『サイバーナイト』は小説・SFC版・PCエンジン版で微妙にストーリーが違っていたり、PSの『アーマード・コア』に一部世界観が引用されていたりと、強く印象に残っています。学研の『科学』を購読していた少年にとって、数段上の科学への興味を(ま、フィクションなんですが)満たすものでした。空想好きで理屈っぽく本質論が大好きな私にはぴったりだったのでしょう。
 好きな作家さんではあったのですが、著作はそう見つからないし『と学会』とかいう「他人の著作を笑いものにする面倒でこっすい企画」に関わってるみたいだし……しばらく離れていました。彼のSFは読みたいけど、その他の仕事や彼自身には興味がなく、時は過ぎ……失礼ですが、私にとってはもう「過去の人」になっていました。

 とそこへ偶然『神は沈黙せず』の解説に出くわした訳です。『神がテーマって、それは俺の詩にも通じる話じゃないか!』『ぐああー! 読みてえー!』と心底思い、2日後には本書を購入してました。「たいてい本は古本屋で偶然買う」という私にしては珍しいケースです。
 たいした下調べもせず書店をハシゴしたため、現物を見た時はちょっと引きました。不気味な表紙とロゴに「ベストSF2003国内編 第三位!」「人気作家、書評家から絶賛の声!」という真っ赤なオビ。でーんとぶ厚くて値段は1900円+税。『古本屋100円コーナーなら19冊も本が買えるな……』『絶賛って書いてある本ほどヤバいんだよな……』と一瞬よぎりましたが、結局はその場で買いました。

   *

 ざっと紹介すると……と言っても、作者が個人サイトの作品解説で述べている通り「科学的にありうる神」を説明すべく書かれた小説、と言うことになるのですけれど。
 補足しますと、ここでの「神」とは万物の法則を規定した「創造主」のことです。多神教の神も唯一神教の神も「ある真の神に作られたもの」とすると話がまとまってしまいますよね。そういう意味での「真の創造主」「絶対神」を論じたものです。なので、厳密には「各宗教を論破する内容ではない」と言えるかも知れませんが……実際にはそうはなっていません。ぼっこぼこです。キリスト教とカルト以外の宗教は世界情勢の描写のために出てくる程度ですが、どの宗教の神も主人公には信じられないものとして語られています。天国があるとは思えない、実際に世界は善が報いられ悪が滅びるようには出来ていない。主人公の神への不信感は一貫しています。
 この物語は「本当の神を探す話」なのですが、そのためには既存の神を疑い続けなければならないのでしょう。読んでいて気が滅入る人も多いだろうなとは思いますが……テーマを描くためには当然そうなるでしょうね……。まあ、軽く取り扱える問題でもないですし……コテンパンになるのも当然なのかな。

 この物語の世界では、超常現象が多発します。スプーンが曲がる、UFOが飛ぶ、霊が見えるなんてのはまだ良い方で、とつぜん空から氷の柱が降ってきたりもします。しまいには「神の顔」が空に出現します。狂気の沙汰です。
 これにより主人公は「なぜ全知全能の神が悪を放置するのか?」という個人的私恨だけでなく、さらに「なぜ神は世界をこんなにめちゃめちゃにするのか?」「この世界の不条理を神は肯定しているのか?」「人間やこの世界は神にとって何なのか?」と苛立ち疑念を強めます。研究者の兄によって多少の仮説を得るものの、世界情勢は混沌さを増し、自身はメディアによる風説被害を受け、苦難の生活を強いられます。

 節々にデータが山ほど出てきます。SFだから……というより、謎解きだから、なのかな。兄の仮説を検証すべく、主人公は過去の超常現象に関してかなり羅列します。口語的なダイジェストなのでそう面倒ではなく、むしろ『宇宙人って変なことするのな……』と面白く読めましたが、人によってはちと説明くさくて辛いかも知れないです。それら珍事件のトリビアも含めての本だと思うんですけどね。
 データの中では「UFOの外観が時代によって変化してきた」という辺りが意味不明で読んでて混乱して楽しかったです。『それは何故?!』と登場人物に問い詰めたかった。最後にちゃんと説明がついたのですっきりしましたけど。読みながら『本当にオチがつくのかこの件……』と不安になりました。

   *

【重要 未読の方へ】
 以下の感想は、ネタバレを含む可能性があります。
 ストーリー展開を完全に記憶している訳ではなく、どこまで何をバラしていいものやらわからず書いているため、ネタバレしてるかしてないかすら自身が無いです。自由に書きたくて書いている感想なので、大目に見てください。気になるのであれば、以下は「全て」読まない方がいいです。

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posted by 若原光彦 at 01:39 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍

2005年07月18日

最近読んだ本

『暑ッち────!!!』って叫ぶと、遠くにいる厚志くんを呼んでるみたいですね。いや、拙者呼んでませんから……。なお、切腹はしないです。売り切れです。傷でおなかいっぱいです。
 ……ってぎゃあ。やめましょうそういうブラックな笑いは。自分で書いてて自分で想像して自分でおののいてどうするんですか。……あ、いいなこれ。寓話になりそう。『怪談作家が、自分の考案した妖怪を恐れるようになってしまう話』とか。それってどんな妖怪なのか、具体的な記述は難しそうだな。

 さておき。最近読んだ本の紹介です。「最近」とは言っても、前回の『文藝的な、余りに文藝的な』の直後からなので、ここ二ヶ月分ぐらいです。量が多いので要点だけ、ざっと簡単に。

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『詩全体〜しぜんたい〜』『詩合わせ』尾崎淑久

 知り合いが送って下さいました。以前、作者の方の朗読をお聞きしたことがあって。読んでみたかったんです。ありがとうございます。
 1〜2ページの短い詩が多く読みやすいです。寓意的で熱っぽくて、面白い。「俺まで腐るじゃないか」と展開し「さてこれはみかんの話か人間の話か」と終わっていたり。サイダーが「冷たくしてくれ」「弾け飛んでやる」と言っていたり。冷蔵庫が「熱くなるな」「腐っちゃうよ」なんて説教していたり。面白い……着眼点が鋭いです。
 荒っぽい部分やあざとい部分、暗い内容などもありますが、それらは欠点ではなく、真剣さとして作風の効果になっているようです。ストイックな作品ばかりです。

 ネットやリーディングでは淡い詩が多く、叙情で構成されたそうした詩もいいですが……それらは読んでもショックを受けません。読後感もはっきりしません。この詩集のようなストイックでわかりやすい、それでいてズキッとくる詩って、世間一般にも受けると思います。私はけっこう面白かったです。

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『世界の中心で、愛をさけぶ』片山恭一

 小説版です。古本屋でようやっと見つけまして。読みました。とあるサイトで「字が大きい・話が薄っぺらい・買って損した」といったことが書いてあったので期待はしてませんでした。

 私は好きです、この小説。うん。冷めずに読めましたし、主人公の喪失感も感じました。読み終わったあとしばらく放心してました。けっこう入れ込んでしまったみたいです、私は。
 たぶん、文章から私が頭にイメージしていった「アキ」や「主人公」や「祖父」に、私は愛着(好感?)を持ったのだと思います。文章には『老人だからって一人称を「わし」にするとは。安易だし非現実的だし好かん!』『こんな絵に描いたような純朴な喋り方の女子高校生は居ない!』などと思ったりもしたのですが、私が脳内で構築した雰囲気や物語には影響ありませんでした。

 ひとつ、納得できたことがあります。この小説、読んでいると映画化したくなります。登場人物に声や顔をキャスティングしたくなる。会話の流れやシチュエーションを微調整したくなる。日常風景の小ネタを挟みたくなる。図書館のシーンを読めば『木漏れ日が欲しいから○○図書館のあそこがいいだろうな』と思い、海のシーンでは『彩度を上げられないかカメラマンに相談してみないと』と思う。なんでしょう、これは。
 この小説は映画化され、TVドラマ化され、漫画化され……いろんなメディアで原作になりましたが、わかるような気がします。「料理してみたい」という気にさせられる小説でした。ベストセラーになっていなくても、私はそう考えたと思います。
 読んで泣けるとも限りませんし、人にすすめようとかも思いませんが……いまふと開いて数行読んだだけでも微弱な喪失感がしました。私には「残った」のでしょうね、何か。

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『図鑑少年』大竹昭子

 都会生活を舞台にした、エッセー集です。エッセーと言うよりコラムといった方がいいかもしれません。特に教訓や逸話が組み込まれているわけではないのですが、作者の視点や語りが冷徹なのでそう感じたのでしょう。
 全24篇のエッセーで構成され、各篇の間にはモノクロ写真が収められています。この写真もまた、冷徹というか、突き放されたような感触です。ふつうカメラを構えると、ちょっとはユニークさを狙ってみたり感情移入を誘ってみたりするものですが、この本の写真は違います。風景がドン、と出てくるだけです。アーティスティックというのとも違う。普通の風景なのだけれど、妙にいちいち気迫がある。それでいて生気はない。ピントがびしーっと合っててクオリティが高い。圧倒される。なんだか、困る。でも眼が離せない。

 優れた文章・綺麗なデザイン・上質なエピソードの良い本だとは思うのですが、どういった人に薦められるかと考えると頭をかかえます。読後感が良いわけでもないし、感動的なわけでもない。知識になるわけでもない。ただただ作者の冷静さに気おされる。
 おそらく、意図的にそうしたつくりになっているのだと思います。とても抑制された上品な本なのですが、本棚に置いていても妙に威圧感を感じます。乏しい語彙で感嘆すると『すごいな……』となります。それしか言えない。

   *

『羊 羊 羊』マドモアゼル朱鷺

 古本屋でなんとなく手に取り、開いてみてギョッとしたので買いました。なぜか105円でしたし。帯にはこうあります「世紀末だから読みたいハートフル童話風小説」。たしかに間違ってはいないのですが、間違ってるとも思います。でも「世紀末」って表現はドンピシャな気が……。
 基本的には童話です。ただし、ハイティーン以上を想定して書かれた、ちょっとシュールな童話です。いや、シュールというのも違うかな……同じテーマでも、もっと童話っぽく子供向けに書くことはできると思うんですが……あえてサブカル的な雰囲気を選び、まっとうしている。

 本文で使われているフォントは、漫画だったら呪文の声に使われるようなやつです。挿絵も、線が鋭角的でなんだか怖い。改行が多くインデントも場面によって変わるので、詩に慣れた人ならともかく、文章としては読み辛いです。
 挿絵も題名も含めて、ブックデザインの異形さが際立った本です。本当に「サブカル的」「世紀末的」というのがぴったりな気がします。話が面白いかどうかは別にして、手に取れば読みたくなってしまう本だとは言えます。ヴィレッジ・バンガードに置かれてそうな。「かなり手間がかかってるんだろうな、すごいエネルギーだな」「こういう本が作れたら楽しいだろうな」「こういう本が好きで、集めてる人もいるんだろうな」そんな風に思わせる本でした。
 内容うんぬんではなく、姿やコンセプトが楽しめた、という感じです。

   *

『ボールペンの話』シグマ工業株式会社研究部編

 3月だったかな、古本市の百円コーナーで見つけた小冊子です。めちゃめちゃ褪色してます。黄色を通り越してほとんど薄茶色です。
 昭和24年に、日本のボールペン開発メーカーが出したもののようです。ボールペンの長所や歴史(発明者や関連特許など)、ボールペンの仕組みやこれからの課題や展望が書かれています。「七、むすび」の最後の部分を引用してみましょう──

 ボール・ペンには特許問題がある。今、日本で作られてゐるものが、米國特許に抵触することはないか。その参考にとも考へて此の原稿をまとめたわけでもある。前掲の図面についてよく研究されんことを望む。
 ボール・ペンの逆流防止は是非解決したい。印度、南洋方面に輸出するものに就ては絶対的必要條件だと思ふ。
 要するにボール・ペンの出現は世紀の驚異である。その将来には洋々たる希望をかけてよい。恐らくは近い将来にボール・ペンの黄金時代が来るであらう。その時期が早いか、遅れるかはメーカーの研究成果の如何にある。(昭和二十四年三月)了

*「触」「図」「輸」「対」「将」「来」等、原文では旧漢字。


──笑ってしまいました。「ボール・ペンの黄金時代」!!! ううむ、まるで革命的なことのように言われると面白くってしかたがない。コントみたいだ。

 ……笑ってしまいましたが。ボールペンの歴史を読むに、当初ボールペンは万年筆と対比されて考えられていたようです。万年筆は液漏れも起こしますし、するとポケットに入れて持ち歩けない。塗れた紙に書けば字が滲む。一方ボールペンは、安心して持ち歩けるし(当初は)インクの入れ替えもできた。当時安物でも350円以下だったとありますから、それなりに高価な筆記用具だったのでしょう。黄金時代を期待してもさして大袈裟ではなかったのかもしれません。
 ボールペン開発者の方々に感謝しましょう。今日のボールペンがあるのは先人達のおかげです。笑ってすみません。でも面白いんだからしょうがない。ううむ。

   *

『ビーチ』アレックス・ガーランド(村井智之訳)

 裏表紙に「HIGH-RISK」というロゴと「HRN-0001」というナンバーが印刷されてます。「ハイリスク」というペーパーバックレーベルの一冊め、ってことなんでしょうか。すごい名前だな……企業が自社製品に付けるには勇気の要る……。

 それはともかく、本の紹介へ。二段組で457ページあります、厚手です。レオナルド・ディカプリオ主演で映画化された小説の日本語版です。

 物語は1990年代前半。東南アジアを旅する若者リチャードは、タイで安宿に泊まります。しかし隣の部屋の男が自殺(?)する。同じ階の宿泊客たちと警察に事情聴取に呼ばれ、宿に帰ってみると自分の部屋のドアに手紙が届いている。中には「ビーチ」への地図が入っていた。「どこかに、リゾート化されていない『楽園』がある。ラグーンに囲まれ外界からは決して発見されない。そこには小さな共同体を作り、美しい暮らしをしている人々がいる。ただし選ばれたものしかそこには入れない」そんな噂は旅行者のなかで広まっていました。タイに飽き飽きしていたリチャードは、宿泊客のエチエンヌ、フランソワーズとともに地図の島へ向かいます。

 映画では、主人公が狂っていったのはハッパのやり過ぎでした。物資補給のためリゾート地に戻るのも共同体のリーダーと一緒でした。映画では話の筋をわかりやすくするため、いろんな所をまとめてしまっていたようです。また、映画という表現上、心情的・幻覚的な描写を捨て、とにかく視覚的に構築されていたみたいです。私も見たのですが「ハリウッド映画だな」としか思いませんでした。
 小説版ではかなり感じが違います。骨太の、それでいて繊細な話になっています。リチャードが狂いまた正気を取り戻したのは亡霊(地図を書き自殺した男)の存在が大きい。一緒に物資補給へ行ったのは、共同体の中でも孤独な立場にあった男性。物資補給は「楽園から現代社会に戻り、経済社会の淫らさに落胆して帰ってくる」嫌な仕事だと表現されています。そして、喜ぶだろうと思って買ってきた歯磨き粉は「なにこれ? こんな味だったっけ? 気持ち悪い。いらいないわ」と突っ返されます。
 映画はただのサバイバルドラマでしたが、小説は「楽園での開放的な暮らし」と「楽園を維持する共同体の不自然さ」が綱引きしている、状況的な物語でした。文明社会から隔離されたところでは毎日気ままに楽しいかもしれないし、幻聴も聞こえるかもしれない。共同体から嫌われると居場所がなくなるが、楽園を守るためには脱走者は出せない。「ビーチ」は天国でもあり監獄でもある。誰もがいつか家に帰る筈なのに、この毎日が永遠に続くとも信じている。

 面白い小説でした。テレビゲーム『ソニック』の話や、ベトナム戦争兵士のスラングが出てくるのがなんだかリアルでした。現代くさいというか、無邪気というか。やさぐれた気分とヒロイックな気分といろんなものがごたまぜに進んでいく。文章のテンポがよく、のめりこみ熱中して読みました。面白かったです。

   *

『文芸少年 Vol.01』新風舎

 新風舎が新しく作った文芸誌です。ロゴの上に「詩とマンガと小説!」とある通りの本です。いわゆる文芸誌……『文芸春秋』とか『小説新潮』とかではなく、もっとライトな、くだけた、メディアミックスした内容でした。大槻ケンヂが好きな本について対談してたり、谷川俊太郎の詩に西原理恵子が絵をつけていたり。『ファミ通』のハガキ職人が小説を寄せていたり、漫才コンビがネタを小説化していたり。
 アバンギャルドというかサブカル的というかネアカというか、なんか吹っきれた傾向で作られていました。小説もマンガも「あはは……」と苦笑して読んでそれで終わり、という。いわゆる純文学のような「重い・残る」ものはありません。娯楽的な文芸誌です。
 いまどきの十代・二十代に向かって「どうだ! お前等が欲しがってるものってこういうんだろ?!」と狙っていってるような気持ち悪さもなくはないんですが、気楽に面白く読める本でした。

 小説って、買ってみても読むごとに気が滅入ってくることがあります。テーマやコンセプトに惹かれたから読み始めてみたけど、文章やメッセージ性が気に入らない、とか。気楽に読めて素直に面白いものが欲しくなることがあります。エッセーとかではなくて、小説で。
 そうした気分にはとてもマッチする本です。ある意味スクラップの寄せ集めみたいな本でもあるんですが、それは雑誌形態だからこそできることでもあるでしょう。「『文芸少年』に掲載されている作家さんの本を単行本で買うか?」と言われれば私は「ノー」です。でもこうしてまとめてザバッと読めるならまた読みたいですね。
 新風舎らしい宣伝臭い記事も目につきますが……次号も買ってしまうかも知れません、これは。

   *

『丘真史詩集 ぼくは12歳』高史明・岡百合子編

 1976年初版の詩集です。著者は12歳の故人。編者はその両親です。

 闘病記のような本……家族や本人が「あの子は死んだ」とか「私は○○だ」といったことを売りにして出している本……は、私はあまり好きではありません。その内容・質に関わらず、敬遠してしまいます(浅はかなことだとは思うのですが)。
 この本も、一見そうした種類の本に見えます。でも後書きを読むと、違うことがわかりました。本を売るために「自殺」とか「12歳」とかを前面に出しているわけではなく、「死も作品も何もかも含めてこの子のことを感じ取って欲しい」との願いから出版されたようです。そのため「あくまで作品で評価して」「ねえいい詩でしょ?」なんて甘ったれてはいません。「自殺した子が書き溜めていたものです」「12歳でした」と「それらを踏まえて読んでくれ」と態度で示しています。かなりの決意がなければそんな出版は出来ません。

 後書きで編者も触れているように、詩作品としては未熟な部分や悦に入っている面も多いと思います。ただ、この本に収録された作品はもともと公開を想定して書かれてはいなかったのでしょうし……そう考えるとなかなかエネルギッシュで素朴で正直な、飾らないものだと、良く思えてもきます。
 小学六年生が書いたにしては、おかしな詩もあります。主人公が大学生になっていたり、「おれたちのためいきは/すごくよごれている」なんて大人びた台詞があったり。でもその肩肘はって身の丈に合わない自分像を持て余し内部を煮えたぎらせている様子が、とてもリアルだとも思います。自分の少年時代はどうだっただろう、詩を書いていたらやはりこんな風に書いていたんじゃないか、そう思いました。

 読んで楽しい詩作品は少ないです。他人の人生を垣間見るわけで……読書するということが嫌らしい行為のような気もしてきます。ある種、自分(読者)と作者との対決をさせられる本でもありました。

   *

『ショート・トリップ』森絵都

『毎日中学生新聞』というもの(毎日新聞の中学生ページみたいなものなんでしょうか?)に連載されていたショート・ショートを加筆・編集した本です。偶然図書館で見つけ最初の1〜2編を読み『これは私の寓話と通ずるものかもしれない』と思って借りました。

 ショート・ショートというより、超短編といった方がいいかもしれません。オチのすっきりしない話も多いですし、状況設定の愉快さだけで押し切っている話もあります。台詞の掛け合いや鮮やかな展開で「あっ」と言わせてくれるわけではありません。低調に、でも独特に、シニカルなお話が続いているばかりです。
 こう言ってはなんですが……「本を読んでいる」というより「ネットでどこかのサイトを見ている」そんな気がしました。各話が短く、作者が遊んでいる部分も多いのですらすらさっぱりと読めました。あまり寓話の参考にはなりませんでしたけど。

 ときどき無性に『面白くなくてもいいから、苦にならない本が読みたい』と思うことがあります。最近のそんな気分によくマッチしました。……さて、図書館に返却しに行かないとな。

   *

 以上です。長っが! 「ざっと簡単に」なんて言ってもやはりこうなるんだそうなんだ知らりょかわからりょかもうこれは運命なんだ宿命なんだカルマなんだ業なんだ……。

 以前、今回と同じように「まとめて数冊書いた」ことがありましたが、あの時もやけに長くなってしまいました。『あの時は箇条書きにしたから長くなっちゃったのかな。今回は散文で書いてみよう』と思い、このようにした訳ですが……やはり散文のほうがいっそう長くなりましたね。そうじゃないかとは思ったのだけれど、やはりそうか……。

 実は、ここに書いていない本があと4冊ほどあるのですが。それについてはおいおい書きたいと思います。ってまた書くのか……。
posted by 若原光彦 at 20:09 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年05月30日

書籍『文芸的な、余りに文芸的な』

 さて、今度はまったく別種の本です。今月11日『詩のあるからだ』が終わってからファミレスで読みました。
 芥川龍之介です。『青空文庫』にあるので無料で読めます(『文芸的な、余りに文芸的な』『続文芸的な、余りに文芸的な』)。

   *

 私が読んだ文庫本には、晩年の評論(?)が五編収録されています。表題作『文芸的な〜』『続〜』とその『補遺』、『芸術その他』『小説作法十則』というアフォリズムみたいな文章、大正八年と九年の文芸時評が納められています。

 時評的・時代的な話は(私に日本文学の知識がないので)「ただ読んだだけ」でしたが、汎文芸論的なところもある『文芸的な〜』『続〜』『補遺』『芸術その他』『小説作法十則』はかなり面白かったです。芥川龍之介っていうと、陰鬱とした天才肌の気難しい人間というイメージだったのですが、面白い人です、この人。

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posted by 若原光彦 at 17:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『しあわせな葉っぱ』

 書名を日本語変換したら『幸せな発破』と出てしまい仰天したところです。……ま、それはともかく。

   *

 絵本です。文庫本でたまにある「写真に詩が付いた本」や「イラストにポエムが付いた本」って私は苦手なんですが……この本はとてもしっくり来ました。甘い言葉がならべられて行くのではなくて、ちゃんとお話があって、一喜一憂しながら物語が進んでいく。

 主人公は中学生ぐらいの女の子。ある日めざめると、あたまのてっぺんから双葉がぴょこっと生えていました。切っても切っても、またすぐ生えてくる。すぐのどが渇くようにもなってしまった。何故か他人には見えないらしいけど、こんなの嫌だなあ……と思いながら女の子は葉っぱ付きのまま生活していきます。
 このシチュエーション自体、寓話的でおもしろいのですが、私はあいまあいまのひとコマが好きです。のどが渇いて夜中にお茶漬けを食べているシーンで「そうだ」と思いつき、葉っぱをちぎってお茶漬けにふりかけていたり。恋敵を「……ってなっちゃえ」と空想し「ああ…… わたしって、悪魔のようだわ」と自己嫌悪したり。おもしろいです、おもしろいけど当人には大事態でおもしろくもなんともないという、ちょっとダークな所も魅力だったり。

   *

 この本のはじまりにこんな言葉が書かれています。

かみさま
どうか
どうか
ハッピーエンドに
してください


 読んだ瞬間にぎゅっと胸が苦しくなりました(似合わないとか言うな、そこ!)。また、あとがきには、このお話が書かれたきっかけが記されています。

 毎日生きていく中で、いつも見えているのに見えないもの。感じているのに感じていると、気がつかないでいること──それが、少しのきっかけで、くるりと見つかって、景色が変わる時の、心がびっくりする感じや、目の前が晴れていく感じ──
 そんなのを、愛しい気持ちで描いてみたいと思いました。


「葉っぱ」の、緑でつやつやでわさわさしたイメージ。それは、この本を読んで私の胸に残ったものと同じでした。なんだかちくちくするけれど、すずしい。

   ◆

書名:しあわせな葉っぱ
副題:ミエナイ草(ソウ)の話
英題:Troublesome,but my lovely leaves.
著者:おーなり由子(おーなりゆうこ)
おーなり由子HP*Blanco
http://www10.plala.or.jp/Blanco/
発行:株式会社新潮社
レーベル:新潮文庫
平成15年7月1日 発行
ISBN4-10-127823-7 C0193(本体476円)

   ◆

 蛇足ですけれど。おーなりさんのサイト、すごく素敵でした。訪れたひとがほんのりいい気分になってその場を去れるような。いいな。すてきだな。
posted by 若原光彦 at 17:48 | Comment(1) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『魔法の杖』

 先月上旬に読んだ本です。もう十年以上前の本なんですね。たしかに話にネットも携帯電話も出てきていませんが……内容自体はまったく古びていないように思います。

   *

『サラダ記念日』『チョコレート革命』などで有名な歌人、俵万智さんの対談集です。コピーライター・歌人・詩人・作家・写真家・劇作家・批評家などが俵さんと対談した内容が納められています。

 よく知らないのですが、このころは俵さんが歌集『サラダ記念日』を出版し、話題になり騒動になり、山田洋次監督が『寅次郎サラダ記念日』なんて映画を撮ったり、テレビドラマにもなったり……俵さんはご自身と関わりないところで大きなうねりに巻き込まれていたようです。
 たとえば、読者の方から「あれは実話なんですか?」と聞かれて返答に困ったり。「簡単に作ってそう」と思われ、「泣きながら一首に打ち込んでる時だってあるのに」とくやしくなったり。歌壇からは、短歌に「カンチューハイ」なんて新語が入ってきていることに賛否両論されたり。……お察しします。私だったらたまらないだろうな。
 この時期、俵さんは「どう書いてるの?」「どう読まれてるの?」という表裏両面の質問・疑問を浴びまくっていたわけです。写真家さんとコラボレーションすれば「写真と短歌、どちらが先なのか」と思われ、歌集を読まれれば「歌の掲載順はどう決めているのか」と思われ、……やっぱり、たまらない。

 本書の対談は、そうした数々の疑問や反応に俵さんが答えていく内容が多くなっています。対談されているお相手の方がみなさん表現の知識のある方ですし、俵さんに理解的なので話はスムーズです。つまらない押し問答はありません。「俵さんは……」と分析的なコメントがあっても、それは失礼なものではなく、素朴な印象のものが多い。それに対する俵さんのコメントもまた、素朴でしっくりしています。

清水哲男 僕がいわゆる自由詩を選んだのは、俳句の世界の制約などを見て、「若造がやるもんじゃない」という気がしたからです。「俳句は老人の文学だ」と最初の詩集のあとがきに書いて、俳句の人から叱られましたけど。俳句はきちっと社会生活を営む、物のわかった人がやる文学だという意味なんですが。
 いずれにしても、自由詩というのは制約がない。かっこよく言えば、自分を律するということが一番難しい。お師匠さんはいないし、はっきり言って、詩の世界はいろいろな意味で手探りの状態で、近代詩だってまだ百年ぐらいですからね。つまり、自由。その中で自分なりに、今というものをどういうふうに定着していくか。
 とにかく定型がない、めちゃくちゃなわけです。僕はやっぱり、あえて俳句を捨てて短歌に行くというよりも、めちゃくちゃなほうへ行こうと……。何を書いてもいいんですが、だけど、意識としては僕は俵万智に迫りたい(笑)。
 短歌という器への羨望はありましたね。ビールのタンブラーというものがありますでしょう。そこに水を入れるようにピシャッときれいにはまりこむ。同じ水を入れるにしても、注ぎ方とかいろいろあって、俵万智に感じたのは、ああ、きれいにすっといってるなと。だから、ある意味でまったく違う世界ということも感じるんです、器という意味で。
俵万智 器という言い方がよくされますが、私は定型に何かを注ぎこむという感じではないんですね。自由詩は、自分を律するというか、いかに自分の内部のリズムを発見するかということが大変なんですね。短歌は五七五七七というリズムが初めからあると言えばあるので、その意味ではむしろ歌のほうが自由なのかなという気はします。自分の、何ていうことのない言葉を生き生きとさせてくれる「魔法の杖」、感覚としてはそういう比喩が気に入ってるんですが。
清水 僕みたいな外の世界の人間は「器」という言い方がわかりやすいから、使ってしまうのかもしれません。
俵 そうですね。ただ、器という比喩をしてしまうと、そこからあふれ出るものはどうするんだということになってしまう……。
清水 定型を「魔法の杖」とすると、自由詩は「普通の杖」(笑)。ラグビーで足をけがした人が松葉杖をけっこううまく使ったりする。


   *

 対談で文章が口語的なこともあり、とても読みやすい本です。詩歌などを創作されている方にはとても楽しめると思います。俵さんという作家・作品のイメージからなのかな、構えず気持ちよく「ああ、わかるわかる」と思えた本でした。

俵 私の歌集を読んで、女の子が「先生、なかなか、たそがれてるじゃん」と言ったんです。その批評が一番心に残っています。カラッとしているとか、軽いとかいう印象の批評が多かったんですが、なんとなく私自身も「たそがれている」というのは、なかなか言えている部分があるんじゃないかと印象に残っているんです。


   ◆

書名:魔法の杖
著者:俵万智(たわらまち)
発行:河出書房新社
レーベル:河出文庫文藝コレクション
1992年12月25日 初版印刷
1993年1月7日 初版発行
ISBN4-309-40356-5 C0192(定価580円 本体563円)
posted by 若原光彦 at 17:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | 書籍

2005年04月02日

書籍『ちいさなちいさな王様』

 以前あるかたが持ってらしたのを見たことがあります。とても整った本ですが、でも忘れてしまうと思い出せなくなってしまう本でもあります。先日の古本即売会で見つけたので手に入れました。

 童話……とも違います。主人公は会社員ですし、姫も魔法も出てきません。王様と主人公の対話編と言ったほうがいいかもしれません。もともとはドイツの地方新聞で連載されていたお話だそうです。挿絵が落ち着いた、クリアーな雰囲気でとてもきれいです。たまごみたいに腹の張った王様が気難しい顔をして赤いガウンを羽織っている姿は、文章での王様の偉そうなイメージそのものです。装丁もきれいで、カバーを外した中側までとても品があります。
 余談ですが「いい装丁だなあ」と装丁者を確かめると、かなりの確立で「鈴木成一デザイン室」さんなんですよね。この本もです。

   *

 話の始まりも終わりもはっきりとはしていません。しばらく前に「小指の先ほどの大きさの王様」が主人公のアパートに現れるようになった、というところから話は始まります。

 主人公は王様に聴かれて自分たちのことを話します。「生まれたときはすごく小さいんだ。それが年をとるごとにだんだんと大きくなっていく」「それから人生のしまいのほうで、またほんのわずかだけ縮むんだ。そうすると死がやってきて、ついにはいなくなってしまうんだ」。これが王様には「そんなの非論理的だな」だそうです。「どうしてはじめにいちばん大きくて、次第に小さくなってきえていくってふうにならないのかね?」「おれのところでは、それがあたりまえなのだ」
 王様の世界では、生まれたときは何でも知っていて、年をとるごとにいろんなことを忘れていく・とともに体も小さくなっていくのだそうです。

 ……という変な王様が主人公にいろいろ言います。なにせ王様ですし。外に連れてけとか想像力を働かせろとか。昼の会社員ほうが夢で、さまざまな夢のほうが現実かもしれないとか。通りに竜が居るぞとか。王様の部屋(本棚の裏にあって、もちろんとても小さい)に入って来いとか。
 王様は偉そうですが、けっこう寛容なようです。わりあい素直な主人公に対し「ものを知らない相手に言って聞かせる」みたいな口調でしゃべります。だったらこうすればいいじゃないかとか、自分の頭で考えろとか……。

 うまく伝わらないかなぁ。想像してみてください、あなたの部屋に王様が現れて「考えてもみたまえ」とか言い出し、思ったことを言うと「ばかにいい」とか言われる。王様の言うことはこっちの世界と逆、年をとるのは楽しいことらしい。気まぐれに現れては、クマのグミをかじったり、トラックのモデルカーに乗り込んだりしてる。
 ユーモラスだけど、困るでしょ。でも居なくなったらきっとさみしい。でも最初からお客さんで他人で別世界の人で、いなくなっても仕方ない。変なつきあいです。

   *

 リチャード・バックの『イリュージョン』とか、そういう属性の物語だとおもいます。上品に価値観をゆさぶって楽しませてくれる。ガチガチに作られているシステマチックな状況劇ではありません、王様も「そんなこと、おれにもわからないな」と言うことがあります。人生哲学ではなく、童話やファンタジーでもなく……ゆるく上品にこぢんまりと楽しい話です。変な状況なのだけれど、とても自然に感じます。どっかにこういう家もあるのかもしれないなあなんて。

 ……。うちにこの王様が現れたら……困るかな、うれしいかな。めんどくさいかなあ。とりあえず秘密にはしておくだろうなあ。

   ◆

書名:ちいさなちいさな王様
原題:Der kleine Ko¨nig Dezember
作家:アクセル・ハッケ(Axel Hacke)
画家:ミヒャエル・ゾーヴァ(Michael Sowa)
訳者:那須田淳(なすだじゅん)/木本栄(きもとさかえ)
発行:株式会社講談社
1996年10月15日 第1刷発行
1997年4月18日 第7刷発行
ISBN4-06-208373-6 C0097(定価1262円+税)
posted by 若原光彦 at 01:33 | Comment(6) | TrackBack(2) | 書籍

書籍『midnight press・2000年夏号』

 これも先日の古本即売会で手に入れた本です。2000年夏号だそうで、2000年2月ごろの対談や3〜4月ごろの文章が収録されています。約5年前の雑誌なわけですが、だからこそ興味を持って買いました。「詩人がインターネットを語るとき」という対談が目を引いたのです。

 対談の面子は清水哲男清水鱗造鈴木志郎康、五十嵐健一の四氏。「詩の世界にとってネットってどうなんだ?」という硬くヒートな話はされていません。いきなり「パソコンって達成感があるよね」とか「挫折もある」とか「ソフトが変わっちゃうともう他人にアドバイスができない」とか。いたって普通です。掲示板でのやり取りや著作権についての話、ネット利用が拡大するとみんなますます本を買わなくなるのではといった話はハードになるかと思いきや、これらも「制御できない」とか「掲示板での話術は独特のものがある」といった、ネットホリックなら誰でも感づいてる、ごく普通の話にとどまっています。
 私は、それがとても面白かったです。こうした普通の話を普通にしている対談ってあまり読んだことがなかったですから。真面目な人(インターネットに夢を持ちすぎてる人や、ネットを野望に活用したい人など)は物足りなさを感じたでしょうが、私は読んでてとても落ちつきました。ネットに入った初期のころを思い出す、というのでもなくて。誰でも感じる基本的な話題をわいわいしてるのって、楽しいじゃないですか。全体的に明るいトーンでしたし、PC用語には注釈もついてましたし。
 内容があまりに普通で基本的だったのは、おそらく「2000年の時点だから」や「この雑誌・ある読者に向けたものだから」ではなく「対談の四氏の人柄や感受」がそうだったのだと思います。2000年らしい話は……そうだなあ、「ソーリー・ジャパニーズ・オンリーって書く人が今もうあまり居ない」とか「何でも検索できて驚いた」なんてぐらいかな。「憂鬱の鬱という字は、辞書でひくよりPCで出したほうが大きくて見やすい」とか「最近は手書きで字が書けなくなった」となんて話題もありました。にやにやしてしまいます、自分も経験があって。

   *

 もうひとつの対談「詩はボーダーを超えて」も面白かったです。面子は谷川俊太郎、正津勉、エドガー・ヘンリーの三氏。どうもこのころ朗読のCDなどが発行されたらしく、話は朗読や発声、スラムなどの方向が中心でした。そこから派生して「日本語には叙事詩はあるか」とか「五七調」についても話題に出てます。いま日本のリーディングは、方法というか定番というか……戦法みたいなものは参考も多いですしある程度選べる状況になっていますが、2000年の時点ではもっとたくさんの可能性が見えていたようです。
 また、ヘンリー氏はこんなことも言っています──

引っ込み思案で自作を朗読する習慣のない詩人たちを人前に誘い出すことになれば、とても良いことだと思います。
 ただ心配なのは、娯楽の面が強くなりすぎて、サーカスみたいになってしまうことですね。サーカスはサーカスでもちろんいいわけですけど。


──それから、谷川氏も──

 照れくさいということのもう一つの理由は、本来、一篇の詩作品というのはその詩人の一人称、「私」の声ではなくて、もっと、つまり自立した、作品として自立した声にならなきゃいけないのに、いまの現代史のほとんどは、若い連中なんかも多分含めて、なんか自分のぐちとか批判ばっかり言っていて、その自分の生の声を声に出すということが照れくさいんですよ。僕なんか『ことばあそびうた』は全然照れくさくなく読めるけれど、あれは全然、自己表現ではないものになっているからだと思うのね。


──と言っています。この時点で「詩の朗読」というものについて、可能性だけではなく、ある程度の構造的問題も知覚されていたということです。私がオフラインの場に露出し始めたのは2002年末からで、もちろんそれ以前からオープンマイクなどは各地にあった訳ですが、5年たっても根本的な問題は変わらないんだなあと思うとちょっと苦しいです。これらは100年たってもついて回る問題なのでしょうけれど。

   ◆

書名:季刊 詩の雑誌 midnight press No.8 2000年夏
発行:ミッドナイト・プレス
発売:星雲社
レーベル:文庫
2000年6月5日 発行
ISBN4-7952-0995-2 C0392(定価1000円+税)
posted by 若原光彦 at 01:30 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年03月10日

書籍『少女マンガ家ぐらし』

 タイトルがいいですよね。「少女」に「マンガ」で「家」で「ぐらし」ですよ。しかも「ぐらし」はひらがなです。ほのぼのします。
 中身の文調もほのぼのしています。徹夜の話、スランプの話、担当さんにボツをくらう話なんかもあるんですが、ハードな調子ではありません。楽しく読みました。

   *

 著者の思い出やエピソードを書いた個人的エッセイではなく、あくまでガイドブックとしてマンガ家の生活の一般的なところだけが平素な文章で書かれています。著者が、どうやってプロになったのか、どんな風に作品を作っているのか、スケジュールやアイデアはどうしているのか、など、著者の実感から普遍的なことを紹介しているだけです。
 ネタの膨らませ方についてとかもあるけど「好きなものや素敵だと思うことが描きたい動機になる」とか「起承転結に当てはめて話を面白くする」という程度のアドバイスです。
 コマ割りについてのような、技術的な話もそこそこなので「すぐ役立つことを教えてくれ!」「具体的に何をどうすればいいんだ!」というような人には向いてないかな。業界のゴシップに興味があるような人にも物足りないと思います。マンガ家になりたい人より、他ジャンルの創作をしている人が読んだ方が面白いでしょうね。文章をなぞりつつ『この人はそうやって膨らませてるんだあ。わかるわかる』と思うところが幾つもありました。

   *

 この方、とても文章が上手です。玄妙な言い回しができるということではなくて。説明が簡潔で、決め付けてもいなくて、話題がスムーズで、「〜だった」「〜である」口調なのに腰が低くて。マンガ家さんって、やっぱり構成や雰囲気作り、情報量の加減なんかにセンスがあるんだなあって思いました。

 カットが数ページごとに入っていることもあり、読みやすく楽しい本でした。私もマンガが書きたくなってしまいました。いかんなあ。

 余談ですが、マンガの「具体的なテクニック」が知りたい方は「美術出版社」刊、「菅野博士+唐沢よしこ」著の『快描教室』という本がおすすめです(と紹介する必要がないくらい有名な本ですけど)。……私もなぜか持っています。なぜだ。謎です。

   ◆

書名:少女マンガ家ぐらし
著者:北原菜里子(きたはらなりこ)
発行:株式会社岩波書店
レーベル:岩波ジュニア文庫224
1993年6月21日 第1刷発行
ISBN4-00-500224-2 C0295(本体583円)
posted by 若原光彦 at 23:38 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年03月07日

書籍『やけっぱちのアリス』他

 また本を読みました。荒木スミン『チョコレート・ヘヴン・ミント』幻冬舎文庫、島田雅彦『やけっぱちのアリス』新潮文庫、吉本ばなな『とかげ』新潮文庫、辻仁成『クラウディ』集英社文庫。

 荒木スミン『チョコレート・ヘヴン・ミント』は改行が多く、とてもライトな感触でした。白倉由美の『夢から、さめない』をすこし思い出しました。角川スニーカー文庫にありそうな淡い甘いお話でした。浅田弘幸の表紙がとても合っています。
 2ページびっしり「>>>>>」で埋め尽くされたいた部分もありました、甘さや改行の多さもですが、独自の空気を持っている作家さんのようです。

 島田雅彦『やけっぱちのアリス』もライトでしたが、借金のカタに身売りされてる少年とか、噂を流しまくる少年とか、キコクとか登校拒否とか。救いのない、つまらない十代の縮図みたいな話でした。
 心理描写や性の表現がうまかったです。格言的な文章もちらほらとあり、哲学的でもありました。鮮明な知識や実感がないと書けないように感じました。もっと読んでみたいな、この人。

 吉本ばなな、辻仁成は安定的によかったです。気が静まります。一行ごとに祈りにつつまれているような感じがします。

 余談ですが「辻仁成」の「辻」は本当は「辶」に「十」、しんにょうの点はふたつです。その字はパソコンでは出ないので「辻」としました。

   *

 3月4日夜『clubBL』さんでのレモンさん企画はとてもよかったです。サトルさんは強い眼力やオーラがあったし、ISAMUさんは捨て身で沸かせてくれたし、平林さんの対応性はナチュラルでかっこよかった。ツバキ嬢さんの即興「あいしてるわ〜」はヒリヒリしていてもキュートでもありました。レモンさんはリーディングもよかったですし、ユニット『無慈悲なパイプ』にも驚きました、ほんと底が見えない人だなぁ。……みんな、自由にそれぞれの道を駆け登ってる。
 楽しかったです。それぞれの可能性を感じさせられた夜でした。自分のことも思いました。私はときどき自分の色や可能性を見失うから。
posted by 若原光彦 at 23:47 | Comment(1) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『詩とことば』



 先日ちらっと紹介した本です。先日は図書館で借りて読んだのですが、その後じぶんで注文しました。改めて読み返しましたが、やっぱり良い本です。「面白い」というより「ためになる」かな。いや。それともちょっと違う。知的快感や知識を得るための本というより、もっとあいまいな何かを受ける本です。

 この本は岩波書店が企画した『ことばのために』シリーズ6冊のうちの1冊です。この本に挟まっていた『ことばのために』の宣伝チラシにはこうあります──

 ことばのために──編集委員の五人が詩、演劇、小説、物語、批評をめぐり、いま、この時代に、ことばを生きるというのがどういう経験であるのかについて、ひたすらこの六人目の仲間であることばと向き合い、対話をかわすことで、そこでことばに教わったことを、書いてみました。


──ほんとうにそんな感じの本です。入門とか専門とかいう枠にとらわれず、誠実にやさしく、正直に書かれている雰囲気です。

   *

 本書は4章で構成されています。

・詩のかたち
・出会い
・詩を生きる
・これからのことば

「詩のかたち」では、詩と散文の違いをキーに、行わけ・リズム・繰り返しなど「詩独特の表記や仕掛け」について解説されています。ある情景が、散文で表現された場合と詩文で表現された場合との比較もされています。親切かつラフな書き方で(するするとまでは行けませんが)コツコツと一段ずつ、詩のおおまかな輪郭がほぐされていきます。
 でも、親切なのですがそれでも、詩を読まない(主に小説や随筆を読む)人にはよくわからない話だろうと思います。実作者には「慣れすぎて忘れていたこと」を思い出させてくれてとても面白いと思うのですが。

 第2章「出会い」では詩と人の関わり方・伝わり方についてです。章の冒頭にある「人はどんな詩に、出会うのか。詩は、どのように読まれていたのか。読者の姿を追う。」という文章の方が的確な要約かな。
「詩歌の表題やフレーズを題名にした小説のリスト」から、詩の使われ方、伝達速度、記憶に残り方などを考えてみたり。「抒情小曲」の隆盛について紹介したり。「どういう風に読まれてきたのか」という話がばらばらっと寄せてあります。
 うーん、これも実作者向けかな。でも「数十年前どうだった、なんて話をされても今現在の実作者に意味があるのかな」と思わないこともないです。すると詩の歴史の裏側を考えるつもりで読むといいのかな。ちょっとじれったい章かもしれません。3章、4章もですが、データの部分は飛ばして読んでもいいかもしれません。

 第3章「詩を生きる」は、ひとくちには説明できません。谷川雁・村上一郎・石原吉郎などを引きながら「作品」も語れば「時代背景」も語れば「作品の構造」にもツッコミを入れ「作者性・創作の型」にも言及する。もちろん作品を読んだ「読者」の傾向やその時代背景についても触れる。複合的問題が複合的につづられていきます。
 詩の輪郭が(1章とはまた違った視点で)切れ切れに挟み込まれている章でもあります。たとえば、石原吉郎について触れたあとに──

 個人が体験したことは、散文で人に伝えることができる。その点、散文はきわめて優秀なものである。だが散文は多くの人に伝わることを目的にするので、個人が感じたこと、思ったことを、捨ててしまうこともある。個別の感情や、体験がゆがめられる恐れがある。散文は、個人的なものをどこまでも擁護するわけにはいかない。その意味では冷たいものなのである。詩のことばは、個人の思いを、個人のことばで伝えることを応援し、支持する。その人の感じること、思うこと、体験したこと。それがどんなにわかりにくいことばで表されていても、詩は、それでいい、そのままでいいと、その人にささやくのだ。


──このような文章があったりします。作者や作品、時代に思いを寄せて寄せて、ぽろっと熱っぽく語ってしまう。なんだかにんまりしてしまいます。
 この章も実作者向きです。たとえば上記の引用部分を読んで、詩やポエムを書く人は「そうなんだよ私が思ってたのは!」と感動するかもしれませんが、和歌や散文しか読まない人には「そうか、だから詩って面白くないんだ」ぐらいにしか感じられないだろうと思います。

 第4章「これからのことば」は「詩の置かれている環境」についていろんな視点から書かれています。具体的には「詩集を出すという行為」や「新聞のコラムに詩が登場する回数・傾向」など。「現代詩の歴史」のあとで「現在はこういう詩を書けば温かく読んでもらえるというフォームが無くなっている」ことを述べたり、「自信家」のタイプをいくつか挙げて彼らへの違和感をほのめかしてみたり。
 今までの章は詩に興味の薄い人にもある程度対応していましたが、この章は明確に「詩に関わる人へ」向けて書かれています。口調がやさしいので落ち着いて読めますが、ぽろぽろと皮肉も感じます。希望や願いも感じます。楽観的でイライラもします。つれない横顔も見えます。持論も覗きます。でも、著者に言い押さえられている感じはしません。『ああこの人はそう感じているんだな』と落ち着いて読めます。絶妙な距離感です。

   *

 全体としては、創作論と範例集と入門と雑感と本音と作者評と歴史と理想と……もろもろがごっちゃになった内容です。エッセイでもあり、専門的でもあり、軽くもあり重くもある。著者が自分の好みや知識を並べてるだけじゃないか、と言われてしまえばそれまでという所もあります。

 詩に興味のない人にとっては、ちんぷんかんぷんの本だろうと思います。でもほんの少しでも詩を読み書く人には、たいへん豊かな読書になるだろうとも思います。
 詩なんていう特殊でこっぱずかしい無用の長物に手を出すことはリスクが高い行為です。だからこそ詩に関わろうとする人は、誰でも自然と問題点や解決策、動機やコツを自覚し深めていきます。この本はその「各自が持つすこしの自覚やヒント」を再説明し、話題を広げ、読者の気持ちを軽くしてくれます。この本を読んでも詩作の技術は上達しません、詩論や詩の歴史も詳しくは載っていません、引用が部分抜粋ばかりなのでアンソロジーとしても読めません、詩の未来が見える訳でもありません。でも、これはじつに「実作者」や「よい読者」のための本です。

 言い換えれば「詩が好きな人」のための本だということです。この本を読んでわいてくるのは『著者はほんとうに詩が好きなんだな。楽しんでるんだな』そして『私も詩が好きなんだなあ』という実感です。
 この本を読んでも詩が好きにはなりません、詩の入門書ではありません。でも「詩が好きな人」にはこの本は親しく読めます。じんわりと効いていきます。

   ◆

書名:詩とことば
著者:荒川洋冶(あらかわようじ)
発行:株式会社岩波書店
シリーズ:ことばのために
2004年12月16日第刷発行
ISBN4-00-027103-2 C0395(定価1700円+税)
posted by 若原光彦 at 22:31 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年02月23日

最近読んだ本(『現代日本詩集』ほか)

 タイトル通りです。みっちり書く気力がないので、羅列だけにしておきます。

   ◆

『バディ・ホールデンを覚えているか』
作者:マイケル・オンダーチェ
訳者:畑中佳樹
出版:新潮社

*図書館で借りた。

*録音技術の発達黎明期に登場し、発狂し忘れ去られたジャズプレイヤーの異伝。作者の創作によるフィクション的要素を多く含むが、話を面白くするためというより格人物への同情によってのものらしい。散文だがとつぜん詩文になったりもする。パレードで発狂するシーンは胸を打つ。

   ◆

『吟遊詩人マルカブリュの恋』
原題:A TROIBADOUR'S TESTAMENT
著者:ジェイムズ・カウアン
訳者:小笠原豊樹
出版:草思社

*図書館で借りた。

*邦題が死ぬほどダサい。そんなことはどうでもいい。私には書名に詩という語が出ていたり、物語に詩や詩人が登場しているとついそれに手が伸びてしまう悪い癖がある。自意識過剰なのだろう。そんなことはどうでもいい。12世紀フランスの吟遊詩人マルカブリュにまつわる物語。彼の資料が急に発見され、彼を慕う著者は彼の道のりを辿りながら資料の検証を進める。フィクション性が高い物語なのでロマンチックな必然的偶然が多い。著者は詩集を2冊上梓している人物。言葉・詩・歴史に対する配慮は深い。でなければこの結末は書けない。

   ◆

『広部英一詩集』
著者:広部英一
出版:思潮社
レーベル:現代詩文庫160

*図書館で借りた。

*非常に良かったので、名古屋のジュンク堂にて自分で購入した。作風や温度感があまりに一貫していて驚いた。イメージを羅列すると、飛翔、透明、魂、青空、風、など。どのページをひらいても涼しくきらきらした息が流れ込んでくる。平易な言葉で読みやすいし、落ちも常に美しい。みんな読め。世の中には恐ろしい人がいるものだな。

   ◆

『詩とことば』
著者:荒川洋治
出版:岩波書店
レーベル:ことばのために

*図書館で借りた。

*詩論と詩の歴史論とが混じった一冊。『現代詩作マニュアル』に匹敵するほど入門として素晴らしい。冒頭「詩の分かち書きはなぜ一般受けしないか」の解説から入るので、実作者は頭をトンカチで割られたような感じがすることだろう。朗読やインターネット、新体詩などにも軽く触れている。

*書店で注文した。これは手元に持っておきたい。届いたらまた改まって紹介したい。

   ◆

『ムーン・パレス』
原題:MOON PALACE
訳者:柴田元幸
出版:新潮社
レーベル:新潮文庫

*大阪の古本屋で買った本。

*21日朝、なぜか傷ついて名古屋から帰ってきた。その電車内から読み始め、ふと『発狂したい』という詩を思いついた。帰宅後その詩のメモを書いたのち、まる1日を費やして読破した。クレイジー。

*著者の自伝的青春小説、と紹介されがちだが「訳者あとがき」にはかつて著者が「私がいままで書いた唯一のコメディ」と発言したことが記されている。私には後者には思えない。喜劇というには悲惨で内面的すぎる。

*親や親類を失い金も尽き精神も揺らぎ始める第一部、盲目の怪老人に朗読の仕事をする第二部、老人の息子(巨デブの男)と共に果てへ向かう第三部から成る。イメージや人物名が微妙に符牒していく、詩的な美しさと精神の弱さに満ちた物語。

*表紙デザインは最悪。この本を最後まで読んだのなら「表紙は満月でなければならない」ことは明白だろうに。銀色を使用していることで奮発したつもりかもしれないが、あまりに安っぽい。酷い。

   ◆

『幽霊たち』
原題:GHOSTS
訳者:柴田元幸
出版:新潮社
レーベル:新潮文庫

*地元のBOOKOFFで買った。

*ホワイトという人物からブラックという男の監視を依頼された探偵ブルーの物語。悪くはないが良くもない。マンガやドラマに慣れた日本の読者には見え透いたストーリー。一種の状況物語だが、サービス精神や遊びは無い。寓意というわけでもない。淡々としている。それでも読まされてしまうのがこの人のすごいところ。

   ◆

『現代日本詩集』
編者:浅野晃
発行:新学社
レーベル:新学社文庫22

*地元のBOOKOFFで買った。

*昭和43年(1968)発行、昭和54年(1979)重版。カバーデザインは棟方志功、監修に武者小路実篤、堀口大学が序詩『若い君に』を寄せているという常識を絶した本。カバーには「学校納入定価350円」ともある。どこかの書店の倉庫からBOOKOFFに流れたのだろうか。特殊な生い立ちの本であることは間違いない。

*『現代詩作マニュアル』がそうであったように詩のアンソロジーの多くは戦後詩・自由詩を中心として編成されている事が多いが、この本は戦後詩以降をばっさり切り落とし、新体詩以降を中心にしている。解説「近代詩の流れ」でも同様で、戦後詩やシュールレアリズムには一切触れていない。1960年代ともなれば谷川俊太郎ぐらい名前が挙がっても良さそうな気がするが……この謎は、アンソロジーを一読すると判明する。この本では『蛍の光』が4番まで載っていたり、山村暮鳥『日本』が入っていたり、もっと明確に森鴎外の『乃木将軍』まで載っている。戦中の一体感や犠牲精神を美徳と支持する立場にあるらしく、戦後詩の戦時下を悔恨する立場とは真っ向から衝突している。また「現代詩」として戦後の詩のみを扱うのではなく、新体詩からを「近代詩」として拾ってもいる。終戦を区分とせず明治から現在までを全て「地続き」として考えているらしい。これは面白い。あまり無い。

*念のために言っておくが、ちゃんと普通によい詩がたくさん載っている。掲載は内容ごとに「春」「夏」「秋」「冬」「山と河」「海」「鳥・獣・虫・魚」「犬・猫・馬・牛」「朝・昼・夕・夜」「雲・雨・風・雪」「歓びと悲しみ」「友と愛と勇気」「歌と踊り」「責務と献身」「勉強・努力・希望」「真理」「祈り」といった章に分けられている。とても読みやすいし、流れに無理がない。各作が余韻を高めあっている。いい編集だ。

*収録作は、堀口大学・山村暮鳥・土井晩翠・島崎藤村・蒲原有明・釈迢空・与謝野鉄幹から、高橋新吉・中原中也・立原道造・萩原朔太郎・宮沢賢治・高村光太郎といったスターから、山之口獏・西脇順三郎・内村鑑三・三好達治・小熊秀雄・金子光晴といった怖そうな人まで。……八木重吉は詩集で読むと食あたりするが、この詩では短詩がよい緩衝材として挟まっていた。北川冬彦の『ラッシュ・アワー』という詩には悶絶した。化け物みたいな詩を書く人だな。……「水爆相手の戦争に/もう一度おまへたちの手が必要なのだ/帰つて来い 帰つて来い」という田中克己の『戦友に』もすごいが、丸山薫の『原子香水』は超絶的。国連で読める一発。なぜ今まで読んだどのアンソロジーにも載っていなかったんだ。信じられん──

原子香水   丸山薫

わずか幾筒かの爆薬で
地表の半分を吹きとばすより
たった数滴の香水が
世界の窓を 野を 海を
われらの思想と
言葉の自由を匂わしてほしい

ああ 誰かそんな香水を
発明しないものか

貴重なその一壜をめぐって
国際管理委員会を設けよ
人類のもっとも光栄にかがやく昧爽
それら噴霧を
棚引く淡紅のハンカチに浸ませ!
すみれ色の空からふらせ!


*原子香水=「げんしこうすい」とルビ。
*昧爽=「あさ」とルビ。一般的な読みは「まいそう」
*淡紅=「ばら」とルビ。
*浸ませ=しませ。「浸」に「し」とルビ。


──「なんかもうネットもリーディングも嫌になってしまった。もう詩なんか書かない。俺の詩なんてガキの遊びだ」と叫びたくなってしまった。ここまで打ちのめされると気持ちが良いわ。

*定型詩も戦時下の詩もいまの読者には辛いかもしれない。全体的にヒロイックな風味を帯びたセレクションがされていたこともあり、私は時に興味深く時に楽しんで満足して読めたが。

*歴史見解の立場から来る物的貴重さはさておいても、良い内容と編集のアンソロジーだった。いやあ良いものを手に入れた。

   ◆

『世界の中心で、愛をさけぶ』
原作:片山恭一
作画:一井かずみ
出版:小学館
レーベル:プチフラワーコミックススペシャル

*同じくBOOKOFFで買った本。同名小説のマンガ化。絵柄は(ハイティーン向けの)今どきの少女マンガっぽい。

*30分とかからずに読めた。なるほど、と思った。ベストセラーになったこと映画化・ドラマ化されたことを不思議にも思うし納得もできる。これは『冬のソナタ』と同じで、ある特殊な土壌(波長)で絶賛されるタイプの物語。登場人物があまりにいい子たちだから全肯定で応援してしまう。ひとことで言えば「現実には無い甘美な、でももしかしたら車で30分ぐらいの場所にはあるかもしれない世界」。性善説の世界というか……夢のような、天国のような。人は死ぬし苛立ちもすれ違いもあるけど、この物語の世界は甘くイノセントで美しい。いわゆる少女マンガとも違う。こなみ詔子とか谷川史子とかに近い世界。

*ひとつ。私は映画もドラマも原作も知らないけれど、これはメディア化するならアニメかラジオドラマにしないと駄目だ。実写では嘘臭いメロドラマに落ちてしまう。こんなにも現実には無い世界、現実にはいない善い子たちを、リアリティを持って演じられる役者なんていない。コメディタッチにするわけにもいかないだろうし。

*実生活に耐えながら「もっと理想の世界や関係があるはず」と遠い夢を見ている人の心を満たし揺さぶるだろう。逆に、実現実を「現状が現実だ」と厳しく認識し今を生きている人には怒りを買うだろう。白倉由美が好きだった私には結構ヒットした。マンガだったせいもあるだろうけれど。

*余談。amazonのレビューなどを読んで知ったが、このマンガ版は小説の細部を相当削っているらしい。マンガとしてはこれで普通だと思うんだが、絵柄の先入観などから薄っぺらさを感じた人も多かったみたい。なるほど。原作も読んでみようかな。

   ◆

 以上です。長っが! 簡潔にしようとしても結局こうなるんだ分かってはいたんだ……。

 図書館へ行ったのは大阪へ行く直前だったから、ここに挙げた本はここ2週間ぐらいのぶんです。この他にも『ビッグイシュー』とか読みましたけれど。
 ……。
 本って、なんなんでしょうね。読んでいる間、読み終わってしばらくの間は自分が賢い人間に生き返ったような気がします、でもそんな変身は長くは続かない。ヒマつぶしでもない。何かを見つけようとして読んでいる。しかし残らない。
 自分が多くのメディア(作品や物語)を「消費して生きてきた世代」であるという事と、詩作者として「あらゆるものに価値を探し大事にしてしまう性分」だという事とが、矛盾しつつ効果しているのかもしれません。飽きっぽくて貧乏性。私に限った話ではないのかもしれませんけれど。

 最後の一冊、みたいなものを探しているのかもしれませんね。『この後にはもうどんなものも読み書きする気にならない』というような。
posted by 若原光彦 at 21:53 | Comment(4) | TrackBack(0) | 書籍

2005年02月01日

書籍『夏の吐息』

 短く近況を。いま先日『ぽえ茶』のくじびきで当たった、小池真理子『夏の吐息』を読み終えました。サントリーがおまけとして配布していた本です。

たかがオマケと侮るなかれ : 出版トピック : 本よみうり堂 : Yomiuri On-Line (読売新聞)
http://www.yomiuri.co.jp/book/news/20041220bk15.htm

 サントリーって確か財団を持って、文化活動を助成してますよね。こういう企画が似合う、粋でおしゃれなイメージがあります。単なるイメージ(先入観)に過ぎないんですが、CMにしても『伊右衛門』とか『BOSS』とかクールですし。良い印象があります。

   *

 本の中身は……うん、「消費される小説」でした。悪い意味ではなく。作中にウイスキーも出てくるし、普通にせつないし、中だるみもないし。「ああ、こういうひと友達に居たな……」と胸がチクッとして、読後にほんのり懐かしさが残る。職業作家の気品あるお仕事で、しっとりとした気分にさせて頂きました。うまいなあ……さすがプロだなあ……。
 心に残るとか、新潮社の単行本で読みたくなるとか、そこまでのショックはありません。でもソツなく心地いい。こういう形態の小説もあっていいよな、と思いました。悪い意味ではなく。良い意味で、生活に入ってくる、これる本でした。

   ◆

書名:夏の吐息
著者:小池真理子
編集制作:株式会社新潮社
発行:サントリー株式会社
レーベル:SUNTRY presents Shinchosha Half Book
平成16年11月01日発行
非売品
posted by 若原光彦 at 23:01 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『現代詩手帖2005年2月号』

 最初に言っておきます。私は詩誌が好きではありません。あれはジャーナルやトピックスとしては冗長で「現状をレポートしたもの」と言うより「詩学者の専門誌」です。
 好きな詩人の特集があっても、難解な用語と「○○で一度お会いしたことがあるが」といった権威めいた私語で構成され「能書きはいいから作品を読ませてくれよ!」とイライラします。でも向こうは「図書館で読め」というスタンスで、全くニーズが合いません。
 投稿欄は傾向も選別基準も不明瞭で、自分が投稿する気にはなれません。詩の雑誌なのに詩作品は数編しか載っていなかったり、特定の人物の連載が数号にのさばっていたり。面白く読める人間が限られていて、かつ割高。ぜんぜん買う気がしません。

 そんな私にとっても、今回の『現代詩手帖』は興味をそそるものでした。値段はやっぱり割高に感じましたが、文章の密度は濃いし、そもそも専門誌だし。承服はできませんが、尊重できなくもないです。

   *

 面白かったのは、特集が『詩の森文庫』への反応によって組まれていたためです。『詩の森文庫』とは「入門から専門へ」をキャッチコピーとし、詩への入口、詩への導き手となるべく創刊された新書シリーズのことです。1月にスタートの10冊が刊行されています。
 この『詩の森文庫』を語るということは、10冊のラインナップやその内容・作者に感想することでもあり、「入門者」を語ることでもあり、「詩の現状」を論じることでもあります。普遍的かつ多様な内容だった訳です。新シリーズへの期待や、未来への希望も込められていて明るい雰囲気だったのも好印象でした。
 多数の人物が文章を寄せていますが、私がいちばん面白かったのは──

 詩を読むのは苦手だ。反感を買うのを承知での上で書くと、さほど好きでもない。
 三年前に詩を書きはじめるまで、あまり詩を読んだことはなかった。


──という書き出しで始まる小池田薫さんの文章でした。エッセイとしても読めるし、そもそも『詩の森文庫』はこうした人に向けてのものなんでしょうし。難解に「吉本隆明がどう、谷川雁がどう」と進む文章より意味を感じました。あくまでも「私は」ですが。

   *

 もうひとつの目玉が加藤典洋さんの講演を掲載した「私にとって詩とはどういうものか」という記事です。このタイトルだけで惹かれるじゃないですか(笑)。
 内容は「難解詩とライト・ヴァースの二極化」にコメントするという、興味を引くものでした。講演を起こしたものということもあり、平易で読みやすかったです。最後に観客から「詩は教えられるか」と問われて「教えられない、ということは教えられますね」「詩は教えられないってことをあなたはどういうふうに教えるのか、という問いもあるだろうし」なんて答えていたり(笑)。面白いなあ。

 新人の投稿欄も面白かったです。全編に「現代詩」色である雑誌が、ここだけノンジャンルな「今の詩」色をしている印象でした。ネットで名前をお見かけする最果タヒさんの作品が載っていたり。雑誌らしいライブ感がありました。

   *

 ……と「面白かった点」だけ挙げて。最後に、念のため記しておきます。

 やっぱり、面白くない記事もたくさんあります。あいかわらず難解で専門的です。専門性に触れることで自分のキャパシティが上がる、なんてことも無いです。一部の人に向けての限定的な雑誌です。
 なのに感想を書いたのは「私は珍しくこんな本を読んだ」「珍しく面白く読めた」という雑記としてです。『現代詩手帖』を皆さんにおすすめする訳では決してありません。早まってネット注文とかしちゃ駄目ですよ、大きめの図書館で立ち読みして「ふう」と思い、それでも読みたければ読む。物好きの本です。

 そうそう。今回、装丁がとても綺麗でした。緑の色調が渋く、鮮やか。写真に奥行きがあって、ツンとした空気が漂っていて。素敵です。文学的な、落ち着いたクールなカッコよさを体現しています。持ち歩けば頭が良さそうに見えるかも(笑)。

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書名:現代詩手帖2月号
発行:株式会社思潮社
2005年02月01日発行
雑誌03443-2(定価1200円・本体1143円)
posted by 若原光彦 at 22:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『現代詩作マニュアル』

 自分なりに感想を書こうとしたら。その前にこちらを見つけました──

いんあうと:「詩の森」で生き抜くための最強のマニュアル ―野村喜和夫『現代詩作マニュアル』をめぐって―
http://po-m.com/inout/pubdoc.php?id=KerKAemDap1azvbY

──本書を読んでいない人には「わかりにくい」かもしれないし、本書を読んだ人には「考えすぎ」のようにも感じられるかもしれませんが、まっとうな文章だと思います。考えすぎ、というより、考えられるだけの予備知識がある人の感想、として読みました。ご参考までに。

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 さて、私なりの本書の紹介に戻ろうと思います。

 この本は「よき入門はよき専門に通じる」をキャッチコピーとした『詩の森文庫』というシリーズの一冊です。詩の世界を歩き回りたい人のために用意されたラインナップの一冊です。
 断っておきますが、ごっちゃになるといけないので、『詩の森文庫』シリーズへのコメントはここではしません。私はこの一冊しか読んでませんし。この本のことを書きたいだけなので、この本についてだけ書きます。

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 めちゃめちゃ良い本です。内容は「現代詩の歴史」「詩のしくみの解説」「詩学キーワード」の三本柱となっています。知りたかったことがこの一冊に! という感じです。インターネットの利用者も視野に入れて書かれたとのことで、簡潔でテンポがいいです。著者の思想を押し付けてくるようなこともありません。万人に向けての書です。

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「現代詩の歴史」では、終戦から1980年代までの詩の流れが簡単にまとめられています。やや駆け足ですが、そのぶん読み進めやすいです。

 私たち若い世代は「主義思想と作品は別もの」「作品が目指すところはエンターテイメントであって、思想ではない」という意識でいます。政治思想から生まれる作品も、時代の潮流にあわせて作風が変わるなんてことも信用していません。創作の要因は個人にあるのであって、時代にあるわけではない。……と、多くの人が思っています。
 なので、いきなり現代詩についての文章を読むと戦争や学生運動などが大量に出てきて面食らうことになります。時代と作者と作品が繋がらない。「そういう人もいるでしょうね」「そういう時代だったんですね」という感想しか持てなかったりします。

 現代詩の歴史に触れることは必要ですが、そのためには「現代詩の変遷」と「時期ごとの代表作」と「戦後昭和史」を同時に読む必要があります。本書はその点を押さえ「こんな時代で、こんな人が出て、こんな作品を書き、こんなグループを組み……」と、時代や文化・詩人や作品が平行して進んでいく構成がされています。何があってどんな作風があったのか、おおまかに理解できます。

 残念なのは(90年代・2000年代はまだ総括できないということなのでしょうが)解説が80年代でぷっつり終わることです。1980年代から現実の2005年までが繋がらず、歴史に対する自分の位置が見えてこないのです。でもこれは逆に言うと「若い世代を決め付けずにおいた」という配慮なのかもしれません。「現行の歴史はそれぞれが考えてみてね」と。

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 次の「詩の原理」の章では、詩について深く考えたことのない人に向けて「詩ってこういうものなんだよ」と詩のしくみが解説されています。……が、「詩のしくみ」とは「詩の定義」のことに他ならず、話は「詩とは何か」「何がどうなったのが詩か」「何をどうしたいのが詩作者か」という方向へ掘り進められます。言語学者の見解なども出てきます。
 なにやら難しそうですが、実作者ならセンスで理解できると思います。(あまり書くとまだ読んでいない方の感動を奪うので少しにしますが)「詩とは世界の捉え直しである→世界を捉え直したいと思う、一般社会に不足を感じる→怒りや恋愛経験が詩を書かせる」など「そう言われれば、なるほど」と思える話が繰り広げられます。なんとなくわかっていたことが、理論で説明されてゆく、知の快感が味わえる章です。

 専門用語も出始めますが「専門用語を学ぶいい機会」でもあります。次の章をひきつつ読み進めるといいと思います。

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 三つめ「詩学キーワード」の章は、用語集です。まず「エクリチュール」「イロニー」「シニフィエ」のような耳慣れない語の解説が助かります。「イメージ」「リズム」のような、わかったつもりでいる語も出ます。「定型」「散文詩」「メタ詩」といった語ではその形式の説明が「どういう時代に起き代表的なのは誰か」と詩の歴史全体から説明されます。「余白」「固有名詞」「詩行」のような、実作者向けの項もあります。
 掲載されている語は、厳選された少数です。専門用語や一般用語に枝葉を伸ばしすぎず、基本的なキーワード+αぐらいに留められています。……詩作者には「自分用語・独自用語」が多く、項目を増すとそのぶん編者の主観が現れてしまいます。本書はそこに配慮して、基本的なポイントのみを選んだのでしょう。

 私には最もエキサイティングな章でした。「主体」の項を読めば「詩の主人公とは誰か」と考え、「隠喩と換喩」の項を読めば引用された詩とその解説にうなる。実作者であればあるほど、熱狂して読めると思います。

 ……余談ですが、私は1週間ほど前から『Wordsworth 〜HTML glossary〜』というソフトを使って『若原詩作用語集』を制作しています。若原の「自分用語」辞典です。『めろめろ』のコラム担当時に出したらおもしろいんじゃないかな、と思って作り始めました。
 そんな時期に本書の「詩学キーワード」を読んだわけです。いろんなことを気付かされました。ソネットも定型詩だってこと、すっかり忘れてましたし。用語集って、知らないことも知れるし、知っていたことも知り直せるし、面白いです。

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 本書は、作者の個人的思想や好みを抑えて、読者を尊重して書かれています。入門として最適です。ありそうでなかった一冊です。
 文章は軽め……と言いたいところですが、最初は口語的に軽く、後半になるにしたがって理論的に硬くなっています。リタイアしたくなるほど難しくも長くもないですが、全部を理解しようとしなくてもいいと思います。丁寧さと簡潔さが両立されている上手な文章だとは思いますが、内容が内容なので硬軟あるのはしかたないです。

 この本は、21世紀の「詩の入門書のスタンダード」と言っても良いと思います。まずは書店や図書館で手に取ってみて下さい。「これは読まねば」「これは買わねば」と思わせる、そしてその期待を裏切らない本です。非常にお買い得な一冊です。……手放しませんよ、私は。良書です。

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書名:現代詩作マニュアル
副題:詩の森に踏み込むために
著者:野村喜和夫(のむらきわお)
発行:株式会社思潮社
レーベル:詩の森文庫
2005年01月01日
ISBN4-7837-2005-3 C1295(定価980円+税)
posted by 若原光彦 at 01:22 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年01月07日

書籍『あんな作家 こんな作家 どんな作家』

 最近読んだ本です。『IN★POCKET』という雑誌に連載されていた、人気作家へのインタビューをまとめた本です。どんな作家がインタビューを受けているのかはこちら(bk1)。小説家を中心に、著名な作家がノンジャンルでならんでいます。なんて豪華な……。
 文章は軽妙です。人物を「先生のよう」とか「お姉」とか、和やかに表現し、持ち味を活かして話を進めています。1回が5ページほどと短く、毎回最後にオチがつく。たいへん読みやすく、リラックスできる本です。

 と同時に、作家という人々の尋常じゃない才能と努力が毎回のぞく本でもあります。栗本薫さんは「推敲するくらいなら全部やり直す」と延べ、中村敦夫さんは「人生っていうのはサービス業」と語る。宮本輝さんは医者に「小説家としてこれほどめぐまれた病気はない。少し頭がおかしくて胸が悪いくらいがちょうどいい」と慰められたとか。赤川次郎さんは「ワープロは使わない。ワープロだと変換に時間が要る。がんばっても1時間に4枚しか書けない。手書きなら早ければ10枚ぐらい書ける」とか。

 個人的には、共感を感じた点も反発を感じた点も多くありました。作家の半数近くが有名大学(早稲田とか慶応とか)の出身や、元編集者、元コピーライターなどであること。意外と多くの作家がガッチリしたテーマを持たず、作家として生きるために作風を選んでいること。みんな〆切が怖いこと。過去の自作が恥ずかしくて読めない、自作が嫌いだと言う人が多いこと(インターネットにかぶれている私には考えられないことです。ネットに露出してる人はみんな少なからずナルシストだから)。

 以前『詩人の肖像』という本をご紹介した時にも書いたことですが、本や作品から学ぶことはなくても、作家から学ぶことは幾らでもあります。
 文学ミーハーのためのゴシップ本として読んでもそれは面白いでしょうが……何らかの表現にたずさわる人には、いろんな感銘と格言を与えてくれる本です。決定的な論調はせず、「生き様」についても大袈裟に触れず、「ひととなり」が好感をもって記されています。ここちよく読めて、いろんな事がひっかかる。
 はっきり言ってこれで600円は安いです。お買い得な本です。

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書名:あんな作家 こんな作家 どんな作家
著者:阿川佐和子(あがわさわこ)
発行:株式会社講談社(講談社文庫)
2001年3月15日第1刷発行
ISBN4-06-273096-0 C0195
本体571円(税別)
posted by 若原光彦 at 00:02 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

2005年01月04日

書籍『結ぼれ』

 さあ、ようやっと手に入れたR.D.レインの『結ぼれ』です。正月に読破しました。それほど厚くはないのですが、声に出して読む程度のスピードでなければ読めない本です。意外と時間がかかります。
 詩集というより……物語のプロットだと思って読んだ方がテンポがつかめる本です。論より証拠、すこし実際に読んでもらいましょう(P.28〜29)──

《まさしくぼくに食べられたいという彼女のねがいによって
彼女はぼくを食べているのだ》と、彼は感ずる

そもそもの初めには
ばりばり食べたいまたばりばり食べられたいと望んでいた二人が
いまや、ばりばり食べておりまたばりばり食べられている

   ばりばり食べられたいという彼女の食いつくさんばかりの欲望によって
彼がばりばり食べられているということによって、彼女はばりばり食べられている
   彼が自分をばりばり食べてくれないということによって
彼女がばりばり食べられているということによって彼はばりばり食べられている

   自分がばりばり食べられはせぬかという恐怖によって
彼はばりばり食べられている
   自分がばりばり食べられたいとの欲望によって
彼女はばりばり食べられている

自分がばりばり食べられはせぬかという彼の恐怖は
みずからの貪食によってばりばり食べられはせぬかという彼の恐怖から生ずる
自分がばりばり食べられたいとの彼女の欲望は
ばりばり食べたいとのみずからの欲望への彼女の恐怖から生ずる。


──なんだこりゃ、と戸惑いを覚えたかた、おかしくないです。それで正常です。
 上記の引用部分を詳しく分析すると──

・彼女は彼に食べられたい
・だから彼女は彼を食べている
・二人はばりばり食べ食べられたかった
・彼と彼女は食べ食べられている
・彼が彼女を、彼女が彼を食べているだけとは限らない
・少なくとも、彼は彼の恐怖に食べられ、彼女は彼女の欲望に食べられている
・彼の恐怖は欲望から、彼女の欲望は恐怖から生まれたものである

──ちょっと省略してますが。つまり彼は「欲望→恐怖→食」、彼女は「恐怖→欲望→食」という思考ルートを経て「ばりばり食べ食べられている」。チャートで書けば簡単なことです、文章にするとこんなに大混乱で面白い。もしくはその大混乱を表現するためにあえて文章化している。

 本書『結ぼれ』は全編にこんな調子です。ここでは「ばりばり食べ食べられる」という表記上面白いページを引用しましたが、その他のページでは単に「恐怖させ恐怖する」「知るを知らない」「悟ると悟れない」などが展開しています。さほど各単語の意味は難しくありません。
 この本で描写されているのは一種の精神的な迷宮です。「自分が相手を傷つけたと思うと自分が傷つく」というような。しかもそれは「『自分が相手を傷つけたと思うと自分が傷つく』と相手が思っていると思うと自分が傷つくと相手が傷つく」と反射され増幅してゆき、さらに「相手が自分が傷つかないということに傷つく」「相手が自分が傷ついていないように見えることに傷つく」と多重に錯綜します。ページが進んでも「傷」が「恐怖」になったり「蔑み」になったりする程度で、状況の根本は変わらず、登場人物は泥沼から抜け出せません。互いに傷つき続けます。まさに「結ぼれ」「結ぼれる」状態。

 著者のR.D.レインは精神科医です。訳者による後書きを読むに、この本は「詩集の体裁をした哲学書」であるそうです。もちろん詩集として読んでもいいですし、病例集としても読めますし、脚本として舞台を思い浮かべて読んでも面白いでしょうが、本書の根本がレインの人間分析にあったという印象はすごくします。読み物をこさえているというより、孤独な弁証をしているような。

 他に類のない本です。あるテーマを徹底的に書きつくすことによって、分類を超え異形に達してしまった本。こういうの、好きです。
 ところで、原著は1970年、もう30年も前に出た本なのに……いま日本語で読んでも「新しい」と感じるのは何故なんでしょうね。「斬新」という語にぴったりあてはまる感じがするのは。

   ◆

書名:結ぼれ
原著名:KNOTS
著者:R.D.レイン(R.D.Laing)
訳者:村上光彦(むらかみみつひこ)
発行所:株式会社みすず書房
1973年11月25日第1刷発行
1982年6月10日第8刷発行
8005 ISBN4-622-02346-6
定価1300円
posted by 若原光彦 at 18:52 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『プロペラ天国』

 漫画ですが、難解な話です。ネタバレになってしまうのであまり書けませんが、パラレルワールド(本当はそれともちょっと違う)のお話です──

 普通人間の妹(中1)と合成人間(一種のサイボーグ)の姉(中2)は中学で「恋愛探偵組」という私設クラブをしている。生徒の合成人間に襲われたり、スリリングなシーンもあったがなんとか無事に日々は過ぎてゆく。
 ……が、突然に謎の戦闘用合成人間が出現し、学園生徒は皆殺しにされる。
 そして次の章では、世界が一変している。妹(中2)と姉(中3)は「恋愛探偵組」を結成しておらず、喧嘩ばかりで仲が悪い。ただ「恋愛探偵組白書」という本を妹が所持しており、その小説の中では仲良く姉妹が活躍している。姉と仲良くしたい、優しい姉になってほしいと願う妹。しかし再び戦闘用合成人間が現れ、学園は修羅場と化す。

──つまり「中1の世界」「中2の世界」「小説の世界」がある訳です。全世界に共通して登場し、記憶もリセットされていない人物が話のカギになります。複雑な物語です。古本屋でなんとなく手に取り立ち読みしたところ、不気味で不条理で頭がこんがらがりました。でも全編にゾクゾクと魅力的で、他にない感じだったので買いました。
 丸っこくてかわいい絵柄で姉妹の学園探偵ものを展開するかと思いきや、アニメ調のかわいさ=嘘くささを利用して壊滅的な世界にシフトする。さらっとすごい事してんなあ、なんだよこの本は、どえらい人がいたもんだなあ、と正直たまげました。
 読み返してみると「こんな所でつじつまがあってる!」「こんな冒頭からもう話は始まってたのか!」と驚かされます。複雑な話が解きほぐされていく面白さ。全ての状況を理解したとき初めて感じられる、ラストの意味。
 ラストで、妹は中3になっています。「何度も繰り返される世界」でありながら「個々の人物の時間は止まらない」という、なんともムズがゆいSF状況。いやあ、ごっついもん書かはる人がおるんやねえ、という感じです。

   ◆

書名:プロペラ天国
作者:富沢ひとし(とみさわひとし)
FrogStarShip --富沢ひとしOfficialPage--
発行所:株式会社集英社
2001年9月24日第1刷発行
ISBN4-08-876212-6 C9979
定価 本体590+税
雑誌 44249-12
posted by 若原光彦 at 18:46 | Comment(1) | TrackBack(0) | 書籍

2004年12月07日

書籍『詩人の肖像』

 なんかもうナチュラルハイを通り越して灰にもしくは片桐はいりになりそうな雰囲気なんですけど。書けるときに一気に書かないとついつい先延ばしにしてしまうでしょうから、いま書いてしまいます。

   *

 先日2日、名古屋は大須の古本屋『猫飛横丁』さんで買った本です。1000円だったかな。
 私は現代詩の歴史とか、著名な詩人とか、あまり知りません。知っておくべきだろうとは思うのですが、好かないものは好かないし、耐えられないものは耐えられない。合わないものは合わないんです。「事前にそんなことを言っていては駄目だ。自分に凄く合うものもあるかもしれないじゃないか」と背を正し、図書館の詩集を片っ端から読もうとしたこともありましたが6冊目ぐらいでギブアップしました。こんなことをいつまでも続けていると腐ってしまうぞ! と思ったんです、その時は(でもその時に北園克衛を知り「本を持っているこの手がカミソリで切られていくようだ!」なんて感動したりもあったんですけどね)。

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posted by 若原光彦 at 17:27 | Comment(2) | TrackBack(0) | 書籍

書籍『若い詩人の肖像』

 あまり一度に文章を書いたもんだからフラフラくたくたしてきて、なんだか腹も痛くなりつつあるんですが、なんだか今テンションが高いので忘れないうちに書いてしまおうと思います。

 ずいぶんと前に古本屋で買った本です。5分の1ぐらいまで読んで、しばらく積んでいたのですが(笑)、先月上旬、読む本がなくなってしまっい、ふと思い出して読書再開しました。
 読み始めたら、とても面白いんです、この本。舞台は大正時代、著者の10代後半〜20代前半をつづった自伝です。物語は北海道の開拓村から始まります。
 とにかく文章がうまい。本当にこの筆者はこんな些細なことまで記憶してるんだろうかと疑ってしまいます。想像力で補ったにしても緻密すぎる。例えば、汽車の駅での待合風景──

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posted by 若原光彦 at 16:50 | Comment(0) | TrackBack(0) | 書籍